<正楽寺の野神さん>
「野神さん」は、農耕の神・五穀豊穣を祈願する神として祀られ、滋賀県の湖北地方では祭事として野神祭りを行われる集落が多く見られます。
湖北での野神さんは集落の入口や隣村との境などに祀られていることが多く、祀られている樹が樹齢の古い老木であることから、古くから信仰されてきたことが分かります。
滋賀県の湖東地方にある甲良町を走行していた時、地図に「野神さん」の表記があるのを見て寄り道してみると、それは「正楽寺の野神さん」という野神さんでした。
野神信仰は滋賀県でも湖北地方に集中していると思っていたのですが、湖東地方を丹念に探せば数多くの野神さんに出会えそうに思えます。
甲良町は、多賀町などと隣接する小さな自治体で、湖東三山の一山である西明寺が有名な町となります。
歴史的な有名人といえば、勝楽寺城を築いたバサラ大名の「佐々木道誉」や戦国大名「藤堂高虎」の出生地とされ、古墳時代や飛鳥時代の遺跡も残されています。
正楽寺集落は世帯数が40足らずと思われる小規模な集落で、犬上川の扇状地にある長閑な農村といった佇まいです。
そんな集落の西に広がる田園地帯の一角に祀られている野神さんは、村を守る神であり、悪いものが入ってこないように祀られた結界なのでしょう。
祠の後方に立つのが野神さんとして祀られる樫?の巨樹と思われます。
塚のように囲まれた中心部に野神さんがあり、取り囲むように生えている木々の葉に覆われて薄暗い場所にあるものの、近くで眺めるとその姿は神々しい。
正確な樹種や樹齢やサイズは分かりませんが、力感のある姿は見事で周辺に綺麗に手が入っていることから、この集落で野神さんが大事に扱われていることが伺えます。
幹は途中で二股に分かれ、上部ではさらに枝分かれして樹勢が良さそうです。
少し離れたところから塚を見ると、近くで見た時の印象以上に背が高い木であることが分かる。
こういった感じの塚のような茂みを移動中に見かけましたが、そこには野神さんが祀られていたのかもしれません。
野神さんは、農業の神として祀られる以外にも、地霊の魂を鎮めるという考え方があるといいます。
いずれにしても、万物に宿る魂が共存しながら生きているということを思い起こさせてくれるのが野神さんや山神さんと言えるかと思います。
<ヒイラギの森のヒイラギ>
甲良町池寺に「ヒイラギの森」というかつて野神塚だったと思われる小さな森があります。
その塚(森)には祠が祀られており、信仰の対象として祀られていたヒイラギの巨木(老木)は、この地における野神さんだったのではないでしょうか。
このヒイラギの森も隣の集落との間に広がる田園地帯の間にあることからも、野神塚であったことが伺われる。
森の中には十数本のヒイラギと一本のカゴノキがあり、森の中にある用水路には豊富な水量の水が流れています。
ヒイラギの巨樹は、樹高7m・幹周4.2mで樹齢は推定で300年に及ぶといい、ヒイラギに抱くイメージからすると異常に大きい。
また、枝は妖しく感じるほど横に広がるようにクネクネと伸びており、単独でも森のような樹幹を形成している。
ヒイラギに関して面白い話があって、ヒイラギの葉には縁にギザギザしたトゲがありますが、老木になると葉が丸くなるそうです。
樹高が低い若い樹の時は草食動物に食べられないようにトゲがあるが、老木になって樹高が高くなるとトゲがある必要がなくなって丸くなるのだそうです。
「ヒイラギの森」ではヒイラギの巨樹と並んで「カゴノキ」の巨樹が姿を見せてくれます。
カゴノキも上部に行くに従って枝分かれが多くなり、くねったような枝の姿が幻想的に見えます。
特徴のある樹皮の模様が、シカの子供の体にある斑点のように見えることが「鹿子の木」の由来となっているといい、確かに小鹿の斑点を思い起こすような模様です。
ヒイラギの老木とカゴノキの巨樹が2本並んでいる姿は実に壮観な光景です。
ところで、農耕というと水とは切っても切り離せない関係がありますが、「ヒイラギの森」には“円形分水工”が設けられ、勢いよく用水が流れ出していました。
分水工は、地下を流れる農業用水を地上に噴き出すものだといい、噴き出す水量の豊富さは人工物とはいえ、見応えのあるものでした。
野神信仰は、滋賀県を含む近畿地方に分布して信仰されている神とされますが、現在もその姿を残し、あるいは痕跡を残している地としては湖北地方が中心になると思います、
とはいえ、野神信仰が湖北地方に限らず、湖東地方にも野神さんが今も息づいているのは実に興味深いことでした。
湖北地方の特に高月ではほぼ集落ごとに野神さんが祀られていますが、湖東地方にはどれくらいの野神さんがあるのかも気になるところです。
「野神さん」は、農耕の神・五穀豊穣を祈願する神として祀られ、滋賀県の湖北地方では祭事として野神祭りを行われる集落が多く見られます。
湖北での野神さんは集落の入口や隣村との境などに祀られていることが多く、祀られている樹が樹齢の古い老木であることから、古くから信仰されてきたことが分かります。
滋賀県の湖東地方にある甲良町を走行していた時、地図に「野神さん」の表記があるのを見て寄り道してみると、それは「正楽寺の野神さん」という野神さんでした。
野神信仰は滋賀県でも湖北地方に集中していると思っていたのですが、湖東地方を丹念に探せば数多くの野神さんに出会えそうに思えます。
甲良町は、多賀町などと隣接する小さな自治体で、湖東三山の一山である西明寺が有名な町となります。
歴史的な有名人といえば、勝楽寺城を築いたバサラ大名の「佐々木道誉」や戦国大名「藤堂高虎」の出生地とされ、古墳時代や飛鳥時代の遺跡も残されています。
正楽寺集落は世帯数が40足らずと思われる小規模な集落で、犬上川の扇状地にある長閑な農村といった佇まいです。
そんな集落の西に広がる田園地帯の一角に祀られている野神さんは、村を守る神であり、悪いものが入ってこないように祀られた結界なのでしょう。
祠の後方に立つのが野神さんとして祀られる樫?の巨樹と思われます。
塚のように囲まれた中心部に野神さんがあり、取り囲むように生えている木々の葉に覆われて薄暗い場所にあるものの、近くで眺めるとその姿は神々しい。
正確な樹種や樹齢やサイズは分かりませんが、力感のある姿は見事で周辺に綺麗に手が入っていることから、この集落で野神さんが大事に扱われていることが伺えます。
幹は途中で二股に分かれ、上部ではさらに枝分かれして樹勢が良さそうです。
少し離れたところから塚を見ると、近くで見た時の印象以上に背が高い木であることが分かる。
こういった感じの塚のような茂みを移動中に見かけましたが、そこには野神さんが祀られていたのかもしれません。
野神さんは、農業の神として祀られる以外にも、地霊の魂を鎮めるという考え方があるといいます。
いずれにしても、万物に宿る魂が共存しながら生きているということを思い起こさせてくれるのが野神さんや山神さんと言えるかと思います。
<ヒイラギの森のヒイラギ>
甲良町池寺に「ヒイラギの森」というかつて野神塚だったと思われる小さな森があります。
その塚(森)には祠が祀られており、信仰の対象として祀られていたヒイラギの巨木(老木)は、この地における野神さんだったのではないでしょうか。
このヒイラギの森も隣の集落との間に広がる田園地帯の間にあることからも、野神塚であったことが伺われる。
森の中には十数本のヒイラギと一本のカゴノキがあり、森の中にある用水路には豊富な水量の水が流れています。
ヒイラギの巨樹は、樹高7m・幹周4.2mで樹齢は推定で300年に及ぶといい、ヒイラギに抱くイメージからすると異常に大きい。
また、枝は妖しく感じるほど横に広がるようにクネクネと伸びており、単独でも森のような樹幹を形成している。
ヒイラギに関して面白い話があって、ヒイラギの葉には縁にギザギザしたトゲがありますが、老木になると葉が丸くなるそうです。
樹高が低い若い樹の時は草食動物に食べられないようにトゲがあるが、老木になって樹高が高くなるとトゲがある必要がなくなって丸くなるのだそうです。
「ヒイラギの森」ではヒイラギの巨樹と並んで「カゴノキ」の巨樹が姿を見せてくれます。
カゴノキも上部に行くに従って枝分かれが多くなり、くねったような枝の姿が幻想的に見えます。
特徴のある樹皮の模様が、シカの子供の体にある斑点のように見えることが「鹿子の木」の由来となっているといい、確かに小鹿の斑点を思い起こすような模様です。
ヒイラギの老木とカゴノキの巨樹が2本並んでいる姿は実に壮観な光景です。
ところで、農耕というと水とは切っても切り離せない関係がありますが、「ヒイラギの森」には“円形分水工”が設けられ、勢いよく用水が流れ出していました。
分水工は、地下を流れる農業用水を地上に噴き出すものだといい、噴き出す水量の豊富さは人工物とはいえ、見応えのあるものでした。
野神信仰は、滋賀県を含む近畿地方に分布して信仰されている神とされますが、現在もその姿を残し、あるいは痕跡を残している地としては湖北地方が中心になると思います、
とはいえ、野神信仰が湖北地方に限らず、湖東地方にも野神さんが今も息づいているのは実に興味深いことでした。
湖北地方の特に高月ではほぼ集落ごとに野神さんが祀られていますが、湖東地方にはどれくらいの野神さんがあるのかも気になるところです。