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例年なら開催される福餅まきや甘酒の接待、本戒での宝恵駕篭の行列も今年は全て中止で、静かな境内や街に鳴り響く商売繁盛の囃子も何やら物悲しい。
秀吉(当時は羽柴秀吉)が初めて城持の大名に出世して築城したのが長浜城で、「長浜豊国神社」は秀吉の三回忌にあたる1600年に長浜町民によって建立されたといいます。
それだけ町民の信仰を集めていた秀吉ですが、徳川時代の江戸期に秀吉はタブー。
町民たちは、恵比須神(事代主)を祀る神社としてカムフラージュして裏で秀吉を祀っていたといいます。
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鳥居の前の神社の石碑の前にはコロナ対策の看板と消毒液が置かれる厳戒態勢となっており、参拝者の数もまばらで活気を失い、例年なら縁起物を販売しているお店も縮小されている。
その代わりに本殿前には福娘が待機されていて参拝者が来ると参拝している間中、横で「神楽鈴」を鳴らし続けてくれたのは参拝者への心遣いなのかもしれません。
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本殿の横にある「出世稲荷神社」にもパラパラと参拝の方が来られており、皆ソーシャルディスタンスを取りながら参拝の順番を待ちます。
参拝者が多いと密になりがちですが、少ないと距離が保てるのが人の心理の面白いところですね。
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境内のひょうたん池のそばには「虎石」という石が祀られています。
この石は秀吉が長浜城に庭園を造った時に、加藤清正が寄進した庭石とされ、秀吉没後に大通寺に移設されたところ毎夜「いのう(帰ろう)、いのう」と夜泣きしたといいます。
そこで「虎石」は既に廃城となっていた長浜城内に戻し、その後に豊国神社に移されたという伝承の残る石です。
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“商売繁昌で笹持ってこい!”の囃子だけが景気よく流れている十日戎の境内でしたが、そこに運良く「ひでよしくん」が登場です。
例年、十日戎の餅まきの時間帯などには境内はおろか参道まで人が溢れますが、今年は「ひでよしくん」とone to one。
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世話方の人が十日戎の縁起物を売っているお店から福娘を呼び出して「ひでよしくん」とツーショット写真を撮られていたので便乗して撮らせてもらいました。
縁起物のテントもコロナ対策でカーテンが掛けられているので、中の縁起物が見づらい状態なのが残念ですね。
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縁起物売り場の前でポーズを決める「ひでよしくん」。
金は天下の回り物という言葉がありますが、縁起物はどれも結構なお値段をしていて、ちょっと手が出ない。
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境内ではお礼参りで持ってこられた笹やお札のお焚き上げをされていますが、お礼参りに来られる方の数が少ないのか火の勢いが弱い。
コロナも怖ろしければ景気も悪いという今の異常な世相を反映しています。
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笹には「節目正しく真直に伸びる」、「弾力があり折れない」、「葉が落ちず常に青々と繁る」という特徴があり、商売繁盛の縁起物になったといいます。
笹や縁起物のお焚き上げの豪火でコロナ渦を焼き尽くして欲しいですね。