滋賀県は周囲を山に囲まれ、雪解け水や地下水などの豊富な水量は琵琶湖へと流れ込み京都・大阪へと水を供給しています。
とはいえ、農耕においてはその土地の立地条件などにより、農業に必要な水が不足する地域では、ため池に貯水して渇水時の農業用水を確保していることがあります。
山に囲まれた地域の多い甲賀市にはため池は多く存在し、甲南町杉谷にある岩尾池には伝承で樹齢千年以上とされる最澄由来の伝説の残る巨樹があるといいます。
岩尾池の畔にある巨樹は「岩尾池のスギ」または「一本杉」と呼ばれ、信楽を舞台にしたNHKの朝ドラの「スカーレット」などのロケ地にもなったようです。
滋賀県と三重県の県境にある岩尾山(標高471m)には、甲賀忍者の修行場として知られ、巨岩・奇岩や巨大な摩崖仏のある山の中腹には「岩尾山 息障寺」があります。
山岳修験が盛んだったこの地は、天台密教と密接に結びついたといい、山を挟んで甲賀と伊賀の境界ともなっています。
伝教大師・最澄は、比叡山延暦寺の根本中堂を建設するための木材を岩尾山から伐り出したとされることから、「池原延暦寺」「比叡山試みの寺」と呼ばれることがあるという。
目的地となる岩尾池までは舗装されてはいるものの、対向車が来たら困るような細くくねった道を進むことになります。
「岩尾池の一本杉」には最澄に関する伝承があり、“最澄上人がこの地で食事された際、使用後の箸を地面に突き刺したものが芽吹き、この巨木になった”と伝わります。
最澄や空海などの高僧や神格化されている武将などが使った箸が巨樹に育ったという話を巨樹を巡っているとあちこちで聞きます。
「箸立伝説」は、箸を神を迎える依り代とする神事の名残りとも言われることがありますが、地域を問わず事例が多いだけに興味深い伝説です。
「岩尾池の一本杉」は池に突き出たような場所にあり、道からだと遠景になりますので近づけないかと道を探すと、道はないもののスギ林を通り抜ければ樹の横に行けそうなので近寄ってみる。
滋賀県の案内板によると、幹周4.7m・樹高15m・樹齢1000年以上(伝承)だとあり、1000年かどうかはともかくとして古木感の漂う巨樹です。
樹の根元に何かありましたので祠かと思って見てみると、養蜂の巣箱が置かれています。
ここに蜂が集まるのか少し不思議にも思いましたが、「岩尾池の一本杉」には祠や注連縄などはなく、信仰の対象となっている巨樹の雰囲気はあまりない。
この樹は池側から見るのがもっとも迫力があります。
ただ池は満々と水を満たしていましたので、ずり落ちないように足元は要注意でした。
ため池は古くは稲作文化が根付いた弥生時代には存在したといい、その7割は江戸時代に築造されたとされています。
ため池の横に巨樹があることが時にありますが、それはため池が水田の灌漑に恵みの水を与えてくれることや、その池を守る神の依り代として植えられてきたのかとも想像されます。
以前に「岩尾山 息障寺」を訪れた時に岩尾山の展望台から見た大沢池と岩尾池の風景です。
山から流れ出る清流を堰き止めて池を造っているようで、大沢池や岩尾池は谷あいにある池なのが分かります。
さて、岩尾池から信楽の中心地まではすぐ近い。
信楽の町まで行ってお土産屋さんへ立ち寄りました。
信楽の町にはどこもかしこも信楽焼のタヌキが並んでおり、縁起物として信楽の象徴になっています。
八相縁起のタヌキの姿は商売繁盛の縁起物であるとともに、人生訓にもなっているとか...。
とはいえ、農耕においてはその土地の立地条件などにより、農業に必要な水が不足する地域では、ため池に貯水して渇水時の農業用水を確保していることがあります。
山に囲まれた地域の多い甲賀市にはため池は多く存在し、甲南町杉谷にある岩尾池には伝承で樹齢千年以上とされる最澄由来の伝説の残る巨樹があるといいます。
岩尾池の畔にある巨樹は「岩尾池のスギ」または「一本杉」と呼ばれ、信楽を舞台にしたNHKの朝ドラの「スカーレット」などのロケ地にもなったようです。
滋賀県と三重県の県境にある岩尾山(標高471m)には、甲賀忍者の修行場として知られ、巨岩・奇岩や巨大な摩崖仏のある山の中腹には「岩尾山 息障寺」があります。
山岳修験が盛んだったこの地は、天台密教と密接に結びついたといい、山を挟んで甲賀と伊賀の境界ともなっています。
伝教大師・最澄は、比叡山延暦寺の根本中堂を建設するための木材を岩尾山から伐り出したとされることから、「池原延暦寺」「比叡山試みの寺」と呼ばれることがあるという。
目的地となる岩尾池までは舗装されてはいるものの、対向車が来たら困るような細くくねった道を進むことになります。
「岩尾池の一本杉」には最澄に関する伝承があり、“最澄上人がこの地で食事された際、使用後の箸を地面に突き刺したものが芽吹き、この巨木になった”と伝わります。
最澄や空海などの高僧や神格化されている武将などが使った箸が巨樹に育ったという話を巨樹を巡っているとあちこちで聞きます。
「箸立伝説」は、箸を神を迎える依り代とする神事の名残りとも言われることがありますが、地域を問わず事例が多いだけに興味深い伝説です。
「岩尾池の一本杉」は池に突き出たような場所にあり、道からだと遠景になりますので近づけないかと道を探すと、道はないもののスギ林を通り抜ければ樹の横に行けそうなので近寄ってみる。
滋賀県の案内板によると、幹周4.7m・樹高15m・樹齢1000年以上(伝承)だとあり、1000年かどうかはともかくとして古木感の漂う巨樹です。
樹の根元に何かありましたので祠かと思って見てみると、養蜂の巣箱が置かれています。
ここに蜂が集まるのか少し不思議にも思いましたが、「岩尾池の一本杉」には祠や注連縄などはなく、信仰の対象となっている巨樹の雰囲気はあまりない。
この樹は池側から見るのがもっとも迫力があります。
ただ池は満々と水を満たしていましたので、ずり落ちないように足元は要注意でした。
ため池は古くは稲作文化が根付いた弥生時代には存在したといい、その7割は江戸時代に築造されたとされています。
ため池の横に巨樹があることが時にありますが、それはため池が水田の灌漑に恵みの水を与えてくれることや、その池を守る神の依り代として植えられてきたのかとも想像されます。
以前に「岩尾山 息障寺」を訪れた時に岩尾山の展望台から見た大沢池と岩尾池の風景です。
山から流れ出る清流を堰き止めて池を造っているようで、大沢池や岩尾池は谷あいにある池なのが分かります。
さて、岩尾池から信楽の中心地まではすぐ近い。
信楽の町まで行ってお土産屋さんへ立ち寄りました。
信楽の町にはどこもかしこも信楽焼のタヌキが並んでおり、縁起物として信楽の象徴になっています。
八相縁起のタヌキの姿は商売繁盛の縁起物であるとともに、人生訓にもなっているとか...。