近江八幡市の琵琶湖に面した長命寺山の中腹(標高240m付近)には西国三十三所第31番札所である「長命寺」があり、参拝者や観光客の多い寺院となっています。
長命寺のある長命寺山はかつては内湖がくい込んで琵琶湖に浮かぶ島だったとされ、長命寺山や津田山(姨綺耶山)などの峰のある山は「奥島山」と呼ばれていたという。
白洲正子さんは近江山河抄の中で“近江の中でどこが一番美しいかと聞かれたら、私は長命寺のあたりだろうと答えるだろう。”(中略)桃山時代の障壁画を見るように美しい。と書かれています。
また“長命寺の裏山を、長命寺山とも金亀山とも呼ぶが、それに隣り合って、あきらかに神体山とおぼしき峰が続いており、それらの総称を「奥島山」という”とも書かれています。
今は入江は干拓されてしまい、奥の島としての往時の姿はなくなってきてはいるものの、磐座や巨巌が多く見られる様は、神体山と呼ばれるに相応しいものがあります。
写真の左にある峰が「長命寺」のある長命寺山で、右の峰が磐座や巨巌のある津田山(姨綺耶山)となり、まずは長命寺側から長命寺山のピークを越えて、縦走して津田山の山頂を目指します。
長命寺山の登山口は、長命寺の880段の石段の最後の100段の横にある駐車場から林道を少し下ったところにあり、登山口には石仏が祀られている。
登山道の途中には石仏が幾つか祀られており、途中までは仏教的な仏の山の雰囲気がある。
気味が悪かったのは、登山道のあちこちに掘られたような跡があり、どうやらイノシシの土掘りのようであるように見え、しかも昨日今日の新しい跡のようにみえる。
出会い頭でイノシシに遭遇するのも嫌なので、熊鈴を付けて気休め代わりとして山を登ります。
長命寺山の登山道は、道中にピンクのテープが巻かれ、危険個所には立入禁止のロープが張られているため、道に迷うこともなく最初のうちは軽快に勾配を登っていける。
樹が道の両サイドを覆っているため景観はないが、所々に大きな岩があり、磐座に期待が高まる。
足元に岩が増えてきて勾配がきつくなってきた頃、下の方から人の話声が聞こえてくるようになり、しばらくすると追いつかれてしまったので道を譲る。
自分より世代が上の方がと見受けらる2人でしたが、息は乱れておらず、息切れしている当方を抜いた後、すぐに背中が見えなくなる。持久力の差を感じてしまいますね。
抜いて行かれた人に“長命寺山の山頂はまだ先ですか?”と聞いてみると、“岩が増えてきたのでもう少しだと思う。”とのことで、一旦息を整えてから上へと登って行きます。
道の途中に長命寺山頂の小さな看板があったので、コースを外れて山頂を目指しますが、若干道は悪かったように思います。
まだ着かないのかと思いつつ歩いて行くと、少し広がった場所に出て山頂の看板があった。
“長命寺山333m”。登山口から十数分だったでしょうか着いてみるとあっけなかった。
山頂部には看板以外は何もなく、周りが樹に囲まれているので景色はほぼ見えない。
頂上では何もすることがないので、元の登山道まで戻って、津田山(姨綺耶山)の山頂を目指します。
「津田山」は、「姨綺耶山」と呼ばれたり、「奥島山」と呼ばれたりしているようですが、Gooogleマップでは「津田山」になっているので、「津田山」が正式名のようです。
ここから先は峰と峰の間の尾根筋になりますので、しばらくはアップダウンの少ない道となり歩きやすい。
ただし道中には急にシダが多くなり、あまり気持ちの良い道ではなく、小走りで駆け抜けていきます。
道は小走りで進めるような平坦な道から少しづつ勾配が増えてきて津田山への登りに差し掛かってきたのは分かるものの、どの辺りにいるのかは分からない。
進んで行くと津田山の山頂が木々の間から見え隠れするようになり、目標地点が明らかになる。
山との距離を近いと思うか、まだ先かと思うかは人それぞれかと思いますが、当方は遠いなぁ傾斜がきつそうと感じてしまう。
津田山への登りが始まると急に巨石が増えてきて、いよいよ巌の山のエリアに入ってきたことを実感する。
出迎えてくれたのは、夫婦岩のような巨石が2つ。迎え入れてくれる門のようでもあり、聖域を示す結界でもありといった処。
さぁいよいよ傾斜がきつくなってきた。
でも、空が開けてきたので磐座はきっともうすぐだ。
そして磐座へ到着。
中央の注連縄の巻かれた巌には大きな亀裂が入っており、2つの巨岩が並ぶ姿は壮観です。
一説にはこの磐座は「天照大神の石座」と呼ばれているといいますから伊勢神宮との関連があるのかと考えてみる。
山を登ってきた甲斐があったなと思いながら磐座を眺め、頂上まで行って折り返してこようと再び山を登ります。
磐座の横には道がないため、磐座の下を通ることになりますが、手前の平たい岩が滑りやすそうなので、細い樹を握りしめながら磐座を越えていきます。
ほどなく山頂に着くと祠が祀られ、祠の奥は琵琶湖の絶壁になる。
ここで途中で追い抜いてもらった方と再会しましたが、2人の会話は興味深いものでした。
“琵琶湖の対岸には白髭神社(高島市)があり、望遠鏡があったら湖上の鳥居が見える。三重県方向の遥か先には伊勢神宮がある。”
“白髭神社と津田山頂と伊勢神宮は一本の直線で結ばれる、神社はそういう見方をしないといけないよ。”...思わず納得。
祠の横にはもう一つの磐座があり、「天之御中主神の磐座」とよばれているといい、天之御中主神は天地初発の時に、高天原に出現した最初の神とされるという。
磐座は石垣に囲まれていることからこの磐座が御神体となるのかと思われ、山全体が神体山なのだろうと実感できる。
磐座は一つの山のような形をしており、神体山の頂上にもう一つの山のような形をした御神体が祀られるという言い方も出来そうです。
2つの磐座を見て充分堪能しましたが、長命寺~津田山のルートから国民休暇村への分岐を進んだところには「天之御中主尊」の磐座があると知ったのは後の祭り。もう一度この山に登らないといけませんね。
津田山の山頂と三角点は頂上の磐座を少し進んだ場所にありました。
津田山(別名:奥島山)標高424.7m。約1時間くらいあれば登頂できます。
ところで、この津田山には「空奏テラス」という琵琶湖の絶景が眺められる大岩があるといいます。
琵琶湖を眺めて一息入れたら下山して、長命寺の太郎坊大権現へ参拝しよう。...続く。
長命寺のある長命寺山はかつては内湖がくい込んで琵琶湖に浮かぶ島だったとされ、長命寺山や津田山(姨綺耶山)などの峰のある山は「奥島山」と呼ばれていたという。
白洲正子さんは近江山河抄の中で“近江の中でどこが一番美しいかと聞かれたら、私は長命寺のあたりだろうと答えるだろう。”(中略)桃山時代の障壁画を見るように美しい。と書かれています。
また“長命寺の裏山を、長命寺山とも金亀山とも呼ぶが、それに隣り合って、あきらかに神体山とおぼしき峰が続いており、それらの総称を「奥島山」という”とも書かれています。
今は入江は干拓されてしまい、奥の島としての往時の姿はなくなってきてはいるものの、磐座や巨巌が多く見られる様は、神体山と呼ばれるに相応しいものがあります。
写真の左にある峰が「長命寺」のある長命寺山で、右の峰が磐座や巨巌のある津田山(姨綺耶山)となり、まずは長命寺側から長命寺山のピークを越えて、縦走して津田山の山頂を目指します。
長命寺山の登山口は、長命寺の880段の石段の最後の100段の横にある駐車場から林道を少し下ったところにあり、登山口には石仏が祀られている。
登山道の途中には石仏が幾つか祀られており、途中までは仏教的な仏の山の雰囲気がある。
気味が悪かったのは、登山道のあちこちに掘られたような跡があり、どうやらイノシシの土掘りのようであるように見え、しかも昨日今日の新しい跡のようにみえる。
出会い頭でイノシシに遭遇するのも嫌なので、熊鈴を付けて気休め代わりとして山を登ります。
長命寺山の登山道は、道中にピンクのテープが巻かれ、危険個所には立入禁止のロープが張られているため、道に迷うこともなく最初のうちは軽快に勾配を登っていける。
樹が道の両サイドを覆っているため景観はないが、所々に大きな岩があり、磐座に期待が高まる。
足元に岩が増えてきて勾配がきつくなってきた頃、下の方から人の話声が聞こえてくるようになり、しばらくすると追いつかれてしまったので道を譲る。
自分より世代が上の方がと見受けらる2人でしたが、息は乱れておらず、息切れしている当方を抜いた後、すぐに背中が見えなくなる。持久力の差を感じてしまいますね。
抜いて行かれた人に“長命寺山の山頂はまだ先ですか?”と聞いてみると、“岩が増えてきたのでもう少しだと思う。”とのことで、一旦息を整えてから上へと登って行きます。
道の途中に長命寺山頂の小さな看板があったので、コースを外れて山頂を目指しますが、若干道は悪かったように思います。
まだ着かないのかと思いつつ歩いて行くと、少し広がった場所に出て山頂の看板があった。
“長命寺山333m”。登山口から十数分だったでしょうか着いてみるとあっけなかった。
山頂部には看板以外は何もなく、周りが樹に囲まれているので景色はほぼ見えない。
頂上では何もすることがないので、元の登山道まで戻って、津田山(姨綺耶山)の山頂を目指します。
「津田山」は、「姨綺耶山」と呼ばれたり、「奥島山」と呼ばれたりしているようですが、Gooogleマップでは「津田山」になっているので、「津田山」が正式名のようです。
ここから先は峰と峰の間の尾根筋になりますので、しばらくはアップダウンの少ない道となり歩きやすい。
ただし道中には急にシダが多くなり、あまり気持ちの良い道ではなく、小走りで駆け抜けていきます。
道は小走りで進めるような平坦な道から少しづつ勾配が増えてきて津田山への登りに差し掛かってきたのは分かるものの、どの辺りにいるのかは分からない。
進んで行くと津田山の山頂が木々の間から見え隠れするようになり、目標地点が明らかになる。
山との距離を近いと思うか、まだ先かと思うかは人それぞれかと思いますが、当方は遠いなぁ傾斜がきつそうと感じてしまう。
津田山への登りが始まると急に巨石が増えてきて、いよいよ巌の山のエリアに入ってきたことを実感する。
出迎えてくれたのは、夫婦岩のような巨石が2つ。迎え入れてくれる門のようでもあり、聖域を示す結界でもありといった処。
さぁいよいよ傾斜がきつくなってきた。
でも、空が開けてきたので磐座はきっともうすぐだ。
そして磐座へ到着。
中央の注連縄の巻かれた巌には大きな亀裂が入っており、2つの巨岩が並ぶ姿は壮観です。
一説にはこの磐座は「天照大神の石座」と呼ばれているといいますから伊勢神宮との関連があるのかと考えてみる。
山を登ってきた甲斐があったなと思いながら磐座を眺め、頂上まで行って折り返してこようと再び山を登ります。
磐座の横には道がないため、磐座の下を通ることになりますが、手前の平たい岩が滑りやすそうなので、細い樹を握りしめながら磐座を越えていきます。
ほどなく山頂に着くと祠が祀られ、祠の奥は琵琶湖の絶壁になる。
ここで途中で追い抜いてもらった方と再会しましたが、2人の会話は興味深いものでした。
“琵琶湖の対岸には白髭神社(高島市)があり、望遠鏡があったら湖上の鳥居が見える。三重県方向の遥か先には伊勢神宮がある。”
“白髭神社と津田山頂と伊勢神宮は一本の直線で結ばれる、神社はそういう見方をしないといけないよ。”...思わず納得。
祠の横にはもう一つの磐座があり、「天之御中主神の磐座」とよばれているといい、天之御中主神は天地初発の時に、高天原に出現した最初の神とされるという。
磐座は石垣に囲まれていることからこの磐座が御神体となるのかと思われ、山全体が神体山なのだろうと実感できる。
磐座は一つの山のような形をしており、神体山の頂上にもう一つの山のような形をした御神体が祀られるという言い方も出来そうです。
2つの磐座を見て充分堪能しましたが、長命寺~津田山のルートから国民休暇村への分岐を進んだところには「天之御中主尊」の磐座があると知ったのは後の祭り。もう一度この山に登らないといけませんね。
津田山の山頂と三角点は頂上の磐座を少し進んだ場所にありました。
津田山(別名:奥島山)標高424.7m。約1時間くらいあれば登頂できます。
ところで、この津田山には「空奏テラス」という琵琶湖の絶景が眺められる大岩があるといいます。
琵琶湖を眺めて一息入れたら下山して、長命寺の太郎坊大権現へ参拝しよう。...続く。
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