山登りを始めたのは昨年からですが、それまでは登山目的以外で山に登ることがあり、それは野鳥であったり、奥宮や奥之院、磐座や巨樹や古墳や滝と目的は様々でした。
従って山頂近くまでは登っているけど山頂標識や三角点のある場所には行っていない山が多々あり、山登りで山頂まで行くことが増えてきています。
滋賀の低山をメインに登っていますのでピークハントといえるレベルではないのかもしれませんが、せっかく登ったのに山頂を知らないというのは何となく手落ち感があります。
山頂近くの磐座まで行きながら山頂へ行っていない山のひとつに多賀町の青龍山があり、胡宮神社への参拝ともう一度磐座を見たいということで、まず胡宮神社へと向かいました。
胡宮神社は青龍山の磐座信仰が起源とされており、敏達天皇の勅願ともされる神社で、御祭神は近くにある多賀大社と同じ伊邪那岐命と伊邪那美命をお祀りしています。
鎌倉時代には天台宗敏満寺の鎮守社として祀られていたものの、戦国時代に織田信長の焼き討ちにより衰退してしまい、1638年に徳川家光により造営され復興を遂げたといいます。
尚、胡宮神社の正式な住所は多賀町敏満寺ですから、地名にその歴史を留めています。
敏満寺は聖徳太子が開基したとされ、湖東三山と並ぶほど繁栄した寺院とされておりますので失われた仏像や建築物は多かったことでしょう。
滋賀県の山麓の寺院にはかつて天台宗寺院だったが信長の時代に消滅または衰退した寺院が多くあります。
一般的には「比叡山焼き打ち」だけが有名ですが、焼かれてしまって今では名も知られていない寺院や廃寺が幾つもあります。
拝殿から参拝した後、敏満寺の名残りともいえる大日堂や観音堂のエリアへ行くと、無数の石仏が祀られている場所がある。
境内の奥には「敏満寺石仏谷墓跡」があり、12~16世紀の石仏や五輪塔・骨蔵器などが1000点以上発掘されているというが、復元工事等で立入出来ない場所があり諦めました。
裏参道の鳥居の先から熊野神社を通り過ぎて山の方に進むと青龍山登山口があり、獣除けの鉄柵を開いて誰もいない山に入ります。
これでまた山の中の檻の中に一人だけ状態が始まります。最初は木段が続きますのでひたすら木段を登っていきます。
登山道から少し道を外れたところに「御池」があり、寄り道して道を下ります。
御池は、磐座を御神体として祀った山岳信仰の時代に身体や供物を潔斉し、日照りの時には雨乞いをした池だという。
御池には水はあったものの水量はわずかで、むしろ後方に拡がるシダの群生の鮮やかな緑に目がいってしまいます。
登山道まで登り返してくると、そこから先は道の両端にシダが生えており、御池の上部に広がっていたシダの道を歩くことになる。
あまりシダの群生の横を歩くのは好きではないので自然に足は速くなり、とにかくシダの道から抜けることだけを考える。
道の先には山頂への道と磐座への道の分岐があり、先に山頂方向へ歩を進める。
次の分岐にあった看板には“史跡の森 ここから たにのみち”と書かれていましたが、“たにのみち”は荒れているような感じで、あまり人の通らない道なのかと思います。
山頂方向への道を進むと青龍山の山頂らしきが見えてきて山頂近しを実感します。
歩く途中ではコゲラの声や姿をよく見聞きし、ウグイスのまだヘタな囀りも聞こえてきて低山登山の気持ちの良い道が続きます。
最後の急な木段を登りきると山頂表示と三角点がある山頂部に到着です。
標高333mですので30分足らずで登れる山とはいえ、到達感が感じられます。
取り合えずリュックを降ろして上着を脱いで少し風に当たって一息入れます。
三等三角点がある山頂の標高は、333mで3ばかりが並ぶ山なのもちょっと面白く、来てみて良かったと思えた山でした。
山頂エリアはそこそこ広いので東側へ回り込んでみましたが、木が邪魔でよくは見えない。しかし西側は琵琶湖までの景色が一望できます。
目の前にあるのは大門池、田園部には犬上川が龍のように流れ、奥に見えるは荒神山でしょうか。残念ながら琵琶湖はガスっていてよく見えません。
山頂から下って最初の分岐まで戻ると、“神の森 ここから いわくらの道”とある。
この道は一度通った道ですので安心して歩いて行くと、突然のように磐座と祠の祀られた場所に出ます。
前回はこの磐座が骸骨のような顔に見えて仕方なかったのですが、今回はそうは見えなかった。
磐座が変形することはありませんから、見るこちらの感性が変わったということなのかと思います。
下山してから胡宮神社の境内を散策し、メジロの登場を期待して満開の梅を見ていましたが、気配すらなし。
登山道ではネットを被せた木を何回もみましたが、ササユリを育てているようでもありましたので花期に訪れるのもいいかもしれません。
従って山頂近くまでは登っているけど山頂標識や三角点のある場所には行っていない山が多々あり、山登りで山頂まで行くことが増えてきています。
滋賀の低山をメインに登っていますのでピークハントといえるレベルではないのかもしれませんが、せっかく登ったのに山頂を知らないというのは何となく手落ち感があります。
山頂近くの磐座まで行きながら山頂へ行っていない山のひとつに多賀町の青龍山があり、胡宮神社への参拝ともう一度磐座を見たいということで、まず胡宮神社へと向かいました。
胡宮神社は青龍山の磐座信仰が起源とされており、敏達天皇の勅願ともされる神社で、御祭神は近くにある多賀大社と同じ伊邪那岐命と伊邪那美命をお祀りしています。
鎌倉時代には天台宗敏満寺の鎮守社として祀られていたものの、戦国時代に織田信長の焼き討ちにより衰退してしまい、1638年に徳川家光により造営され復興を遂げたといいます。
尚、胡宮神社の正式な住所は多賀町敏満寺ですから、地名にその歴史を留めています。
敏満寺は聖徳太子が開基したとされ、湖東三山と並ぶほど繁栄した寺院とされておりますので失われた仏像や建築物は多かったことでしょう。
滋賀県の山麓の寺院にはかつて天台宗寺院だったが信長の時代に消滅または衰退した寺院が多くあります。
一般的には「比叡山焼き打ち」だけが有名ですが、焼かれてしまって今では名も知られていない寺院や廃寺が幾つもあります。
拝殿から参拝した後、敏満寺の名残りともいえる大日堂や観音堂のエリアへ行くと、無数の石仏が祀られている場所がある。
境内の奥には「敏満寺石仏谷墓跡」があり、12~16世紀の石仏や五輪塔・骨蔵器などが1000点以上発掘されているというが、復元工事等で立入出来ない場所があり諦めました。
裏参道の鳥居の先から熊野神社を通り過ぎて山の方に進むと青龍山登山口があり、獣除けの鉄柵を開いて誰もいない山に入ります。
これでまた山の中の檻の中に一人だけ状態が始まります。最初は木段が続きますのでひたすら木段を登っていきます。
登山道から少し道を外れたところに「御池」があり、寄り道して道を下ります。
御池は、磐座を御神体として祀った山岳信仰の時代に身体や供物を潔斉し、日照りの時には雨乞いをした池だという。
御池には水はあったものの水量はわずかで、むしろ後方に拡がるシダの群生の鮮やかな緑に目がいってしまいます。
登山道まで登り返してくると、そこから先は道の両端にシダが生えており、御池の上部に広がっていたシダの道を歩くことになる。
あまりシダの群生の横を歩くのは好きではないので自然に足は速くなり、とにかくシダの道から抜けることだけを考える。
道の先には山頂への道と磐座への道の分岐があり、先に山頂方向へ歩を進める。
次の分岐にあった看板には“史跡の森 ここから たにのみち”と書かれていましたが、“たにのみち”は荒れているような感じで、あまり人の通らない道なのかと思います。
山頂方向への道を進むと青龍山の山頂らしきが見えてきて山頂近しを実感します。
歩く途中ではコゲラの声や姿をよく見聞きし、ウグイスのまだヘタな囀りも聞こえてきて低山登山の気持ちの良い道が続きます。
最後の急な木段を登りきると山頂表示と三角点がある山頂部に到着です。
標高333mですので30分足らずで登れる山とはいえ、到達感が感じられます。
取り合えずリュックを降ろして上着を脱いで少し風に当たって一息入れます。
三等三角点がある山頂の標高は、333mで3ばかりが並ぶ山なのもちょっと面白く、来てみて良かったと思えた山でした。
山頂エリアはそこそこ広いので東側へ回り込んでみましたが、木が邪魔でよくは見えない。しかし西側は琵琶湖までの景色が一望できます。
目の前にあるのは大門池、田園部には犬上川が龍のように流れ、奥に見えるは荒神山でしょうか。残念ながら琵琶湖はガスっていてよく見えません。
山頂から下って最初の分岐まで戻ると、“神の森 ここから いわくらの道”とある。
この道は一度通った道ですので安心して歩いて行くと、突然のように磐座と祠の祀られた場所に出ます。
前回はこの磐座が骸骨のような顔に見えて仕方なかったのですが、今回はそうは見えなかった。
磐座が変形することはありませんから、見るこちらの感性が変わったということなのかと思います。
下山してから胡宮神社の境内を散策し、メジロの登場を期待して満開の梅を見ていましたが、気配すらなし。
登山道ではネットを被せた木を何回もみましたが、ササユリを育てているようでもありましたので花期に訪れるのもいいかもしれません。
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