僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

映画「パーフェクト・デイズ」とルー・リード「パーフェクト・デイ」

2024-03-29 12:20:20 | アート・ライブ・読書
 最近、有料チャンネルと契約してみたら、見たいコンテンツがそれなりにあってコスト・パフォーナンスは中々良いのではないかと思っています。
とはいえ、年に何回かは劇場の大画面で映画を見たいですし、現場の雰囲気を感じながらホールで音楽や落語を聞きたくなります。

久しぶりに映画館に行きたいなぁと上映予定を検索すると、ヴィム・ヴェンダース監督、役所広司・主演の「パーフェクト・デイズ」が公開されているのを発見。
公開は2023年12月22日からでしたが、ロングラン上映になっていたため、まだ見ることが出来たのは偶然の幸運でした。



主人公の役所広司は、決められたルーティーンのように毎朝外の掃き掃除の音で目覚め、歯磨きと髭のカット、自動販売機のコーヒーを買って仕事に出かける。
仕事はトイレ清掃員で几帳面に掃除した後は銭湯に行き、安い定食屋で一杯飲んで、帰宅後は古本屋で買った本を読んで寝る。

何の変哲もない同じ日常の繰り返しながら、昼に神社の境内でサンドイッチを食べながら古いフイルムカメラで木漏れ日を撮ったり、木の苗があったら持ち帰って育てる。
違った選択をするとしたら、出勤や移動時にカーステでかける60年代後半から70年代の音楽のカセットテープのチョイスになる。



流れる音楽は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、オーティス・レディング、映画の主題にもなっているルー・リードの「パーフェクト・デイ」。
パティ・スミスにローリング・ストーンズ、ヴァン・モリソン、アニマルズ、キンクスなど。

特にルー・リードの「パーフェクト・デイ」は、1972年にアルバム『トランスフォーマー』に収録された曲で、映画の途中とエンドロールの2回流れて重要な役割をしている。
この曲は、いろいろなアーティストにカバーされており、2002年に演奏された三大テノールのルチアーノ・パヴァロッティとのコラボレーションは感涙もの。

他の映画で使用されて印象の深いところでは、1996年のイギリス映画「トレインスポッティング」で主人公のレントンがヘロインを打って昏睡状態となるシーンに流れる。
海外ドラマシリーズでは「ウエストワールド」シーズン4の第5話でシャルロットが路上で始まった舞踏会の曲として血まみれの指のピアノ弾きが演奏する。



役所広司は無口な男の設定でセリフは極端に少ないが、微妙な表情の変化の演技で第76回カンヌ国際映画祭の男優賞を受賞しています。
同僚の柄本時生のいい加減さやホームレス風の田中泯は存在感があり、共演者は目立ち過ぎない程度に役を演じています。

行きつけの一品料理屋のママの石川さゆりが「朝日のあたる家」を唄いますが、これは浅川マキのバージョン。
演奏は、何と一品料理屋の常連客のあがた森魚が弾くアコギです。映像で見るあがた森魚、これは個人的に嬉しく感じた場面です。



映画は途中からそれぞれの登場人物の事情を交えながら進んで行きますが、東京スカイツリーが近くに見えるアパートは古めかしく、部屋には生活感はない。
部屋にあるものは、ロックのカセットテープと本とせんべい布団と着替え程度。
豊かさのようなものはない変わりに喪失感のようなものもなく、ただ淡々と同じ日常を暮らしている。

バーのママの元夫で死期の近い三浦友和の「影は重なると濃くなるのかな。結局、なにも分からないまま人生を終えるのだ」という言葉は印象に残る。
三浦友和の問いかけに対しての返答は「濃くなってますよ!変わらないなんて、そんなバカなことはないですよ!」と答える。


(パンフレットが映画館で売り切れていたのでネットで購入)


映画のラストシーンは、車を運転する役所広司が微笑みから感極まったような表情へと変わっていくシーンが長回しで続きます。
流れる曲は、ニーナ・シモンの「フィーリング グッド」。
サビは、♪ 夜が明けて 新しい一日が始まる 私は私の人生を生きる 最高の気分だ ♪と歌われる。

映画の主題となっているルー・リードの「パーフェクト・ディ」の歌詞では下のように歌われる。

 ただただ完璧な一日だ
 公園でサングリアを飲んで
 そして、その後辺りが暗くなって、僕たちは家路に着く

 ただただ完璧な一日
 動物園で、動物達にエサをあげて
 それから映画でも観て、そして家に帰る
 あぁ、なんて完璧な一日なんだろう

 <中略>
 自分の蒔いた種は、すべて刈り取らなくてはいけない
 自分の蒔いた種は、すべて刈り取らなくてはいけない
 自分の蒔いた種は、すべて刈り取らなくてはいけない

この映画はいい意味で余韻の残る映画だったと思います。
当方の場合、この映画への入口は60~70年代の音楽でしたが、映像美であったり役者のファンであったりする人もおられると思います。
あるいは金延幸子さん、古本のウィリアム・フォークナーや幸田文やパトリシア・ハイスミスなのかもしれません。
選択のセンスの良さが際立って、見る人の心のどこかをかぎ針で引っ掛けていくように、隠れた素材が随所に埋め込まれている映画でした。



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