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“男のためのガーデニング”改め

「イスラエル博物館所蔵 ピカソ-ひらめきの原点」~佐川美術館~

2022-08-14 09:15:15 | アート・ライブ・読書
 パブロ・ピカソほど名前を知られている20世紀の画家は他に類を見ない反面、時代によって作風は大きく変化し、つかみどころのない作品が多い。
また、生涯に制作した作品は約15万点を超えるといい、その作品数はギネスブックにも登録されているという多作な作家です。
佐川美術館では「イスラエル博物館」で所有されている800点あまりのピカソ・コレクションから約130点の作品が公開展示されています。

「イスラエル博物館」のピカソ・コレクションがまとまって紹介されるのは日本初とのことでしたが、先に感想を書くと“よく分からない”というのが実際のところでした。
版画作品が多く、表現方法を模索していたり、絵の技術の高さが分かる作品と落書きに近いような作品が並ぶ。
繰り返し登場する抽象的なミノタウロスやピカドールなどは、何を象徴しているのかなど考えずに見た方がいいような気もしてしまう作品群です。



熱中症警戒の屋外から展示室に入ると、もの凄く寒いが、これは作品保護のために室温が20℃前後に設定されているためとのこと。
ピカソの作品分類での初期は「青の時代」(1901-1904)、「ばら色の時代」(1904-1906)があり、今回の展示ではその2つの時代が「サルタンバンク・シリーズ」としてまとめられている。
この時代の作品は版画作品が取り上げられていて「エッチング」「ドライポイント」「グワッシュ」などの手法で作品が作られています。


パブロ・ピカソ《貧しい食事》 〈サルタンバンク・シリーズ〉より

次の1910-1920年は「分析的キュビスム」「総合的キュビスム」という聞き慣れない技法で描かれた作品が並ぶ。
「分析的キュビスム」は、円筒・球・円錐などを使った非遠近法の手法で一般的に言うキュビズムのことで、「総合的キュビスム」は、写真や新聞の切り抜きを貼り付けたコラージュを言うそうです。

ピカソにまつわる話ではその時代ごとに愛した女性の影響があるといわれることがあるという。
最初の恋人フェルナンド・オリヴィエと付き合っていた時代は「青の時代」や「ばら色の時代」だといい、常に喧嘩の絶えなかった二人は7年間で破綻したという。

その後、フェルナンド・オリヴィエの友人エヴァ・グエルと付き合っていた時代は「キュビズム」、最初の妻のオルガ・コクローヴァの時代は「新古典主義」。
オルガ・コクローヴァとうまくいかなくなったピカソは、29歳年下の17歳のマリー・テレーズを愛人にするものの、最後は破綻してしまう。


パブロ・ピカソ《顔マリー・テリーズ》

「顔マリー・テレーズ」は精密に描いた1928年の作品で、デッサン力の高い絵からはマリー・テレーズが美しい女性だったことが伝わります。
シュールリアリズムの手法でマリーテレーズを描いた「夢」はネット等で目にする作品ですが、同じモデルを描いても全く違う絵を描くのはピカソゆえということなのでしょう。

マリーテレーズが娘を出産を出産すると、ピカソは今度は写真家のドラ・マールと関係を持ち始め、「ゲルニカ」の制作中の過程を撮影したといいます。
ドラ・マールはその後精神を病んでしまいますが、次に愛人にしたのは22歳の画学生フランソワーズ・ジローでした。この時ピカソは62歳といいますから実に40歳差の愛人です。


パプロ・ピカソ《髪にリボンをつけたフランソワーズ》

精密に描かれた「顔マリーテレーズ」と書き散らかしたような「髪にリボンをつけたフランソワーズ」が同じ作家の作品とは思えません。
ショップのトートーバッグにこの絵を使っていましたが、バッグのデザインになるとこの絵は全く違った印象になり、お洒落なバッグになっていたのに驚きました。


パブロ・ピカソ《灰色の背景のフランソワーズ》

同じフランソワーズを描いた作品でも「灰色の背景のフランソワーズ」は亜鉛版リトグラフの技法で描いた陰鬱さを感じてしまう作品です。
フランソワーズ・ジローはピカソがまだ妻のオルガとも愛人のマリーとも切れていなかったピカソに嫌気がさして出ていったそうですが、ピカソはこれには大きなショックを受けたそうです。

ピカソの女性遍歴もこれで終わりかと思いきや、ピカソ73歳頃に45歳年下のジャクリーヌ・ロックと2度目の結婚をしたといいます。
女性遍歴を見ると飽きっぽく家庭的な人ではなさそうですが、恋するたびに自分の中に変化が起こり、新しい世界にのめり込んでいったようにも思えます。

1938年に油彩で描かれた「海の前の女」は、ピカソの母の一か月後に描かれたものだといい、パブロ・ピカソのピカソの姓は母親の姓なのだそうです。
ピカソの創作活動にはミューズたちとの出会いがインスピレーションの源になっていたのでしょうか。


パブロ・ピカソ《海の前の女》

よく分からないままに美術館を後にすることになりましたが、次回の佐川美術館の特別企画展は「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展」~お化けたちはこうして生まれた~です。
どうやら来月もまた佐川美術館へ行くことになりそうです。



帰り道、いくつかあるヒマワリ畑のひとつに立ち寄って、ヒマワリの花をパチリ!
盛夏ですね。





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