原地区などにみられる田んぼの下にある地下通水路で、廿日市町史通史編(下)の民俗稿にはタンポ(原地区)とあるが原地区の呼称ではないものと思われる。
原地区は傾斜地を開墾して田んぼを造っているので石積みが高く湧水が出るところに地下通水路が設けられたものとみられる。明治10年(1877)の原村景況書には「田底ニ水通水門有、故ニ穴アク事多シ」とある。
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