平良地区と原地区境にある標高156mのゴゴロ山でなぜこのような珍しい呼称となったのであろうか。江戸期、享保10年(1725)の原村野山腰林山帳に「こころ山」、明治5年(1872)の上平良村地券申受帖に「伍頃山」とあり、大正15年(1926)の平良村是に山林字で「ゴゴロ」がみられる。
ゴゴロ山の西麓では弥生式土器が出土し弥生人の痕跡が残されていたようである。周辺では須恵器も出土し山中には近世から近代の墓地もあることから古くから葬地とされていたようである。
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