昨日紹介した里程基石標に「享保廿一丙辰三月吉日」「廿日市西濱町、常夜燈中」とあったが、これは享保21年(1735)頃に西浜町で常夜燈中という天神山にあった常夜燈の維持管理組織が出来ていたことがわかるのである。
江戸期、廿日市の湊には交易のために諸国から商船が入津しており、夜間の入津の目印に見晴らしのよい天神山に常夜燈が設置されていた。現在残されているものは明治23年(1890)5月に設置されたもので海上安全と大きく刻られている。
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