原地区を流れる川末川に架かる下ケ原橋で遠くに古戦場の折敷畑山(矢印ケ所)を遠望する。戦記物語「吉田物語」によると平良辺は「セウトウ岩有りて、五間・十間も馬など乗られ候場なく、足懸り悪く候」とあり、陶勢は「平良の郷を志し、下の原と申す所迄押し下る」とあるので、折敷畑山~下ケ原~上平良では厳島合戦の前哨戦の戦いが行われていたようである。(折敷畑山合戦絵図部分-市教委蔵)
原地区を流れる川末川に架かる下ケ原橋で遠くに古戦場の折敷畑山(矢印ケ所)を遠望する。戦記物語「吉田物語」によると平良辺は「セウトウ岩有りて、五間・十間も馬など乗られ候場なく、足懸り悪く候」とあり、陶勢は「平良の郷を志し、下の原と申す所迄押し下る」とあるので、折敷畑山~下ケ原~上平良では厳島合戦の前哨戦の戦いが行われていたようである。(折敷畑山合戦絵図部分-市教委蔵)