原地区川末にある広電バスの川末車庫跡で車庫棟続きに朽ち始めた宿舎跡がある。昭和37年(1962)頃には広島バスセンターや廿日市から川末行きが6便あり、終便が21時33分着、乗務員はここで宿泊して翌朝6時35分に廿日市行きの始発便が出ていた。この便のほかに広島バスセンターから原(原療養所口)行きが11便あったようである。
現在は空気を運んでいる状態の広電バスが広電廿日市市役所前駅から川末車庫跡裏の転回広場まで10便が運行されているようである。
原地区川末にある広電バスの川末車庫跡で車庫棟続きに朽ち始めた宿舎跡がある。昭和37年(1962)頃には広島バスセンターや廿日市から川末行きが6便あり、終便が21時33分着、乗務員はここで宿泊して翌朝6時35分に廿日市行きの始発便が出ていた。この便のほかに広島バスセンターから原(原療養所口)行きが11便あったようである。
現在は空気を運んでいる状態の広電バスが広電廿日市市役所前駅から川末車庫跡裏の転回広場まで10便が運行されているようである。