『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

桂公園の紅葉

2010年11月15日 | 「廿日市地区」ぶらり


桂公園は桜の名所であり春は花見客で賑わうところであるが、現在は桜の葉の紅葉が見頃である。
山隅衛の歌碑「ふるさとの 町のいらかを 見にのぼる 城あとの山 春蝉のなく」の上には桜の葉の紅葉と下には落ち葉のジュウタンで彩られている。

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速谷神社の紅葉

2010年11月14日 | 「廿日市地区」ぶらり


速谷神社の境内には多くの樹木がみられそれらの中でモミジ、イチョウ、桜の葉の紅葉は見頃である。
昨日、境内には七五三参りの親子が数組みられ露店が2軒出店していた。日曜日である本日はお参りが多いのではなかろうか。

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三槍社

2010年11月13日 | 「大野地区」ぶらり


三槍谷地区の旧西国街道沿いにある三槍社で大頭神社の末社4社の内の1つのようである。
江戸期の地誌によると宮有谷三槍社とあり祭神は大頭神社の分身の神とある。

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波佐速田神社

2010年11月12日 | 廿日市関連


浜田市金城町波佐にある波佐速田神社で2本のかた木の巨木に囲まれた小社である。
当地の旧家文書によると天正11年(1583)に安芸国佐伯郡平良村の速田神社を分祀し奉斉したということである。平良地区にある速谷神社は中世から近世には速田神社と称していた。
西中国山地の真っただ中の集落とどのような交流、経緯があって、以前紹介した青原厳島神社や波佐速田神社が勧請されたものであろうか。

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熊の引っ掻き痕が

2010年11月11日 | 「廿日市地区」ぶらり


先日原地区で有害鳥獣捕獲檻にて熊が捕獲されたようであり、捕獲檻の脇にある杉の木にはすざましい引っ掻き痕が残っていた。
西中国山地では樹木に熊の引っ掻き根があるのを見ることがあるが、これほどのものはなく檻の中から必死に引っ掻いたものであろう。身の毛のよだつ恐怖を感じ山地から早々に退散した。

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岡ノ下井戸跡碑と上水道敷設記念碑

2010年11月10日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


佐伯区境にあるスパーク横で屋代川土手下に岡ノ下井戸跡碑と上水道敷設記念碑が建立されている。
屋代川筋の新開地に大正の初め頃、佐方より入植してここに井戸を掘って用水としたようで、昭和33年(1958)頃に上水道が敷設されたようである。

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手押しポンプ「KAWAMOTO・DRAGON」

2010年11月09日 | 「廿日市地区」ぶらり


原地区の市営住宅長橋団地の脇に㈱川本製作所の手押しポンプ「KAWAMOTO・DRAGON」が残されているが、柄がないので使用はされていないようである。
川本製作所のHPによると昭和30年(1955)にドラゴンポンプが発売されたようで、現在でも手押しポンプ「ドラゴン」が製造されているようである。手押しポンプが残されている周辺の状況から長橋団地で使用されていたのかも知れない。

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クマに注意

2010年11月08日 | 「廿日市地区」ぶらり


上平良地区にある梅雨太郎の入口に「クマに注意」と立て看板が立てられていた。
昨年まで熊の出没は西中国山地のことと思っていたが、最近この場所よりひと山越えた原地区で熊が捕獲されたようである。
毎日のように人里での熊の出没や被害が報道されているがよそ事ではなくなったのである。

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平良っ子ふれあいフェスティバル

2010年11月07日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日は平良小学校で「平良っ子ふれあいフェスティバル」が開催され、体育館では将来を担う平良っ子たちの歌声や合奏発表があった。
体育館舞台左手には昭和55年(1980)3月の卒業記念の校歌額が掲げてあり、遥か昔の在りし日を思い出しながら口ずさんだ。

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四和校之跡碑

2010年11月06日 | 「佐伯地区」ぶらり


下所山バス停の近くの旧四和小学校・三興中学校四和分校の跡地にある四和校之跡碑で脇には四和校沿革碑が建立されている
四和村は飯山村、中道村、栗栖村、虫所山村が明治22年(1889)合併した村で、かつて交通の要地であった所山の近くのこの地に小中学校が設置されたようである。現在旧校地の片隅に佐伯高感度地震観測所が設置されている。

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幸神社の鳥居

2010年11月05日 | 「宮島地区」ぶらり


町屋通りから千畳閣に向かう途中にある幸神社の鳥居で厳島神社の大鳥居と同じ両部鳥居が石造で建立されている。
この鳥居は明治30年(1897)8月に建立されている。江戸期の「芸州厳島図会」には笠木が板葺きのように表示されているので当時は木造の鳥居があったものとみられる。

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天満神社の狛犬

2010年11月04日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日紹介した天満神社の表参道の石段途中に建立されている狛犬で前足を屈めて尻を上げた姿のものである。
明治40年(1907)10月に寄進され建立されたもののようである。

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津和野藩御船屋敷家中が寄進の石手摺

2010年11月03日 | 「廿日市地区」ぶらり


天満神社の随身門前にある石段の石造手摺で津和野藩御船屋敷の田原小左衛門の寄進によるものである。田原小左衛門は佐方八幡神社の狛犬も寄進している。
古来の参道は横小路より蓮教寺横からであったが、幕末期に町人による土地寄進によって西国街道からの参道(現在の表参道)が文久2年(1862)ころに築造整備されたようである。

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左右楽房の屋根

2010年11月02日 | 「宮島地区」ぶらり


厳島神社の平舞台上にある左右楽房は屋根に反りがなく直線的であるが、古絵葉書をみると古い時代には他の社殿と同じように屋根に反りがあったのである。この絵葉書には征露紀念と記されているので日露戦争以前に写されたものとみられる。
明治38年(1905)6月に発行された厳島写真帖の写真では楽房の屋根は反りがなく直線的であり、明治35年(1902)から行われた修繕工事で様式が改変されたようである。

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天満神社奉納絵馬

2010年11月01日 | 「廿日市地区」ぶらり


天満神社拝殿に毎年秋祭りに行われている神輿の渡御行列を描いた絵馬2点が掲額されている。この絵馬は昭和27年(1952)の菅原道真1050年祭紀念に奉納されたもののようである。
天満神社から御旅所の新宮神社に渡御して祭典があり天満神社に還御する渡御行列で、江戸期の地誌にも記されているものである。昔の記憶によると奴の毛槍振りや投げ渡しが印象的であり、行列に随従するハナにおっかけられたものである。

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