当地の状況。

未曾有の大地震と津波。
被災された皆様には、お見舞い申し上げます。
また、犠牲になられた方々、ご家族にはお悔やみ申し上げます。

北海道太平洋沿岸西部の当地も、大津波警報で避難指示が出て、家族で避難していた。
ウチの標高は、地形図によれば2.5メートルしかない。
地形図の0メートルである基準海面は、東京湾の平均海面だ。だから実際は、必ずしも海面から2.5メートルとは限らない。
当地で観測された津波の最大波高は、1.8メートルだった。しかし、実際に浸水したのは、漁港付近の低地の一部だったと聞いている。
なので、観測波高が下がってきた昨日からは自宅待機して、大きな余震があれば避難できる態勢にしていた。

避難所は、近くの公民館。標高は、ウチよりむしろ低い。ハコモノ行政の象徴のような、小さな町には似つかわしくないほど立派な、流されそうもない頑丈なのだけが取柄の、コンクリート造2階建てだ。
予想された最大波高が本当に来ていたら、公民館の2階に上がっても危ないだろう。
と思ったので、当初は山のほうに逃げていた。
しかし、日没とともに冷え込みがきつくなってきて、トイレもない、情報もないので、カーラジオやワンセグの情報を基に、避難所への移動を判断したのだ。
町内全域で、避難所に入ったのは1000人弱だったと聞いている。
駒ケ岳噴火に備えた防災用品があったので、毛布はすぐに配布された。
しかし、みんな腹をすかせていた。
夜になって、お茶が出された。役場で炊き出しを準備しているとの事だった。
実際に食事が出たのは、9時も過ぎた頃で、2個入りのおにぎりが、数が足りずに2人で1個ずつになった。
ロビーのテレビは見れたが、他の部屋ではテレビもなく、町の防災無線は館内では聞こえず、という具合で、避難所の運用としては、まあトイレがあるのだけが取柄だったな。

函館の高校に通う次男は、大津波警報に伴いJRが運休になり、JRの指示で、駅前のホテルに避難していた。
避難所は2Fと3Fで、函館を襲った津波の様子がよく見えたという。
家族で唯一、最も安全な場所にいたわけなので、そのまま避難を続けさせた。
遅くなってからやっと、水とカンパン、非常食のおこわが出たらしいが、毛布はなかなか行き渡らず、寝場所は並べた椅子の上だったらしい。
こっちの避難所と大差ないな。ホテルなのに。場所貸すだけかよロ○ジール。

そして、一夜明けて昨日の朝、次男を迎えに行き、やっと家族が集合できた。
ウチ関係では、関東甲信在住の親族を含め、被害はなかった。

昨夜警報が注意報になり、JRは今朝から運行再開になっている。

流された仙台空港に、友人が勤めているはずなのだが、彼と連絡が取れていない。
見てたら連絡くれ、S。
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