勅使河原宏「古田織部-桃山の茶碗に前衛を見た」1992年4月、日本放送出版協会発行を読んだ。
この本の題名は「古田織部」だが、大部分は著者自身の芸術生涯の変遷を語っている。その中で、新鋭監督から陶芸、茶道、生花など多彩な才能を発揮させる転機となったのが、織部の沓(くつかけ)茶碗との出会いだったという。
最初に、勅使河原宏(てしがわら・ひろし)をご存知ない方のために、簡単に紹介する。1927年、前衛的な生花の草月流を創設した勅使河原蒼風の長男として生まれ、1950年東京美術学校(現芸大)を卒業し、絵画を描いていた。前衛活動から、新感覚の映画監督として活躍し、「砂の女」はカンヌ映画祭審査員特別賞を受賞した。織部の沓茶碗に出会い、陶芸も行うようになる。織部から利休へ導かれ、茶道にものめりこむ。父、そしてあとを継いだ妹の霞も急死したことにより、1980年草月流第三代家元継承した。2001年74歳で死去。
著者と織部との最初の出会いは、1980年ごろ、織部の沓茶碗を見たときだ。大きくゆがんだ茶碗はまるでアバンギャルド(前衛芸術)だと驚愕する。織部焼のゆがみは、世界の陶器のどのようなものにも感じられない革命的なものだという。
作者は、利休という映画も作っていて、この本にも利休の話もよく出てくる。利休が秀吉の怒りをかい、切腹させられることになり、京から堺に向かう。他の門人が秀吉に遠慮してなりをひそめているとき、淀の渡しまで見送りにでたのは、細川忠興(ガラシャ夫人の夫、熊本細川家の始祖)と古田織部だけだった。
そして、その古田織部も徳川家康に切腹させられることになる。そのとき、大河内正綱(松平伊豆守信綱の実父)が言ったという。「織部という人は、世の宝をそこなう者である。床の間の掛物も、かっこうが悪いといって、切り捨て、茶碗、茶入なども、疵がひとつもついていないのを、わざと打ち割って、これをつくろい、その趣が面白い、などといっているから、このようなことになると、予想していた」
安定を求める江戸時代は、革新的芸術家、古田織部を生かしてはおかなかった。
著者は、陶芸にかかわらず、何かにとりかかるときには、その世界の常識、経験、ときには技術にさえとらわれずに、直接飛び込んで体験するという。新しいものを創造するための方法であろうが、何にでも一流の才能を持っている著者とは違い、普通の人ではすぐに行き詰るだろう。
この本の内容を知るために、目次を紹介する。
映画「豪姫」の古田織部
四百年前の茶碗のメッセージ
死の壁の向こうの文化
熱い映画の委節が通り過ぎた
土との出会い 土による発見
福井の自然は体に入ってきた
広大な二畳の草庵が語るもの
「さすがに道の遠ければ」
投げつけられた竹 嫌われた黒
ヨーロッパ文化の波としぶき
茶の建築と回想のガウディー
同朋衆を率いた美の探求者
「花は野にないように」
創造者の時代を通って現代へ
勅使河原宏(てしがわら・ひろし)は、1927年東京で勅使河原蒼風の長男として生まれた。同年は父が前衛的な生花の草月流を創設した年であった。2001年74歳で死去。
1950年東京美術学校卒。劇映画第一作「おとし穴」でNHK新人監督賞、」1964年「砂の女」でカンヌ映画祭審査員特別賞受賞。1973年福井に草月陶房開設、1980年草月流第三代家元継承、1989年「利休」で芸術選奨文部大臣賞、モントリオール映画祭最優秀芸術賞受賞。
私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
勅使河原宏に興味のある人にはお勧めだが、織部焼を目的に読もうとする人は失望するだろう。
また、伝統、経験により積み上げたものを地道な修行によって継承することが、革新のための妨げになるとの著者に考え方には私は納得できない。しかし、それは多分、前人の成果の積み上げの上にしか新しい物を作り出せない科学技術の世界に私はなじみがあり、そうではない芸術の世界を知らないためかもしれない。
勅使河原宏というと、草月流家元の長男でありながら、映画監督をしている変な人という記憶がある。大学のときに見た、原作者阿部公房自身の脚本で、彼が監督した「砂の女」にはびっくりした。なにしろ蟻地獄のような砂の中で暮らす映画だ。彼は、その後、インスタレーションなど多彩な活動をして、ありあまる才能を乱発した人との印象もある。
この本の最初に織部の焼き物の写真が16枚も並んでいて壮観だ。じっと見ていてあきることがない。なにごとも左右対称、完全無欠の外国の焼き物に比べ、このデフォルメ、というより、武骨で大胆な破壊エネルギー。文様も豪快。インパクトある黒織部もよいが、志野焼きの織部風?もよい。また、「破袋」との銘をもつ古伊賀耳付水指は、部屋の隅にでもころがっていたら、捨ててしまいそうだ。私は、この写真を3年間トイレに飾っていたが、毎日、何回かながめているうちに、ひびの入り具合、ドテッと座り込んだような姿になじみ、愛着を覚えるようになった。ゲイジュツは見るものによって作られる(ナンチャッテ)。
著者は言う。「私は花の美しさを瞬間的にとらえるとき、それが何の花かを見るのではなく、その美しさを、色と線に還元してしまう。花それぞれの固有名詞が気になるようないけばなではだめだ、というのが私の持論なのだ。」
美術館で絵画を見るとき、まず、隅にある小さなプレートをのぞき込んで、作者の名前を見てから、「ふむ、ふむ」と絵画を見る。時代遅れの教養主義にいまだにあこがれる人、それは私です。