信田さよ子著「選ばれる男たち 女たちの夢のゆくえ」講談社現代新書2002、2009年7月発行を読んだ。
まえがき
著者が本書を書こうとした動機は二つある。
ひとつは、アラカン(アラウンド還暦)の女性の視点から、同世代の男性について述べてみたいと思ったからである。・・・多くの中高年女性たちが、どれほど男性に失望、時には絶望しているかは意外と知られていない。・・・
もうひとつは、さまざまな媒体で目にする美しい男性(イケメン)たちについて書いてみたいと思ったからだ。・・・
結婚の夢破れて夫になんの希望ももてなくなった女性たちが、どこかで夢の男を求めている。
プロローグ おばさんも仲間に入れてほしい!
つるんとして美しい男たち ・・・イケメンには共通点がある。・・・男性の性的魅力の占める割合は極小化されているのだ。そして、これまで重要とされてきた「男の中身」などどうでもいいとされる。・・・
夢の男を一言で表せば、「女らしい」男のことである。・・・実は女性だって男性に同じことを求めているのだ。
第1章 妻たちの反乱―夢の男を求めて
この章はヨン様にはまってしまったという著者の言い訳じみていて、あまり説得力はない。
第2章 今度生まれてくるときは
克己と客観性・・・・これは時代遅れの価値観だ。オヤジたちはこの価値観を子供や妻に強要する。
日常の愚痴を聞いてもらおうとすれば、「結論を言え」「論理的に話せ」と言われる。鍋の煮物を焦がしてしまった時には、「計画的に手順を遂行していないからだ」「注意が散漫だからだ」と、まるで上司が部下を詰問するように責められる。
そこには感情の共有などかけらもなく、妻の日々の不全感や不満は捌け口を失い澱のように溜まっていく。
第3章 正義の夫、洗脳する夫
この章はカウンセラーでもある著者の得意をするところで、話も具体的で、分析も迫力がある。ドメスチック・ヴァイオレンス(DV)とは何か、そのひどい実例が挙げられる。
DVは直訳すれば家庭内暴力になるが、もともと日本では家庭内暴力は思春期の子供から親への暴力のことだった。70年代は、夫が妻を叩いても、それは暴力ではなくしつけだったのだ。だから、歯向かってはいけない子供の、親への暴力だけが、家庭内暴力と呼ばれたのだ。
夫のDVで家を出た女性に共通しているのが、・・・夫があのような行動をしたのは自分の態度が悪かったのではないかという根深い罪悪感がある。
夫の側の意識はその逆で、「妻があのような口のきき方をしたから」「妻が自分の非を素直に認めなかったから」という被害者意識に満ちている。
誰がみても明らかに残虐なDVもあるが、世間に満ちておりカウンセリングでしばしば出会うDVはそうではない。むしろ「正義をめぐる闘争」といったほうがいいだろう。夫たちの被害者意識は自分は正しいといる確信から生まれるのだ。
・・・妻なら俺の言うことをわかってくれるはずだ、妻は自分の正しいと思うことをそのまま実行すべきだ、妻ってそういうもんだろう、どうして自分が望むとおりに妻がなってくれないのだ・・・。
妻へのなんたる期待、なんたる依存だろうか。・・・日本で流通している規範的夫婦像ほど、男性の「甘え」を許容しているものはない。それも威張りながら甘えるという実にかわいげのない姿として現前している。
第4章 選ばれる男の条件
殴らない男(物を投げない男)、怒鳴らない男・暴言を吐かない男。
「君は僕と同じ人間だが、君を思いどおりにはできない」と考えること、やさしいこと(男性からみた理想的妻のように)、見上げること(敬意を払う)、ほめること、かわいいと思われること
エピローグ 草食系男子はホンモノか?
「男のくせにだらしない」などという脈々と流れる家族の常識のなかで、自然体で流れに逆らわない草食系男子がいつまでも草食系でいられるかについて著者は懐疑を抱いている。
著者信田さよ子は、1946年岐阜県生まれ。臨床心理士(原宿カウンセリングセンター所長)。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。専攻分野はアディクション(依存症)全般、アダルト・チルドレン、家族問題、ドメスティック・バイオレンス、虐待等。著書に「依存症」「母が重くてたまらない-墓守娘の嘆き」など。
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)
私も含めて、多くの男性が、いかに従来からの男性的価値観にとらわれていたか、そして、女性の考え方と見事にすれ違っていたことがよく分かる。
そして、なぜ女性が女性的男性を好むのかが分かった。確かに、従来の男らしい男という夫との家庭生活にむなしい思いを募らせてきた女性の反動なのだろう。
米国映画、TVなどで、ゲイの男性と仲良しの女性を見ると、確かにそんなのもありかとも思うが、相手として女性的男性が望ましいといわれると、愛玩用に限る話じゃないのと思う。あのノッペリし、笑顔を貼り付けたヨン様を見るたびに、「これは違うだろう」と思ってしまう。
著者は、女性からのDVの訴えを聞くカウンセラーなのだろうから、どうしても女性の味方だ。男性に辛すぎると思うこともあった。いや、少しだけなのだが。そう思わないと、私には読み進められない箇所もいくつかあった。反省!
しかし、米国をはじめとする肉食系男子の戦いの場であるグローバル市場で、女性的男性ばかりの日本経済の将来が心配になる。この著者には日本だけでなく、世界の状況も分析して欲しかった。とは言っても、江戸時代から「色男、金と力はなかりけり」と言われていたのだから、まあ、そんなに真面目に考えることもないか。
まえがき
著者が本書を書こうとした動機は二つある。
ひとつは、アラカン(アラウンド還暦)の女性の視点から、同世代の男性について述べてみたいと思ったからである。・・・多くの中高年女性たちが、どれほど男性に失望、時には絶望しているかは意外と知られていない。・・・
もうひとつは、さまざまな媒体で目にする美しい男性(イケメン)たちについて書いてみたいと思ったからだ。・・・
結婚の夢破れて夫になんの希望ももてなくなった女性たちが、どこかで夢の男を求めている。
プロローグ おばさんも仲間に入れてほしい!
つるんとして美しい男たち ・・・イケメンには共通点がある。・・・男性の性的魅力の占める割合は極小化されているのだ。そして、これまで重要とされてきた「男の中身」などどうでもいいとされる。・・・
夢の男を一言で表せば、「女らしい」男のことである。・・・実は女性だって男性に同じことを求めているのだ。
第1章 妻たちの反乱―夢の男を求めて
この章はヨン様にはまってしまったという著者の言い訳じみていて、あまり説得力はない。
第2章 今度生まれてくるときは
克己と客観性・・・・これは時代遅れの価値観だ。オヤジたちはこの価値観を子供や妻に強要する。
日常の愚痴を聞いてもらおうとすれば、「結論を言え」「論理的に話せ」と言われる。鍋の煮物を焦がしてしまった時には、「計画的に手順を遂行していないからだ」「注意が散漫だからだ」と、まるで上司が部下を詰問するように責められる。
そこには感情の共有などかけらもなく、妻の日々の不全感や不満は捌け口を失い澱のように溜まっていく。
第3章 正義の夫、洗脳する夫
この章はカウンセラーでもある著者の得意をするところで、話も具体的で、分析も迫力がある。ドメスチック・ヴァイオレンス(DV)とは何か、そのひどい実例が挙げられる。
DVは直訳すれば家庭内暴力になるが、もともと日本では家庭内暴力は思春期の子供から親への暴力のことだった。70年代は、夫が妻を叩いても、それは暴力ではなくしつけだったのだ。だから、歯向かってはいけない子供の、親への暴力だけが、家庭内暴力と呼ばれたのだ。
夫のDVで家を出た女性に共通しているのが、・・・夫があのような行動をしたのは自分の態度が悪かったのではないかという根深い罪悪感がある。
夫の側の意識はその逆で、「妻があのような口のきき方をしたから」「妻が自分の非を素直に認めなかったから」という被害者意識に満ちている。
誰がみても明らかに残虐なDVもあるが、世間に満ちておりカウンセリングでしばしば出会うDVはそうではない。むしろ「正義をめぐる闘争」といったほうがいいだろう。夫たちの被害者意識は自分は正しいといる確信から生まれるのだ。
・・・妻なら俺の言うことをわかってくれるはずだ、妻は自分の正しいと思うことをそのまま実行すべきだ、妻ってそういうもんだろう、どうして自分が望むとおりに妻がなってくれないのだ・・・。
妻へのなんたる期待、なんたる依存だろうか。・・・日本で流通している規範的夫婦像ほど、男性の「甘え」を許容しているものはない。それも威張りながら甘えるという実にかわいげのない姿として現前している。
第4章 選ばれる男の条件
殴らない男(物を投げない男)、怒鳴らない男・暴言を吐かない男。
「君は僕と同じ人間だが、君を思いどおりにはできない」と考えること、やさしいこと(男性からみた理想的妻のように)、見上げること(敬意を払う)、ほめること、かわいいと思われること
エピローグ 草食系男子はホンモノか?
「男のくせにだらしない」などという脈々と流れる家族の常識のなかで、自然体で流れに逆らわない草食系男子がいつまでも草食系でいられるかについて著者は懐疑を抱いている。
著者信田さよ子は、1946年岐阜県生まれ。臨床心理士(原宿カウンセリングセンター所長)。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。専攻分野はアディクション(依存症)全般、アダルト・チルドレン、家族問題、ドメスティック・バイオレンス、虐待等。著書に「依存症」「母が重くてたまらない-墓守娘の嘆き」など。
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)
私も含めて、多くの男性が、いかに従来からの男性的価値観にとらわれていたか、そして、女性の考え方と見事にすれ違っていたことがよく分かる。
そして、なぜ女性が女性的男性を好むのかが分かった。確かに、従来の男らしい男という夫との家庭生活にむなしい思いを募らせてきた女性の反動なのだろう。
米国映画、TVなどで、ゲイの男性と仲良しの女性を見ると、確かにそんなのもありかとも思うが、相手として女性的男性が望ましいといわれると、愛玩用に限る話じゃないのと思う。あのノッペリし、笑顔を貼り付けたヨン様を見るたびに、「これは違うだろう」と思ってしまう。
著者は、女性からのDVの訴えを聞くカウンセラーなのだろうから、どうしても女性の味方だ。男性に辛すぎると思うこともあった。いや、少しだけなのだが。そう思わないと、私には読み進められない箇所もいくつかあった。反省!
しかし、米国をはじめとする肉食系男子の戦いの場であるグローバル市場で、女性的男性ばかりの日本経済の将来が心配になる。この著者には日本だけでなく、世界の状況も分析して欲しかった。とは言っても、江戸時代から「色男、金と力はなかりけり」と言われていたのだから、まあ、そんなに真面目に考えることもないか。