久世光彦著「遊びをせんとや生まれけむ」文藝春秋2009年8月発行を読んだ。
「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」「ムー一族」など昭和のテレビドラマ黄金期を創り、2006年に急逝した著者の最後のエッセイ集。
初出は、13編が「オール讀物」に2005年2月号~2006年3月号に連載、4編がTBS発行の「新・調査情報」。
まず、冒頭の「神武綏靖」で、軽やかに、自在に筆を流す話しぶりに魅了された。
神社でぶつぶつ呟く老人を見かけ、それが国民学校で覚えさせられた歴代天皇の名前「神武、綏靖、安寧、懿徳」だと分かる。天皇陛下に子供の頃「神武綏靖ゴッコ」で遊んだかどうかを尋ね、子供の頃の屋根裏を覗く遊びの話に変わり、女遊びへと移っていく。そして、最後が、題名にもなっている梁塵秘抄の「遊びをせんとや生れけむ、戯(たわぶら)れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」となっている。まさに、著者は、「遊びをせんとや生れけむ」と生きたのだ。
「命名譚」では、山茶花究が医者に見離された癌になった話がすごい。森繁がお見舞いに行くと、ただでさえニヒルな山茶花が死相に覆われている。森繁がおあいそを言うと、枯れ枝の手がソロソロと伸びて、「シゲちゃん、いっしょに行こう」と森繁の手首を物凄い力で摑んだ。森繁は必死で振りほどき、飛びのいた。森繁は言う。「あれは人の悪い山茶花の、最後の<遊び>でした。」
「悲喜劇・生放送」には、テレビ界で45年過ごした著者による、TVの生放送時代のエピソード、暴露話だ。有名人ネタ多く、話しぶりも面白い。そして、最後に書く。
みんな若かった。あれは面白い<遊び>があると聞いて、取るものも取り敢えず集まってきた子供の顔だった。-テレビはあのころ、<巨きな玩具>だった。
「テレビ畸人伝」に登場するTVディレクター岩崎キンさんも凄みがあるまさに「風狂の人」だ。「十階のモスキート」の内田裕也、樹木希林夫婦の話も週刊誌以上に面白い。「仕方話の泣き笑い」の芸達者な森繁が人間観察に努力する姿になるほどと思う。
後半の「極上の暇つぶし」の4編は歌の話が多く、前半ほど面白いものではなかった。
久世 光彦は、1935年東京生まれ。東京大学文学部美学科卒業。東京放送を経て、1979年にカノックスを設立、ドラマの演出を手がける。1992年「女正月」他の演出により第42回芸術選奨文部大臣賞受賞。1993年「蝶とヒットラー」で第3回Bunkamuraドゥマゴ文学賞、1994年「一九三四年冬―乱歩」で第7回山本周五郎賞、1997年「聖なる春」で第47回芸術選奨文部大臣賞を受賞。2001年「蕭々館日録」で第29回泉鏡花文学賞受賞。2006年逝去
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)
ともかく、週刊誌を読むより面白い芸能人の桁外れさにびっくりする。TV人の溢れる才能を浪費して消えてしまう番組を作る矜持、志に敬意と尊敬を表したい。TVという新しい道具が生まれ、育っていった時代にあだ花のように咲き誇り、そして消えていった人々に乾杯!