hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

山本一力「ワシントンハイツの旋風」を読む

2009年10月23日 | 読書2

山本一力著「ワシントンハイツの旋風(かぜ)」2003年11月講談社を読んだ。

時代小説で知られる山本一力の最初で最後の現代小説だという。仕事も女性もやり過ぎなほどの自伝的青春小説だ。

中学生の謙吾は、母と妹を追って高知から上京した。昭和37年、ワシントンハイツを新聞配達でまわった。女性で、はめを外しながら、謙吾は工業高校を卒業し、旅行会社へ就職する。そして、東京オリンピックや万博で上り調子の時代に活躍する。

小説の始まる前に、こうある。
昭和三十七(1967)年五月。東京都渋谷区の中心部にはアメリカがあった・・・。

題名のワシントンハイツとは、代々木の練兵場跡地に、戦後、東京駐留の米軍将校の家族のために作られた住宅団地だ。そして、1964年の東京オリンピックの際に選手村となり、その後は、代々木公園となり、NHKが放送センターやホールを造った。

先に東京に出てきた妹の雅美が言う。

「ここがワシントンハイツなの。こんなところ、見たことないでしょう」雅美が自慢げに胸を張った。真っ白に塗られたフェンスの先には、小高い丘が連なっており、どの丘も緑の芝生でおおわれていた。平屋の家が、その丘のなかに点在している。日曜日の午前中の陽を浴びて、芝生ではこどもたちがキャッチボールを楽しんでいた。走っている車は、大型のアメリカ車。幌を外したオープンカーも何台か見えた。日差しのなかで、こどもたちの金髪が艶やかに輝いている。「なんだよ、ここは」「だから、ワシントンハイツだって」「それがなんやら分からんきに、おんしゃあに訊きゆうがぜよ」要領を得ない妹の答えに、謙吾は焦れた。



高校へ通いながら、新聞配達をやっているときに16歳年上のピアノ教師の人妻と不倫関係となり、その後も常に二股状態となる。就職した旅行会社でも、男性社員あこがれの才媛を見事射止め、さらには性格の良い他の女子社員とも付き合う。女性との話がこの本の大部分を占める。しかし、なぜ彼がこんなにモテルのか、私にはこの本からは納得する理由を見つけられなかった。もっとも、嫉妬が邪魔しているのかもしれないのだが。
大阪万博のときに、絶対的にホテル数が足りなかった。それを、ラブホテルや公団住宅の空き部屋で補なう奇策やアメリカへ添乗員で行った話など、裏話も面白い。



山本一力は、1948年高知県生まれ。中学3年の春、上京して、渋谷区富ヶ谷の読売新聞専売所の住込み配達員に、米軍家族住宅のワシントンハイツ(現在の代々木公園)、NHK放送センターなどがある一角)が新聞配達の担当区域だった。都立世田谷工業高等学校電子科を卒業後、10年間、近畿日本ツーリストに勤務。その後、様々な職業を経て、1997年「蒼龍」で第77回オール讀物新人賞受賞、作家としてデビュー。2002年「あかね空」で直木賞受賞。著書に「ワシントンハイツの旋風」「欅しぐれ」「梅咲きぬ」「だいこん」など。
バブルのときの妻の実家の億単位の借金を抱え込み、その返済のために小説を発表したら、それが世に認められたという。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

仕事にも女性にも破天荒な活躍ふりだが、淡々と事実を並べるような書き方で、著者の時代小説のような人情味溢れる感動作ではない。

団塊の世代の人は、勢いある時代の空気が感じられて興味を引かれるかもしれない。私は代々木上原に30年近く住んでいたので、この本に出てくる東京の代々木上原、西原町、古賀政男邸宅、渋谷区大山町の消防学校、インドネシア留学生宿泊所などの記述に子供の頃を懐かしく思い出した。

ワシントンハイツも私の遊び場だった。このブログの「バンクーバーの向こうにワシントンハイツを見る」にこうある。
つかまっている針金のフェンスの向こう側に、一面の芝生に点々と建つ明るいペンキ塗りの建物が目に浮かぶ。子供のころ、もう50年ほど前、明治神宮の高いフェンスの向こう側の立ち入れない世界、まったくの別世界、東京の中の外国、米軍将校の住宅街、ワシントンハイツが見えた。



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