hiyamizu's blog

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北原糸子『江戸の城づくり』を読む

2012年07月29日 | 読書2

北原糸子著『江戸の城づくり 都市インフラはこうして築かれた』ちくま学芸文庫、2012年6月筑摩書房発行、を読んだ。

徳川二代将軍秀忠、三代家光の時代に、江戸城、大阪城、京都二条城の城郭の整備が、諸大名を駆使した手伝普請、天下普請で行われた。これらは巨大公共事業ともいうべきもので、戦場を失った多くの雑兵の職場ともなった。

江戸城は、三代家光の寛永13年、天下普請により、壮霊な城郭が完成した。さらにまた城の内と外を区切る江戸城外堀は上水系建設とともに江戸の都市基盤を作ることになった。本書は、人力だけが頼りの時代、どのようにして大規模な土木工事が可能だったのか、国中の大名を総動員した天下普請の実際を文献資料、遺跡発掘により、解き明かす。

寛永13年(1636)の江戸城外堀は、石垣を築く西国大名60家と、堀を築く東国大名(石積みの経験に乏しい)45家を動員した「天下普請」により行われ、石高に応じた仕事量が割り当てられた。どのように築かれたかは、地下鉄南北線工事に伴う発掘調査のデータをもとに明らかになった。

石材は、伊豆の石丁場(いしちょうば)で切り出され、帆船で江戸に運ばれた。慶長期の江戸城普請で数百艘の石舟が海に沈んだ経験を生かし、寛永期では大きな事故はなかったという。

本書は『江戸城外堀物語』のタイトルで、1999年「ちくま新書」の1冊として刊行されたもの。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

江戸初期の幕藩体制の実像がかなり詳細な点で明らかにされ、興味ある事実が散見される。しかし、それらは、素人にはただ膨大な生データとしか思えない記述に埋もれている。
全体に学者の論文の域を出ず、文献資料や発掘物に対する信頼性検証、詳細記述は専門外の者には不要だ。私としては、種々の説の比較検証などは学者にまかせたい。「それでどうした。結論は?」と言いたくなる。

江戸城ができてから、外堀を作ったのだが、場所を選び、そこに既にあった寺、大名屋敷、人家を移転し、堀を掘って出てきた大量に土を処理し、上水を引き込まねばならない。これらにはまさに都市計画を立案することが必要になる。
そして、膨大な人、物を動かす兵站技術が必要で、武術ではなく、それらに長けた官僚的武士の出番となった。また、江戸初期には大名自身が直接具体的にこまかな指示をしていたことが資料で解る。
また、武力より施政の時代になり、本丸など城そのものより、外堀など都市建設が重要になり、火事で失った江戸城の本丸は結局再建されないままとなった。



北原 糸子(きたはら・いとこ)
1939年山梨県生まれ。東京教育大学大学院日本史専攻修士課程修了。神奈川大学歴史民俗資料学研究科特任教授を経て、現在、立命館大学歴史都市防災研究センター教授。
著書は『磐梯山噴火』『日本災害史』、『地震の社会史』、『関東大震災の社会史』など。



目次
第1章 江戸城外堀はどのように築かれたか
閑話休題 城郭普請点描―「築城図屏風」から「築城図屏風」にみる石運びの情景
第2章 手伝普請による城郭建設―江戸・大坂・京都
第3章 堀という都市インフラ
第4章 江戸城と伊豆石丁場
第5章 江戸城外堀の普請現場
第6章 掘り出された石垣
第7章 外堀はどのようにして掘られたか
第8章 「江戸図屏風」の時代


コメント
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