北山修、橋下雅之著『日本人の<原罪>』講談社現代新書1975、2009年1月、講談社発行、を読んだ。
『古事記』のイザナキ・イザナミの神話や海幸彦・山幸彦の神話、「鶴の恩返し」などでは、男はただ自分の欲望をぶつけ、女は自分の身を削って応えようとする。そのとき女は「決して見ないでくれ」(見るなの禁止)と懇願するが、男は禁を破ってしまう。
その結果、女の恥の意識だけがクローズアップされ、男の罪の意識は描かれていない。イザナキにいたってはあわてて逃げ帰り、我が身が穢(ケガ)れたと禊(みそぎ)をする。罪を水に流すことで無かったことにしようとする。そこには約束を破ったという加害者としての意識はまったく無く、むしろ自分が被害者であるかのように振る舞っている。
これら神話の出来事が日本人の原罪意識の無さを表しているのではないかと、元ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーで精神分析医の「北山修」と国文学者「橋本雅之」が各々の専門分野に基づき日本人の精神分析を試みる。
私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)
馴染みのない日本の神話の話では、どうにもピンとこない。私には、話もややこしいだけではっきりしないように思える。
しかし、罪を犯した者が穢れを祓(ハラ)うと、許されるという考え方は今も日本に生きていて、不祥事を起こした社長も辞任すれば、それ以上社会的には追求されない。日本を敗戦に導いた東条英機も死刑になれば靖国神社に祀られ神になり許されるというのが日本の考え方だ。
2章、3章の古事記の解説は分かりやすいのだが、やたらと神を生み出し、その神がどうなったかが書かれていない古事記は読む気がしない。例えば、イザナキにが逃げ帰って産み出した神が20以上も並び、その名前も複雑で読むのも困難なのだから。
目次
第1章 愛する者を「害する」こと――父神イザナキの罪悪感(北山修)
第2章 『古事記』神話への道案内(橋下雅之)
第3章 『古事記』を読み解く――現代語訳「古事記抄」(橋下雅之)
第4章 対談 今日を生きるための神話論(橋下雅之・北山修)
北山修
1946年淡路島生まれ。ザ・フォーク・クルセダーズで活躍。
京都府立医科大学卒業後、ロンドン大学精神医学研究所でフロイトの精神分析学を研修。
帰国後、北山医院を開業、現在は九州大学大学院人間環境学研究員教授。
専門は精神分析学。
著書に『悲劇の発生論』、『幻滅論』、『劇的な精神分析入門』
橋本雅之
1957年大阪市生まれ。
三重県伊勢市の皇学館大学文学部卒業。
現在皇学館大学社会福祉学部教授、専攻は国文学、神話学。
著書『古風土記の研究』など。