宮本常一著『忘れられた日本人』(ワイド版岩波文庫160、1995年2月岩波書店発行)を読んだ。
著者は、日本中を歩いて、その土地、土地で夜を徹して老人たちの話に耳を傾け、それをもとに百姓の一般生活、習俗を描きあげた。本書は、宮本さんの代表作で、古老たちの語り口まで一心に書き留められている。
読者は、まるで宮本さんとともに対馬や土佐の奥深い田舎に入っていくのを実感できる。道を急ぎ、寄り合いに同席し、囲炉裏端で古老の話を聴きこむ。道具や帳箱をあけて丹念に見せてもらう。
近代化や高度経済成長の陰で失われてゆく民の生活、とくに西日本の「無字社会の日本」に焦点を当てている。
もとの本は未来社から1960年に刊行。
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
今から50年以上前に書かれており、その時既に田舎でも失われていた文化を探し求めている。はるか昔の日本だが、小説や書物によく出てくる江戸、幕末や明治初期ではなく、都会でもなく草深い田舎の世界、文化が描き出されていて、私にはとても興味深い。
村に留まり、地道に農業を続けた人たちではなく、村を飛び出し、各地を流れた人が、経験、見聞を広めて地域に戻り、古老となった。そんな人たちの話は面白い。
心をひらいて話をしてくれるように村人の中に潜り込み、こんな話を聞き出す宮本さんにはびっくりだ。そして、様々な個々の面白い体験談から、村の構成、生活方法、人間関係などが浮かび上がる。これも同時に宮本さんの民俗学者としての腕前なのだろう。
宮本常一(みやもと つねいち)
1907年(明治40)、山口県周防大島町生まれ。小学校高等科を出て農業に従事。
1923年大阪逓信講習所に入り、郵便局に勤務。
大阪府天王寺師範学校第二部、同専攻科を経て、教職のかたわら民俗学の研究に
1934年柳田国男、1935年に渋沢敬三に出会い、1939年、渋沢主宰のアチックミュージアムに入り、全国の民俗調査を開始。戦後に再開して、精力的に離島や山村を巡る。
1960年、『忘れられた日本人』刊行。
1964年から武蔵野美術大学で教鞭を執りながら、研究や著作に励む。
1980年退職後に、郷里の周防大島に「郷土大学」を設立し、学長として講義。
1981年73歳で死去。
以下、メモ。
対馬界隈の海の社会では、メシモライとは船が遠くにわたっていくときに船に乗せてもらう者のことだ。少年が多い。
世間師とは、ならずものとも無宿者ともいえるが、仕事を求めて旅をしながら無鉄砲なことをする。幕末や維新のときには、彼らが隊員となって活躍した。
「対馬にて」には、伊奈という村で「とり決め」を行うために昼も夜もなく、延々と続く村人たちの寄り合いがあった。共同体運営の知恵が実践されていた。
とくに面白い話は「土佐源氏」だ。
橋の下でほとんど乞食のようにして暮らす80歳を過ぎた盲目の老人。彼が語る社会の底辺に生きた波乱の人生。彼はばくろう(牛の売り買いをする人)で、一生、牛と女しか知らなかったという。町の名士の奥様との恋などは、ロマンさえ漂う。