hiyamizu's blog

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ガルシア・マルケス『ぼくはスピーチをするために来たのではありません』を読む

2014年07月03日 | 読書2

ガブリエル・ガルシア・マルケス著、木村榮一訳『ぼくはスピーチをするために来たのではありません』(2014年4月新潮社発行)を読んだ。

1944年、17歳で卒業生への送別の辞から、2007年、80歳で「百年の孤独」出版40年記念の会まで、スピーチを「人間が窮地におちいる中でもっとも恐ろしいもの」というガブリエル・ガルシア=マルケスの全講演22篇をまとめたもの。

テーマは、文学、独裁者、ジャーナリズム、祖国・ラテンアメリカなどの厳しい現状を語りかけている。いろいろな数字を挙げて具体的に指摘していることが多い。

表題の「ぼくはスピーチをするために来たのではありません」は、高等学校の卒業式の送辞の中の一節で、エピソードや金言を並べたスピーチでなく、友情と辛い別れの瞬間を共有したいと語っている。これを表題にするくらい、若い時から一貫してスピーチ嫌いだったようだ。

1970年の講演では、「壇上に上がらなくてすむように、病気のなろうと努力し、喉を掻ききってもらえるかもと理髪店に行き失敗し、ワイシャツ一枚でどこでも出入りできるヴェネズエラにいることを忘れてスーツもネクタイもしないで来たのに、今こうして壇上にいる」とスピーチを始めている。

1982年のノーベル文学賞授賞式でのスピーチ「ラテンアメリカの孤独」が圧倒的だ。まず、ラテンアメリカの抱える桁外れの実情が語られる。戦争が5回あり、クーデターが16回起こり、2千万人が2歳にならずに亡くなり、弾圧で行方不明が12万人・・・と続く。ラテンアメリカは、ヨーロッパの洗練、知性とは異次元の状態にある。それでも生命は死を超えてしたたかに生き延びてきた。ロンドンだって、最初の城壁を築くのに300年、最初の司教が生まれるまでさらに300年かかっている。

訳者・木村榮一氏の30頁を超える「訳者あとがき」は、マルケスの幼少期からの生涯が要領良くまとめられている。


私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

マルケスのファンには必読の本だろう。なにしろ彼の肉声?が聞けるのだから。「百年の孤独」を読んでいる途中挫折して捨ててしまった私でも、ラテンアメリカ、コロンビアの絶望的状況にもなんとか希望を燃やし、自分の生活苦(タイプライター用紙が買えず、590枚の原稿を送る郵便代金が払えなかった)の中でも、くじけず奮闘する熱きマルケスの姿には胸打たれた。


G・ガルシア=マルケス(Marquez, Gabriel Garcia)
1927年コロンビア生まれ。ボゴタ大学法学部中退。自由派の新聞「エル・エスペクタドル」の記者となり、1955年初めてヨーロッパを訪れ、ジュネーブ、ローマ、パリと各地を転々とする。
1955年処女作『落葉』を出版。1959 年、カストロ政権の機関紙の編集に携わる。
1967年『百年の孤独』を発表、空前のベストセラーとなる。
以後『族長の秋』(1975年)、『予告された殺人の記録』(1981年)、『コレラの時代の愛』(1985年)、『迷宮の将軍』(1989年)、『十二の遍歴の物語』(1992年)、『愛その他の悪霊について』(1994年)などを刊行。
1982年度ノーベル文学賞を受賞。2014年死去。

木村榮一
1943年大阪府生まれ。
神戸市外国語大学イスパニア語科卒後、助教授・教授。2005年2011年まで学長。
ラテンアメリカ文学の多数の訳書、魚釣りエッセイがある。

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