村岡恵理編『花子とアンへの道 本が好き、仕事が好き、ひとが好き』(2014年3月新潮社発行)を読んだ。
赤毛のアンの翻訳者・村岡花子の、決して順調ではなかった生涯を、本人はもとより、書いた本、付き合った人、愛した小物など多面的に豊富な写真と文で紹介している。
著書の一部なのだが、48冊の表紙の写真がずらりと並ぶ。アンシリーズ22冊はじめ、子供向けの翻訳本が多いが、女性に向けた本もある。旦那さんから送られた大部の例のウェブスター第三版の写真もある。
プリンス・エドワード島の写真で有名な吉村和敏さんの写真に、「赤毛のアン」のことばが添えられている。14ページのあまりにも美しい写真に、夢見るアンの言葉。「木々が眠りながらお話しているのを、聞いてごらんなさい。・・・きっとすてきな夢を見ているにちがいないわ」「マイラ。紫水晶って、おとなしいすみれたちの魂だと思わない?」
夢見る頃を過ぎた元乙女たちは、ウン十年前に一っ跳びするだろう。
若き村岡さんも語る。「恋は男子の生活の一部、女子の全部はこれなのですもの! 若い私のこの胸は信じられない人には任せまい。・・・然しここに万古不滅の悲哀が有る、曰く理想と現実とは伴わぬと、理想を得ずはオールド・ミス!」(雑記帳より)
“Anne of Green Gables”の日本語題名を村岡花子は、例えば「窓に倚る少女」「夢見る少女」と考えていた。出版社の社長から「赤毛のアン」との話があったが、花子は「絶対にいやです」と断った。しかし、大学生の娘みどりは「ダンゼン『赤毛のアン』がいい、「窓に倚る少女」なんておかしい」と言い、花子は若い人の感覚にまかせ、社長に訂正の電話を入れた。・・・花子のしなやかで明るい性質を物語る話だ。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
豊富な写真を見るだけでも楽しめる。貴重な写真も多い。
花子の子供の頃の話はほとんどないが、NHKの番組にはまっている人は必見だ。
花子の「赤毛のアン」は子供を意識しているからだろう、かなり意訳や、省略がなされている。大人向けで難解な表現もある原文に忠実な翻訳は、松本侑子「赤毛のアン」(集英社文庫、2000年5月発行)にある。
村岡恵理(むらおか・えり)
1967(昭和42)年生れ。成城大学文芸学部卒業。村岡花子の義理の娘(実の姪)・みどりの娘
祖母・村岡花子の著作物や蔵書、資料を、翻訳家の姉・村岡美枝と共に保存し、1991(平成3)年より、その書斎を「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として、愛読者や研究者に公開している(不定期・予約制)。
私がアンの家を訪ねた記録は以下。
「赤毛のアンの家」「モンゴメリーの墓など」「モンゴメリー生家など」
ケベック、プリンス・エドワード島など「カナダ東部への旅全体」
目次
花子さんって、どんな人?
生涯、翻訳家/トレードマークは和服姿/ヒューマニズム精神あふれるクリスチャン/仕事も家庭も愛したひと
よみがえる胸の高鳴り 『赤毛のアン』珠玉のことば集……写真・吉村和敏
つよく、やさしく、しなやかに 波乱に満ちた夢中の人生……文・村岡恵理
ミッション・スクールで大いに学ぶ 1893―1913
甲府の英語教師、青春を謳歌する 1914―1918
出会い、別れ、喜びも悲しみも強さに変えて 1919―1931
戦火を乗り越え、命がけの翻訳 1932―1951
『赤毛のアン』誕生! ペンと共に生きた75年 1952―1968
出会い、別れ、喜びも悲しみも強さに変えて 1919―1931
戦火を乗り越え、命がけの翻訳 1932―1951
『赤毛のアン』誕生! ペンと共に生きた75年 1952―1968
掌中の宝物
彼女たちとの出会い 村岡花子の交友関係……文・村岡恵理
没我で奏でた名演奏 翻訳家としての村岡花子……文・村岡恵理
村岡花子略年譜
梨木香歩 アン・シャーリーの孤独・村岡花子の孤独
佐佐木幸綱 短歌と出合う
森まゆみ 村岡花子の時代