ジュンパ・ラヒリ著、小川高義訳『低地』(新潮クレストブックス、2014年8月25日新潮社発行)を読んだ。
過激な革命運動のさなか、両親と身重の妻の眼前、カルカッタの低湿地で射殺された弟。遺された若い妻をアメリカに連れ帰った学究肌の兄。仲睦まじかった兄弟は二十代半ばで生死を分かち、喪失を抱えた男女は、アメリカで新しい家族として歩みだす――。着想から16年、両大陸を舞台に繰り広げられる波乱の家族史
スバシュとウダヤン兄弟は、2つの池、奥に低湿地が広がるインド・カルカッタの郊外に住む。雨季には池が広がり、浮草の布袋草が群生する。大人しく慎重なスバシュは、活発で皆から愛される弟ウダヤンの後に続く。仲のよい二人はどこに行くのも一緒だ。むかいあって勉強し、二人で作ったラジオを聞き、金持ちの集まるゴルフ場に潜り込む。
兄弟ともに大学に進むが、世界を巻き込んだ1960年代。独立国家の道を歩み出したインドでも、極左組織と治安部隊の武力抗争が起こる。兄は研究環境を求めアメリカに渡るが、弟は高校教師をしながら、密かに過激な活動にのめり込んでいく。結局、ウダヤンは、家のまえの低地で捕まり、両親と、新婚の妻ガウリの目の前で射殺される。
兄スバシュは、実家で孤立していた身重の弟の妻ガウリを救おうと、結婚して米国ロードアイランドに連れ帰り、生まれた娘ベラを夫婦として育てる。
ここまででまだ471頁の1/3くらいで、ここから本格的に小説が始まる。
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
喪失感を抱え込んだ登場人物が、インドと米国、対照的な両国での生活を通し、時の流れのなかで、もがいていく様を描いている。時々過去に戻り、事情を明らかにしていく手法もとくにあざとくなく、分かりやすい。大部だが、謎解きなど派手なストーリーでなく、人物と暮らしを丁寧に描き、ひきつけて飽きさせない。さすが、ジュンパ・ラヒリ。
インドと父母を見捨てて米国へ行ったスバシュ。新婚の妻がいて、父母に家に暮らしながら危険に巻き込む活動をし、死んだウダヤン。死んだウダヤンを居なかったかのように振る舞うことを拒否し自分に引きこもるガウリ。母に去られ、父にも心を閉ざす娘ベラ。大河のように、時代も、国も、人も流れていく。
爆弾製造に失敗し片手の指を失ったウダヤンが、(後悔、迷いと捜査の手が伸びてきていることの予感から)新婚の妻に、「子供を持つかどうか。もし持たないと決めたら、それでもいいか?・・・おれは父親にはなれない。・・・ああいうことをしたんだから」「もっと早くから彼女に会いたかった。」と語る。切ない場面だ。
私としては、ゴルフ場へ忍び込んだり、一つの机で向かい合わせに勉強したり、モールス信号器を作ったりした兄弟の子供の頃。何事にも積極果敢な弟と慎重な兄の子供の頃の話が面白かった。
ジュンパ・ラヒリJhumpa Lahiri
1967年ロンドン生れ。両親はカルカッタ出身のベンガル人。幼少時に渡米し、ロードアイランド州で育つ。大学・大学院卒。
1999年「病気の通訳」でO・ヘンリー賞受賞。
同作収録のデビュー短篇集『停電の夜に』でPEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞、さらに新人としてはきわめて異例のピュリツァー賞ほかを独占。
2004年初の長篇小説『その名にちなんで』、映画化。
2008年第二短篇集『見知らぬ場所』で第四回フランク・オコナー国際短篇賞を受賞。
夫と二人の息子とともにローマ在住。
小川高義(おがわ・たかよし)
1956年横浜生まれ。東京大学英文科大学院修士課程修了。東京工業大学教授。
訳書にラヒリ『停電の夜に』『その名にちなんで』『見知らぬ場所』、ペティナ・ガッパ『イースタリーのエレジー』、ジョン・アーヴィング『また会う日まで』、フィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』、ホーソーン『緋文字』ほか。