母は子供の頃、官僚であった父について全国数箇所を回っているが、基本的には東京住まいで、標準語だった。
女房はずっと東京で、なまりはまったくない。
彼女は言う。「お母さんはカレーライスのカレーを魚のカレーのように発音したり、「ただいま」(「だ」にアクセント)と言うので、『お母さんは関西にいらしたのですか?』と聞いたら、『私は標準語です』と怒って言われちゃったわよ。それで可笑しいのは、あなたはとくになまりはないのに、カレーの発音がお母さんと一緒なのよ」
私は自分では完全に標準語、あるいは東京弁だと思っていたので、これには驚いた。特定の言葉だけアクセントが違うことには気がつかなかった。
東京弁は「ひ」が「し」になると言うが、私は、百円を「しゃくえん」とは言わない。混乱するのは、「しく」と「ひく」だ。例えば、「ふとんをしく」というのが、自然に「ふとんをひく」になってしまう。パソコン入力のときまで、「ひかれたレールのうえを」などと打って、変換すると、「引かれたレールの上を」などと出て、「敷く」の字が出てこない。マイクロソフトの悪口を言いながら、何回も変換キーを叩くことになる。
また、言いにくい部分を丸める癖もある。「体育」を「たいく」「新宿」を「しんじく」と言う。しゃべるときは、省略形でもとくに問題はないが、パソコン入力では、つまずくことになる。
2009年6月のフランス旅行には北海道から九州まで全国からの参加者がいた。しかし、若い人が多いせいもあり、話していてもまったくなまりは感じられず、全国が均一化して面白みがなくなったと思った。ただ一組の夫婦だけが、茨城弁丸出しで、冗談ばかり言って、良い味を出していた。ちょっとヤンキー風の彼らから見ると、標準語で丁寧にしゃべる我々夫婦は気取って、堅苦しいと思っただろう。
私も、とくにくだけた雰囲気を出したいときには、「いいじゃん、行こうよ」など半分意識的に「じゃん」を使うこともある。上手く使えるならば、関西弁を使いたいくらいだ。
方言は個性を演出する。せめて、私らしい個性的なしゃべり方をしたいと思うてまんねん。