この話、2006年12月にも書いているのだが、年寄のくどく繰り返す昔話とご容赦ください。
もう30年以上前のクリスマスの朝のことである。贈り物を見て喜ぶ顔が見たくて待ちきれず、まだ寝ている息子を起こしに行った。
息子はベッドの上で起き上がると周りを見渡して、「ない」と小さな声で言う。「僕、いい子じゃなかったからかな」と言うと、泣き顔になった。いつも、泣きだす前に泣き顔になり、への字の口のまま止まって、一瞬置いてから、泣き声と涙が一気に出てくる。
あせった女房と私は、あわてて、「ベッドの下も探してごらん」と言う。こんなときだけはすばやい息子は、ベッドから首を出して下をのぞき、リボンでくるんだ袋を見つけると、「あった!」と言って、飛び降りた。
袋をやぶり、前から欲しかったおもちゃを取り出して、「どうして、サンタさんにわかったのかな」と、ニコニコ、ニコニコ。さっきの泣き顔のあとかたもなく全身で喜んでいる。
私と女房も顔を見合わせ、二人ともニコニコ、ニコニコ。
トルストイの「アンナ・カレーニナ」の書き始めに、「不幸な家庭はさまざまだが、幸せな家庭はどれも同じである」と言うのがあったが、まさにこれが、平凡でどこにでもある幸せな家庭の典型だと思った。
息子はもうこのことを覚えていないだろうが、私は、クリスマスのたびごとに思い出しては、ニヤニヤしている。クリスマスはまさに親のためにこそあるのだ。