「井の頭自然文化園(本館)」は、井の頭池のある公園と、吉祥寺通りを隔てた北西にある。
「井の頭自然文化園(本館)」には、動物園の他、こどもの遊び場などが点在するが、西側には、長崎の平和祈念像を制作した北村西望の作品200点以上が屋内外に展示されている。
なお、このブログでは、
(1)「井の頭公園・西園」と、
(2)「井の頭自然文化園(動物園)」と、
(3)「井の頭自然文化園(水生物園)」の中の「水生物館」と、
(4)「井の頭自然文化園(動物園)」の中の「彫刻館」 を別々に紹介している。
北村西望のアトリエ館。「平和祈念像」制作のために建てられた。
内部は写真撮影禁止。作品内部の木組みなど巨大な彫刻のがどのように作られるかがわかる。試作段階の作品などもあって、意外に面白い。
北村西望(1884-1987年)は長崎県出身で、1951年長崎市から「平和祈念像」の制作を依頼され、制作のための広い土地を探していた。東京都は自然文化園の土地利用を許可し、西望は建てたアトリエ等の施設と全作品を都に寄付することとした。
1954年9m70cmの石膏像が完成し、104個のブロックに分解して、工房で鋳造し、1955年8月8日長崎の平和公園で除幕式となった。このとき、西望70歳。
彫刻館A。 平和祈念像を中心に、戦後の自由な制作活動の中、西望102歳までの作品を展示。
「平和祈念像」1954年。石膏。
斜め横から見ると、いっそうたくましく見える。
「平和を祈る」1987年 石膏
平和祈念像は最初、立像で計画されたが、全身を見やすくするために座像に変更された。
「若き日の織田信長」 奥に徳川家康、手前に豊臣秀吉。
彫刻館B 終戦の1945年までの若い時の西望の作品。
「猫-防衛」1926年
「メスのアジアゾウ」
井の頭自然文化園に居た「象のはな子」は2016年69歳で死んだ。
吉祥寺駅北口駅前広場の「ゾウのはな子」の銅像の原型は美術作家・笛田亜希さんが手がけたと当時のニュースで聞いた。この原型(FRP)は武蔵野市が所有し、予備に保管していると案内にあった。
屋外にもいくつか作品が設置されている。
彫刻館Bの横にも4体と、写真右端に「聖観世音菩薩」。
アトリエ館前に「将軍の孫」
橘中佐(日露戦争戦死)像制作のために、中佐の剣や軍服などが北村西望のアトリエに置いてあった。そこへ遊びに来た西望の5歳の長男が帽子とぶかぶかの軍靴をはいて敬礼したという。
ツバキ園に、「咆哮」
これで、井の頭公園の西側エリアシリーズはようやく終了。