残すべき伝統、文化はあるが、変化の早い世界にあって社会構造は常に改革して行かなくてはならない。セイフテイ・ネットを張った上での痛みをともなう改革、それは必然、必要悪であろう。
しかし、個人のレベルでみると、多くの人にとっては、現実は辛いものがある。
できる人を主体に考えれば、政治家が網の目のような規制を果敢に撤廃し、縮退すべき旧産業、企業を延命させないようすべきだろう。そうすれば、真に優秀な人が思い切ってこれから伸びる分野で活躍し力を発揮できる。これを実施しなければ社会の活力が失われる。
しかし、かっては中間層と呼ばれていた、グローバリズムなる改革によって少なくとも当面は踏みつけられる大多数のそれなりの人も社会改革を求めているように見える。ましてや、あきらかに虐げられている人々がなぜ福祉国家でなく、改革、活力路線を支持するのか、私には理解しがたい。
中・下層の人々は、時代の閉塞感や、自らのいらだちから、思い切った決断と実行力を持つ政治家が登場し、社会改革に果敢に挑戦して欲しいと願っているように見える。とくに男性は自分の立場を忘れて、施政者になったつもりで上から見た意見を主張し、投票することが多いのではないだろうか。セイフテイ・ネットの議論は十分でないので、改革によって結局切り捨てられ、あるいは多大な犠牲をしいられるのが自分や家族であることは忘れてしまっている。
繰り返しになるが、まずセイフテイ・ネットのレベルを議論し、実行すべきである。
確かに社会の方向性、方針を決める少数の優秀な人の力は重要であるが、そんなに奇策があるわけなく、リーダは方針を大きく誤らなくさえすれば、良いのではないか。リーダーの最大の課題は、具体的に実行する平凡な大多数の人をいかにやる気にさせるかにある。
結局、凡人のレベルの平均値が高いことがその社会の発展力を決めるのだ。我々は自信を持って今後の社会のあり方について自分自身の意見を主張し、投票すべきである。
一方、政治でなく、会社に関しては一段と身近な問題なので改革第一とはいかない。他社に関しては、「こりゃ、徹底的に改革しなきゃだめだな」などと思う。しかし、自社の経営者が事業再編、リストラを言い出すと、「今までの功績はどうしてくれる」、「まだまだやりようによっては利益があげられるのに」、「やめるとしたら、代わりに一体何をやるのかがはっきりしない」、「本当に上手くいくとは思えない」、「人の気持ちがわからない経営者だ」などと抵抗しがちだ。社員はそれで良いと思う。そんな社員を繰り返し説明、説得し、諦めさすのが経営者の仕事だ。
経営者の方にも、人間の幅が小さく尊敬されず、社員とのコミュニケーションが少ないという問題がありがちである。しかも、どうしようもない会社にした経営者はもらった年棒をあきらかにせず、そのうえ大枚な退職金をもらって引退すれば良いというのでは、社員の理解は得られない。
年金をいただいてプラプラしている年寄りにひとりごとです。ご容赦のほどを。
「果断とは外科医の勇気のことだ。一刀両断! 但し痛い思いをするのは他人だ。」長谷川如是閑(にょぜかん)