hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

「日本語のしくみ」を読む

2009年09月04日 | 読書2

山田敏弘著「日本語のしくみ(CD付)」2009年6月、白水社発行を読んだ。

ふだん使っている日本語も、日本人には当たり前すぎて、なぜそうなのか外国人に説明しようとすると、なかなか難しい。英語、フランス語、韓国・朝鮮語など諸外国語に堪能な著者が、例文から日本語の特徴をつかみ出して説明する。

今、日本語の本がブームらしいが、日本語の書き言葉や話し言葉を外国語のように分析した解説を読むと、日本語をきちんと教えるのが大変なことがわかる。



2例だけ挙げる。

「サンタが短歌で寒波を詠んだ」という文章の中で、「ん」で唇をとじているのは「寒波」だけで、残り3つの「ん」も舌が上あごにつく位置が各々違うという。言われてみればそうかなとも思うが、外国人に日本人のような発音をさせるには、各々の違いを明確にする必要があるのだろう。

「この」や「この(服)」のような話し手が用いる「コ系」、「それ」や「その(服)」のような聞き手が用いる「ソ系」や、「あれ」や「あの(服)」のような両方の領域外の「ア系」があるという。これも言われてそうだが、普段意識しないで使い分けている。

また、日本語には単数、複数の区別がないとか、現在完了形などの時制がないなどとの印象があるが、細かく見ると限定された形でそれらの規則が存在するという。
地域による方言などの違い、時代の変遷による変化などにも触れている。

日本人は普段なにげなく正しく日本語を使っているが、どのような場合に何を使うのか法則を説明しろと言われると困る。たまには、このような種類の本を読んで、あらためて日本語を外側から眺めてみることも、文章を書く人には有効だし、外国人に日本語を教える人には必須だろう。



目次
1、1章文字と発音のしくみ、2章書き方と語のしくみ、3章文のしくみ)
2、1章区別のしくみ、2章「てにをは」のしくみ、3章ニュアンスのしくみ、4章数のしくみ、5章実際のしくみ


山田敏弘は、1965年岐阜県生まれ、1988年名古屋大学文学部卒、1990年名古屋大学大学院博士課程前期課程(言語学専攻)終了。1990年から1993年まで国際交流基金派遣日本語教育専門家としてローマ日本文化会館に勤務、1997年大阪大学大学院博士課程後期課程単位取得満期退学、2000年大阪大学博士(文学)、2001年より岐阜大学准教授。
著書は、「初級を教える人のための日本語文法ハンドブック」、「国語教師が知っておきたい日本語文法」など。




私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

一つの項目について、2ページで説明し、コラムも入れて140ページほどだから、約70項目がただずらりと並んでいる。題名は「日本語のしくみ」だが、仕組みは後ろにいってしまって、個別の例文が次々登場する。仕組み(文法)が系統的に説明されているわけでないので、ただただ文例を積み重ねていくのに付いていくのは辛い。




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南木佳士「生きのびる からだ」を読む

2009年09月02日 | 読書2

南木佳士著「生きのびる からだ」2009年7月文藝春秋発行を読んだ。
このエッセイ集は2007、8年の2年間に雑誌や新聞に発表したものを時系列にまとめた32編よりなる。さらに、5回目の候補で芥川賞を受賞するまでの状況を、開高健の厳しく、うれしい批評を中心に述べた「かくも高きハードル」が最後に加わっている。

宣伝文句はこうだ。
「ただ在るだけ」の幼子を引き受けてくれた祖母、背中しか見せられなかったのに力強く巣立っていった息子たち、幾冬にも耐えた庭のモミジ…静穏ながら強靭な言葉の数々が身の内を温かく浸す33篇。心とからだを解き放つ滋味溢れるエッセイ集。


母を亡くした幼児を育ててくれた祖母の記述が温かい。

母に死なれた幼児は、ただそこに在るだけの、・・・存在だった。・・・
 祖母はそういう身の世話をしてくれた、田で稲を育てて米の飯を食わしてくれ、衣類のほころびを繕ってくれ、コタツでうたた寝をしていれば、毛布をかけて首のところをしっかり押さえておいてくれた。勉強しろとも、偉くなれとも言わずに、ひたすら在るだけの身の世話をしてくれた。
 ・・・尋常小学校にもろくに通わせてもらえなかったという祖母はひらがなもよく書けなかったが、ひとの暮らしの基本を無言のうちに教えてくれた。
 のちの、育てあげた孫がじぶん勝手に底上げの世界に旅立って行ったときも、何も言わず、ただすこし寂しげに見送ってくれただけだった。


そして、こんな話もある。

2歳半で母が死んだとき、葬列の後ろからよちよち歩きで付いていった幼児が転んで泥だらけになった。祖母から繰り返し聞かされた話しから、転んだときに掌に覚えた泥の冷え切った感触を思い出せるほどだった。
小説やエッセイのなかで何度かこのエピソードを使い、記憶の始点が母の葬儀であった男は作家になるしかなかったのだ、と見得を切った。
いつだったか親戚の法事で会ったとき、姉が、
「おまえが書いたものはみな読んでいるけど、あのとき転んだのは5歳のあたしで、おまえはまだ幼すぎたから家で留守番してたんだよ」
と、おだやかに教えてくれた。




南木佳士は、1951年群馬県生まれ。秋田大学医学部卒業。小説家・内科医。現在、長野県佐久市に住む。1981年難民医療日本チームに加わり、タイ・カンボジア国境に赴き、同地で「破水」が文学界新人賞受賞を知る。1989年「ダイヤモンドダスト」で第100回芥川賞受賞。2008年「草すべり、その他の短編」で、泉鏡花賞、2009年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。その他、「阿弥陀堂だより」「医学生」「海へ」「天地有情」「急な青空」「トラや」「冬の水練」「信州に上医あり」「八十八歳の秋」「神かくし」など。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

南木さんのエッセイには、なにかというと“うつ”になった話が出てくるものが多い。しかし、初めて読んだ人はもちろん、何冊も読んだ人でも、率直に、しみじみと語る南木さんの話しぶりには心打たれるものがあるだろう。

南木さんは、2歳半で母を喪い、無学だが心優しい祖母に山里で育てられ、やがて医者になり、芥川賞作家にもなって高みに登ったが、急転直下、38歳でパニック障害となり、やがてうつ病に移行して、「自死へといざなう見えざる力に抗するだけで精一杯の数年間」を過ごすという自分が一度ゼロになった経験を持つ。その南木さんが、患者や、田舎の人びと、あるいは故郷に近い山里を眺めるエッセイには、達観、癒しにあふれている。なにしろ、医者でありながら、うつ病患者となった引き裂かれた絶望的状況を経験しているのだから。

ただ、静かでしみじみとした話がお好みでない人も多いだろう。私も南木さんの本は嫌いではないのだが、最近は読んで楽しく、気分を高めてくれる本の方が好きだ。もちろん、あざとい感動ものには付いていけないのだが。

「おじさんたちの歌」にシスレーの画の話が出てくる。
精神が落ち込んでいた時期に小さな画集で見た、セーヌ河畔の風景を描いたシスレーの画は、川面を渡る風の柔らかさまでも感じられるようで、ながめていると気分が安らいできた。


このあたりは、このブログの「絵画の楽しみ」に書いたことと同じで共感できた。



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