hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

マリー・ローランサン展を観る

2024年02月11日 | 美術

 

ARTIZON美術館で2024年3月3日まで開かれている「マリー・ローランサン――時代をうつす眼」を観た。

マリー・ローランサン(1883-1956)は、20世紀前半に活躍した女性画家で、……パステルカラーの独自の画風を生み出しました。参考:『もっと知りたい ローランサン 生涯と作品』)

 

本展では石橋財団コレクションや国内外の美術館から、ローランサンの作品約40点、挿絵本等の資料約25点に加えて、ローランサンと同時代に活躍した画家たちの作品約25点、合計約90点を展示。

 

主な出展作品8点が美術館HPで見られる。

 

 

東京駅八重洲中央口を出て、八重洲通りを行く。

 

見たことないビルがズラズラ。過ぎて来た年月の重みを味わう。

 

中央通りとの交差点に「Artizon Museum」が見える。旧ブリヂストン美術館だ。

 

ビルに入ると正面に大きなディスプレイ。

 

アーティゾン美術館(Museum)は、ブリヂストン美術館を前身として、2020年1月同じ場所に開館した。「Artizon」は、「ART」(アート)と「HORIZON」(地平)を組み合わせた造語。

 

エレベーターで6階に登り、展示室を観ながら、5階、4階とエスカレーターで降りる。2階にミュージアム・ショップ、1階にミュージアムカフェがある。

 

撮影は、禁止のマークのあるもの以外は自由。

 

 

入ると、まず4つの自画像が並ぶ。初期のものは目つきも鋭く、暗い顔だ。

 

つづいてピカソやブラックの影響を受けた「キュビズムの時代」に入るが、絵が暗いのでパス。

次の「文学」も混みあっている。「椿姫」シリーズも撮影は飛ばす。

 

ようやく人物画に入り、「女と犬 1923年頃」をパチリ。淡い色彩、柔らかなタッチ、白肌に寂しげな眼、間違いなくこれぞローランサン。

 

パブロ・ピカソ「女の顔 1923年 油彩、砂、キャンバス」

頬のあたりにマチエール(筆跡)が目立つが、砂を使っているのだろう。

 

 

東郷青児の絵も3点並んでいた。あの量産体制に入る前の作品だ。

そういえば、母が東郷青児の奥さんと女学校の同級生で、クラスの写真を見たことがあったが、あの絵のモデルの女性そっくりな顔だった。跳んでいた人だったし、喉に心中未遂の傷がくっきりと残っていたという。東郷青児には数多くの女性がいたが、どうも、東郷たまみの母で、西崎盈子(みつこ)(1909-1980)らしい。

 

 

ローランサン「シェシア帽を被った女 1938年」

 

ラウル・デュフィ「ポワレの服を着たモデルたち1923年の競技場 1943年」

 

ローランサン「手鏡を持つ女 1937年」

 

アメデオ・モディリアーニ「若い農夫 1918年頃」

 

藤田嗣治「少女像 1927年」  目つきが素敵。あったり前だけど、デッサンが上手。

 

ローランサン「牡鹿と二人の女 1923年」

 

ローランサン「花を生けた花瓶 1950年頃」。 もっと花を描いていそうだが。

 

ローランサン絵付「椅子2脚

 

アポリネールの詩「ミラボー橋」。「ミラボー橋の下をセーヌが流れ われ等の恋が流れる ……」

ピカソはローランサンを、シュールレアリズムの詩人・アポリネールに「君の奥さんだ」と紹介し、そのとおり彼らは恋人になる。やがて、彼は、モナリザ盗難事件の容疑者として誤認逮捕されたことがきっかけで二人は別れた。彼はこの別れを代表作『ミラボー橋』に謳いあげた。

 

 

オーギュスト・ルノワール「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢 1876年」

 

ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール 1904-06年頃」

 

パブロ・ピカソ「腕を組んですわるサルタンバンク 1923年」

 

アンリ・マティス「石膏のある静物 1927年」

 

パウル・クレー「双子 1930年」。近づいてよく見たら、結構繊細に書き込まれた絵だった。

 

ジョアン・ミロ「絵画 1952年」 ミロの絵って、なんとなく可愛い。

 

マーク・ロスコ「無題 1969年」。私は、抽象画はどうもこれと言って好きになれないが、味わいが感じられるのがロスコの絵だ。この絵は面白味がないが。

 

草間彌生「無題(無限の網) 1962年頃」

 

安井曾太郎「F婦人像 1939年」。 いかにもお金持ちの御婦人。

 

青木繁「わだつみのいろこの宮 1907年」

 

中村彜「自画像 1909-10年」

この絵も良いが、中村彜の作品では、国立近代美術館にある「エロシェンコ氏の像」がもっとも好きだ。

 

 

青木繁 海の幸 1904年」

 

「ビューコーナー」で一休みと思ったら、すぐ目の前が工事中のビル。

 

ベルナール・ビュッフェ「アナベル夫人像 1960年」

 

藤田嗣治「横たわる女と猫 1932年」。原画も濃淡がなくなっているが、写真は一層!

 

1階のカフェレストランに満席で断られて、八重洲の地下道をブルブラしてランチ処を探す。

 

 

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(4) 北村西望の井の頭自然文化園(彫刻館)をじっくり

2024年02月09日 | 観光

 

「井の頭自然文化園(本館)」は、井の頭池のある公園と、吉祥寺通りを隔てた北西にある。

 

「井の頭自然文化園(本館)」には、動物園の他、こどもの遊び場などが点在するが、西側には、長崎の平和祈念像を制作した北村西望の作品200点以上が屋内外に展示されている。

 

なお、このブログでは、

(1)「井の頭公園・西園」と、

(2)「井の頭自然文化園(動物園)」と、

(3)「井の頭自然文化園(水生物園)」の中の「水生物館」と、

(4)「井の頭自然文化園(動物園)」の中の「彫刻館」   を別々に紹介している。

 

 

北村西望のアトリエ館。「平和祈念像」制作のために建てられた。

内部は写真撮影禁止。作品内部の木組みなど巨大な彫刻のがどのように作られるかがわかる。試作段階の作品などもあって、意外に面白い。

北村西望(1884-1987年)は長崎県出身で、1951年長崎市から「平和祈念像」の制作を依頼され、制作のための広い土地を探していた。東京都は自然文化園の土地利用を許可し、西望は建てたアトリエ等の施設と全作品を都に寄付することとした。

1954年9m70cmの石膏像が完成し、104個のブロックに分解して、工房で鋳造し、1955年8月8日長崎の平和公園で除幕式となった。このとき、西望70歳。

 

 

彫刻館A。 平和祈念像を中心に、戦後の自由な制作活動の中、西望102歳までの作品を展示。

 

「平和祈念像」1954年。石膏。

 

斜め横から見ると、いっそうたくましく見える。

 

「平和を祈る」1987年 石膏

平和祈念像は最初、立像で計画されたが、全身を見やすくするために座像に変更された。

 

「若き日の織田信長」 奥に徳川家康、手前に豊臣秀吉。

 

 

彫刻館B 終戦の1945年までの若い時の西望の作品。

 

「猫-防衛」1926年

 

「メスのアジアゾウ」

井の頭自然文化園に居た「象のはな子」は2016年69歳で死んだ。

吉祥寺駅北口駅前広場の「ゾウのはな子」の銅像の原型は美術作家・笛田亜希さんが手がけたと当時のニュースで聞いた。この原型(FRP)は武蔵野市が所有し、予備に保管していると案内にあった。

 

 

屋外にもいくつか作品が設置されている。

彫刻館Bの横にも4体と、写真右端に「聖観世音菩薩」。

 

アトリエ館前に「将軍の孫」

橘中佐(日露戦争戦死)像制作のために、中佐の剣や軍服などが北村西望のアトリエに置いてあった。そこへ遊びに来た西望の5歳の長男が帽子とぶかぶかの軍靴をはいて敬礼したという。

 

ツバキ園に、「咆哮」

 

 

これで、井の頭公園の西側エリアシリーズはようやく終了。 

 

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(3) 井の頭自然文化園(水生物館)をキョロキョロ

2024年02月07日 | 観光

 

「井の頭自然文化園(水生物園)」は、井の頭池に突き出した半島状の部分にあり、その中に「水生物館」という建物がある。

 

なお、このブログでは、

(1)「井の頭公園・西園」と、

(2)「井の頭自然文化園(動物園)」と、

(3)「井の頭自然文化園(水生物園)」の中の「水生物館」と、

(4)「井の頭自然文化園(動物園)」の中の「彫刻館」   を別々に紹介している。

 

 

「水生物館」の建物の入口

 

心地よく睡眠中のアマガエル(?)。

 

 

ムハントウイモリ? サンショウウオ(?)

 

アズマヒキガエル。日本固有のヒキガエル。昔、我が家の庭で良く見かけたが、客間の真ん中に鎮座していたときにはギョッとした。こんな喉はしていなかったが。

 

クニマス(?)

 

モクズガニ。「上海蟹」の同属異種で、日本各地で食用にされている。

 

オイカワ? カワムツ?

 

カミツキガメ。この迫力。特定外来生物に指定され、飼育原則禁止。美味しくて食用にできるが、狂暴で噛む力が強力で捕獲は危険。

 

オオサンショウウオ

上から見てもオオサンショウウオ

 

アカハライモリがウジャウジャ。

 

明後日にこのシリーズ最後の北村西望の「彫刻館」をご紹介。 

 

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(2) 井の頭自然文化園(動物園)をウロウロ

2024年02月05日 | 観光

 

井の頭自然文化園は、井の頭池に突き出した半島状の「井の頭自然文化園(水生物園)」と、吉祥寺通りを挟んで北西側の「井の頭自然文化園(動物園)」に分かれている。

 

なお、このブログでは、

(1)「井の頭公園・西園」と、

(2)「井の頭自然文化園(動物園)」と、

(3)「井の頭自然文化園(水生物園)」の中の「水生物館」と、

(4)「井の頭自然文化園(動物園)」の中の「彫刻館」   を別々に紹介する。

 

 

井の頭通りに面した文化園の正面入口。

 

入って左側に「ぶらんこ広場」。

 

松が一本、枯れている。

 

さらに左に進むと「資料館」。

中には絵本コーナーがあった。

 

奥の「リスの小径」は、以前はリスが走り回るケージの中に人が入ることができたのだが、今回はケージの外からみるだけだった。中には数匹しかリスが見当たらない。

昨年12月に、ケージから40匹を取り出し、過去のように寄生虫駆除の薬を使ったが、31匹が死んでしまったという。

 

ヤマドリ。小さいが、けっこう厳しい目つきだ。

 

住宅地でも時々みかけるオナガ。

 

背中のノミ(塩?)を取るアカゲザル。

 

二ホンカモシカ

 

ヤギ

 

フンボルトペンギン

 

遠くに幹が白い木が見えた。看板には「カマルドレンシス・ユーカリ」とあり、ユーカリといっても800種以上あり、コアラが食べるのは数10種だけとあった。

 

ここで、動物園を出て、歩道橋で吉祥寺通りを渡り、300mほど歩いて、南東の水生物園(分園)に入る。

入ってすぐの「水生物館」はパスして(明後日ご報告)、ケージの中の鳥たちを眺める。

 

大小さまざまな卵が並ぶボックス。

 

「オシドリは4~7月に7~12個の卵を産みます。すべての卵を産み終えると、保温性の高い綿羽(めんし、ダウン)で卵を覆い、抱卵(ほうらん)を開始します。」

 

よ~く見てください。向こう側にいるのが派手なオスで、手前のメスは羽を広げて水浴び中。

 

ゴイサギ

 

二ホンコウノトリ

 

アオサギ

 

 

 

コサギ

 

頭頂部が赤いタンチョウ

 

クロトキ(黒朱鷺)

 

くちばしがヘラ状のヘラサギ

 

水生物園(分園)から弁財天を望む

 

井の頭池のボート乗り場の前へ出る。

 

隣の池端に並ぶトチノ木。

 

明後日に「水生物館」をご紹介

 

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(1) 井の頭公園の西園をブラブラ

2024年02月03日 | 散歩

 

井の頭通りから水門通りに入り、南に進むと、井の頭線の踏切にぶつかる。

電車の進行方向に吉祥寺駅の「キラリナ」がかすかに見える。

 

 

今、公園内で見かける花はスイセンと、

 

サザンカのみ。

 

鳩の群れが盛んに何かをついばんでいた。帰りにも居たが、何故?

 

改修が終わったボート乗り場。

 

火曜日の12時半、ボートはただ一艘。

 

定点観測地点の七井橋から西側のマンションをパチリ。

 

木の根っこ、すごくない? 普通?

 

井の頭公園には、「井の頭池を中心とした区域」と、西に「井の頭自然文化園(水生物園)」があり、西側に隣接する雑木林の「御殿山(ごてんやま)」と、その南に広がる「西園」があり、さらに吉祥寺通りの北西に「井の頭自然文化園(動物園)」がある。

 

なお、このブログでは、

(1)「井の頭公園・西園」と、

(2)「井の頭自然文化園(動物園)」と、

(3)「井の頭自然文化園(水生物園)」の中の「水生物館」と、

(4)「井の頭自然文化園(動物園)」の中の「彫刻館」   を別々に紹介する。

 

「御殿山遺跡:1962年に直径5mの竪穴式住居跡と多くの遺物が発見され、3、4千年以前の集落があったと判明した。」

 

西園の多くの場所は武蔵野の雑木林だ。

 

玉川上水に架かる「ほたる橋」。昔々は急流が流れ、岸は急峻な崖で、落ちて命を落とす子供もいた。大正8年、遠足で来て、落ちた小学校児童を松本教師が助けて命を落とした。この近くに、「松本訓導殉難碑の碑」がある。

 

橋を渡ると「井の頭公園競技場」がある。

 

「ほたる橋」から玉川上水沿いに南に1分行くと、「手織り工房Jota吉祥寺工房」がある。ここはロウバイ(蝋梅)でローカルに有名だ。土地の前の持ち主がロウバイを見るのを楽しみにしている散歩人が多いので、この木を切らないことを条件に土地を売って、「手織り工房Jota」が買ったのだと新聞で読んだことがある。

 

左に延びる枝を拡大。

 

 

 

玉川上水を登り、吉祥寺通りとの交差点、「萬助橋」へ出て、Googleマップでランチ処を探すも、近場にはなし。

 

「三鷹の森ジブリ美術館」の近くなら、何かあるだろうと、吉祥寺通りを南下。

あいにくジブリ美術館は火曜日が休館で、付近の店も休みばかり。

 

「グルテンフリーのサンドイッチ」という看板のある「MOCMO sandwiches」という店を見つけて、ようやく昼飯にありついた。

 

私は、日替わりランチプレートと、スープセット。

 

相方は「手作りグルテンフリー・サンドイッチ(海老アボカド・オーロラソース和え)。小麦粉は使っていないという。

 

ドリンクセット(コーヒーとアールグレー)

 

この後、井の頭自然文化園(動物園)を観たが、明後日報告

 

 

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『東京 いちどは訪れたいお寺の名建築』を読む

2024年02月01日 | 読書2

 

監修:小岩正樹、文:大浦春堂『東京 いちどは訪れたいお寺の名建築』(2019年4月24日エクスナレッジ発行)を読んだ。

 

㈱エクスナレッジの紹介文

お参りだけではもったいない!
たてもの観賞しても楽しい東京のお寺30選

木の表情、ステンドグラス、彫り物など、
お寺にはたてものの細部を観賞しても楽しい要素がたくさんあります。
本書では東京都内のお寺30軒を、建築的要素に触れながら、
全編撮り下ろし写真の美しいビジュアルで紹介しています。

今度のお休みは、お寺でお参りをした後、
ゆっくりとたてものの佇まいも楽しんでみてはいかがでしょうか?

 

東京の30の寺院を写真+説明文で紹介している。
まえがき、あとがきなど出版の趣旨、選択の理由などを説明する文もなく、ただただ各寺院を紹介する153頁の写真集。

 

浄土真宗本願寺派 築地本願寺

古代インド風の石造り、伊藤忠太こだわりの動物や幻獣が至る所にいる本堂。重要文化財。

 

鬼子母神堂

インド神話で訶梨帝母(かりていも)(鬼子母神)は多くの子供を持っていたが、近隣の幼児を食べてしまう夜叉だった。お釈迦は末の子を隠し、嘆き悲しむ訶梨帝母に父母の嘆きを教え諭した。訶梨帝母は、安産・子育の神となることを誓った。

 

吉祥寺

1657年の明暦の大火で全焼し、現在の駒込に移転。門前の住人の多くは現在の武蔵野市吉祥寺へ移り、吉祥寺村となった。境内には榎本武揚、二宮尊徳の墓、八百屋お七・吉三郎比翼塚がある。

 

護国寺

1681年徳川五代将軍・綱吉の生母・桂昌院の発願で創建。都内最大級の伽藍。富士塚・音羽富士がある。

 

豪徳寺

井伊家代々の墓があり、国指定史跡。願いが叶い、返納された招き猫がずらりと並ぶ。

 

萬松山 泉岳寺

1641年の寛永の大火で高輪に移転。この時、尽力した5大名の一つ浅野家は江戸の菩提寺とした。赤穂浪士の墓がある。

 

増上寺

1393年開山。徳川家の菩提寺で、2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の墓所がある。16000坪の広大な境内には三解脱門などの堂宇が並ぶ。

 

池上本門寺

日蓮上人が61歳で亡くなった場所。表参道96段の石段は加藤清正寄進。関東最古の五重塔。桜の名所。

 

経栄山 題経寺(柴又帝釈天)

「男はつらいよ」の舞台。池泉式庭園「邃(すい)渓園」が1965年完成。

 

浅草寺

飛鳥時代の開創。年間3千万人の参拝者。本堂の天井画は川端龍子と堂本印象。

 

不忍池 辨天堂

寛永年間に天海大僧正が、不忍池を琵琶湖に、小さな島を拡張して竹生島に、宝厳寺に見立てて、辨天堂を建立。

 

塩船観音寺

「花の寺」として知られ、ゴールデンウイークにはツツジが見頃。JR青梅線「河辺」駅からバスで「塩船観音入口」下車徒歩10分。(青梅線+バスって、ちょっと遠く、覚悟が必要)

 

深大寺

満功上人の父・福満と豪族の美しい娘が恋に落ちたが、娘の両親の反対にあい、娘は湖の小島に隔離された。福満が深沙(じんじゃ)大王に祈願し、霊亀が現れて島に渡ることができた。生まれた満功上人が創建したのが深大寺。ということで、縁結びの信仰を集めている。だるま市、参道の蕎麦屋が有名。三鷹・吉祥寺・調布・つつじヶ丘からバス。

北側にある神代(じんだい)植物公園を観てから、南の深大寺門から徒歩0分で深大寺を訪れるのがお勧め。

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め、 最大は五つ星)

 

とくに東京近辺に住んでいる人は、ほぼ知っているつもりになっているお寺ばかりだ。しかし、この本を眺めているだけで、由来・建物の細部・仏像など見逃していた事柄に気が付くだろう。また、近所に意外なお寺があることに気が付くかもしれない。そんな人は、この本を、写真だけでもパラパラ見ることをお勧めします。

 

 

この本で紹介している寺院

1章:西エリア(16寺)
浄土真宗本願寺派 築地本願寺、鬼子母神堂、吉祥寺、九品佛浄眞寺、護国寺、豪徳寺、
常照院、萬松山 泉岳寺、増上寺、池上本門寺、豊川稲荷東京別院、堀之内妙法寺、妙定院、
目黒不動尊瀧泉寺、亮朝院、圓融寺

2章:東エリア(9寺)
諸宗山 回向院、寛永寺根本中堂、弘福寺、経栄山 題経寺(柴又帝釈天)、深川不動尊、
清水観音堂、西新井大師、浅草寺、不忍弁天堂

3章:市部エリア(5寺)
塩船観音寺、高幡不動尊金剛寺、髙尾山薬王院、深大寺、廣園寺

 

 

【監修】小岩正樹(こいわ・まさき)

1977年神奈川県生まれ。早稲田大学理工学術院准教授。博士(工学)。専門は建築史、文化遺産学。

著書、『日本近代建築大全<東日本篇>』(共著、講談社)、『日本都市史・建築史事典』(共著、丸善出版)など。

【文】大浦春堂(おおうら・しゅんどう)

編集者、トラベルライター。おもに社寺参りに関する記事を雑誌やWEBマガジンに寄稿。

著書、『御朱印と御朱印帳で旅する全国の神社とお寺』(マイナビ出版)、『神様とつながる暮らし方』(彩図社)、『神様が宿る御神酒』(神宮館)、『神社とお寺 おいしいお詣りスイーツ』(講談社)。

 

 

 

 

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