かぶれの世界(新)

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為替レートが変えた私の人生

2022-06-14 20:56:56 | 日記・エッセイ・コラム
円安が進行し135円台まで急落したと今朝がたトップで報じられた。1998年の暴落以来の円安で、歴史が逆転したかのように感じた。技術者として働いた70年代から今世紀初めまでの約40年間、為替レートはビジネス上意思決定を左右する重要な指標だった。為替レートの変化に伴い私の仕事が劇的に変わった。

昭和30年代の子供の頃でも1ドルが360円だと知っていた。社会人になって直ぐに72年ニクソンショック、更にその直後に変動相場制に移行してドル200円台になった時は驚いたが仕事に変化はなかった。78年頃だったかに円高が進行し始めた頃、日経の米国視察旅行に参加した時初めて為替を身近に意識した。

多分、視察は会社のテストだったのだろう。海外ビジネスに向いた社員を選別していたのかもと思う。その後、徐々に海外出張に行く頻度が増え、更に人事異動の度に海外向けビジネスの責任を負うポジションに着いた。丁度、日本ではバブル最盛期で円が急上昇し120-160円時代が続いた記憶がある。

80年代前後は高度成長時代で円高と言っても1ドル250円程度だった。当時出張旅費は現金ではなくトラベラーズチェックが支給された。最初の頃は1泊17ドルのモーテルに泊まり、海外経験豊富なベテランを含むチームの一員で出張したが、徐々に経験を積み主任から部長に昇進するにつれ皮肉にも独りで米国出張するようになった。前日に突然行けと言われたり、日程が不明でホテルも車もフライトも現地で予約した。

90年代に入るとバブルが弾けたが円高が急伸しドル100円突破、円高対策として海外生産が進んだ。そして94年にはドル80円を突破し私の部門も米国生産が本格化し、翌年私は工場責任者として米国に出向することになった。だが98年にはドル140円に暴落し20円戻すいった為替の乱高下に直面し翌年帰任した。帰任後もITバブルが弾けドル円は乱高下しビジネスは悪化、母の介護等もあって私は退職することにした。

こうやって振り返ると私の社会人としての人生は、特に後半のビジネス責任者として、為替レートに振り回され色々な経験をした。それは決して平凡な人生ではなかったが、何も知らない田舎者の私には波乱万丈の楽しい経験をさせて貰ったと思う。私は幸運だった。なので、最近の為替変動に一々騒ぐなという感じだ。

実は退職後も為替レートに滅茶苦茶振り回された。リーマンショック時に退職金と相続した実家の資産をつぎ込んだ投資が半減して四苦八苦した。会社勤め時代も含め人生最大の危機だった。何とか生き残り為替を含めた投資資産のリスク分散の重要さを学んだ。そう言いながら実は今回も為替暴落をしのいできたが、昨日今日のたった2日間で受けたダメージは相当なもので正直がっかりした。これも経験だと思いたい。■
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