かぶれの世界(新)

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大胆解説・東芝不正会計(下から目線)

2015-07-21 11:55:07 | ニュース
第三者委員会は東芝の不適切会計の調査報告書を昨日提出したと、私が見たNHKや主要新聞はトップで報じた。報じられた調査結果は私が予測した最悪ケースより更に酷いショッキングなものだった。3代の社長にわたり社長がかなり具体的に不正を指示し、全社にわたって忠実に社長指示を計画して実行し対外的に偽装した、正に会社ぐるみの犯罪的不正行為だった。

構造的な問題については不正の詳細な全体像が分かるまで議論は差支えたい。今私が驚いているのは、東芝のような大組織でかなりの人々が不正と分かりながら作業したという事実だ。想像するに全事業が関わっているとすれば、数百人は具体的に不正に関わり、千人以上が不正が行われていると知っていたのではないだろうか。命令した社長と実行した社員は、戦時中の将と兵隊の関係であり、A級戦犯もB級戦犯も罪は罪だ。それを避けるためには内部告発か知らんぷりをするかしかなかったのだろう。

余り議論されてないが、事件が発覚したのは内部告発があったからという。不正を始めてから告発するまでに少なくとも5年かかった、最初は数十人から始まったのだろうが、ざっくり言うと5年間に1/1000の確率で不正を不正として立ち上がり告発した真の勇者(多分)が出て来たということだ。この人のお蔭で東芝はまともになるチャンスを与えられたことになる。この人がいなかったら、東芝は一体どういうことになったのか。

この確率が高いのか低いのか、国際レベルでいえば労働者市場の流動性の低い我が国の確率は低いと思う。会社や組織への帰属意識はかつてほどではないとしても非常に高い。例えば、分野が異なっても日頃から言論の自由や公正さを訴える朝日新聞の誤報は、外部から指摘され追い込まれるまで訂正しなかった象徴的な例だ。我が国のシステムは残念ながら分野に関わらず自らを正す能力が低い。

世界経済を恐怖の底に追い詰めたリーマンショックの発端になったサブプライム事件の現場で、米国では多くの金融システムが崩壊した。有名な所ではJPモルガンのダイモン会長が手をひくように指示し無傷で生き残ったが、他の金融機関でそのような発言をした社員は首になりその後も職場復帰することはなかったと聞く。米国でも勇者のはずなのに、組織の造反者としてそういう扱いを受ける。ましてや東芝でも、と言いたいが、ホントのところはどうなのか。私はいたと思う。この後も「下から目線」を忘れずこの事件を追ってみたい。■
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田舎暮らし雑感15(6)

2015-07-19 16:02:51 | 日記
朝食後小雨の中を寺に急いだ。年に2回という本堂と位牌の清掃や仏具磨きという奉仕活動の担当が回って来た。初めての体験だった。お寺に着くと既に20人余りの檀家の人達(ほぼ全員が老人)が集まっていた。私が最後だったらしく直ぐに作業が始まった。20人余りが分担して線香立ての器を本堂の縁側に集めてネットで灰を洗浄、湯呑を台所で洗い、位牌を化学雑巾で乾拭き、棚を雑巾がけし、仏具を磨く。

私は位牌周りの清掃を分担した。奥の方に位牌だけ隙間なくびっしり並べたコーナーがあり、住職の奥さんに聞くと夫々に檀家の訳ありの事情があると教えてくれた。本家と仲の悪い兄弟がいて分家のお墓が無い、そこに幼い子供が亡くなって位牌の置場が無くて遺骨だけある場合とか。あまり詳しく知りたいとは思えない事情ばかり。幸いこのお寺は檀家が減ってないらしい。

2時間余りであらかた清掃が終わった。清掃が終わってみると今迄神聖なもので触ったりできなかった弘法大師や観音菩薩などが急に身近に感じた。暫く会わないうちに住職が随分老けた様に感じ、近所の役員に聞くと3年前にガンの摘出手術をやった、以前よりは顔色が良くなったとのこと。奥さんは凄く元気で奉仕活動を仕切っていたが、お寺にはお寺の事情があるものだと思った。例によって「おばちゃ~ん」とか言って馴れ馴れしく話したが、住職のことは聞くのは止めた。

台風11号が通り過ぎ昨日は久しぶりに夏の太陽が顔を出した。溜った洗濯物を夕方取り入れ、少し陽が傾いた頃に草刈機で庭の手入れをやった。何日も梅雨が続いたので何もできず雑草が伸び放題だった。それなりに毎年手入れをしているのだが、少しずつ庭木の形が崩れ毎年咲いていた花が枯れ庭が劣化していく。母には申し訳ないと思うがこれ以上やる気が湧かない。

まだ外が明るかったので燃料を注ぎ足し表のかつては畑で今は荒地みたいな緩斜面の草刈りをトライした。草が腰丈まで伸び茎が粘っこくて大苦戦、燃料が無くなったところで一時中止。次いつやるかは未定だ。それで思い出して緩斜面横の我家の山の草刈りを毎年お願いしている方に依頼の電話を入れた。庭木の手入れは以前教わったが、時にはプロに任せないと形が崩れる。今年は義弟の実家に出入りしているシニアボランティアを紹介して貰った。毎年少しずつ劣化しやる気が失せる。

息子の熱中症騒動以来気になっていたので、熱中症に関するNHKの情報番組を見た。筋肉量が少ないと熱中症にかかり易いという。初めて聞くことだった。それで思い出したのが、先週東京に一時帰国して定期健康診断を受け、体重1kg増なのに腹囲が3cm増えて88cmになっていると掛かりつけ医が頭を捻ったことだ。

普通は1kg体重増で1cm腹囲増だそうだ。このところ痛風などで運動不足になり体重増と筋肉量減が気になっていた。ポッコリお腹でみっともなくなってきた。番組が勧めていたスロー・スクワットと腹筋をやり始めたがまだ効果が出てこない。血圧は薬の量を半分に減らしたが正常に推移している。痛風は先月かかった症状を申告すると生爪はがし時ばい菌が入った可能性もあると先生は言ったが今となってはよく分からない。■
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憲法は人の上にはない

2015-07-18 11:47:47 | ニュース
東京から戻って3日目、落ち着いたところで義弟から連絡があり馴染みのレストランで食事した。彼は田舎での懸案事項が片付き大阪に戻る前に一緒に飯を食おうという訳だった。私達には時間はたっぷりある。最近のマーケットをどう見るかから安保法制まで話題は多岐にわたり長い食事が続いた。

話題の新国立競技場で吹っ飛んだ感があるが、二人の関心は圧倒的に安保法制だった。我々は安保法制を巡る議論が的外れの方向に向かい、ちっとも議論が深まらないのに少し苛立ちを感じていた。衆院で116時間の審議後に強行採決に際して、理解が深まってないと安倍首相自身も認めたと報じられた。

一体何故これ程の重要法案の議論が深まらないのか。私は与党が具体的議論を避けたと思うが、民主・共産等の野党が何が何でも反対という姿勢を貫いたことの責任も大きいと思う。政府が主張した安全保障環境の変化をどう認識して、それに対しどう国民を守るか対案を示して議論しなかった。特に憲法学者が安保法制を違憲と指摘して以来、議論は合憲か否かに矮小化してしまった。これでは幾ら時間を費やしても無意味だ。

安保法制は合憲でなければならないと私も考える。だが、その前の論議として我が国の安全保障環境をどう認識するかコンセンサスを得るべきなのだ。そのもとで国民を守る為に必要な対応が違憲なら、速やかに憲法を変える議論が必要だ。時代の変化によって都合が悪くなった憲法を変えられない国などどこにもない。何があっても護憲との主張には違和感がある。国民を守れない憲法などあってはならない。

その間テレビは国会周辺での反対デモを繰り返し伝え、日本を戦争する国にするなとか、息子が意志に反して徴兵されるとかいう次元の町の声をよく見かけた。ヒョウ柄のオバチャン達が代表する町の声だ。テレビに出演した多くの評論家は政策よりも手続きや政局を解説するばかりで、オバチャンとそう変わらない失笑ものだった。

私は議論が深まっていない別の原因の一つはこのようなマスコミの報道姿勢にあると考える。私のテレビ報道以外の情報源は新聞とネットだ。私が毎日チェックしている日本経済新聞では、安保法案が衆院通過する間際のここ数日にやっと我が国を巡る安全保障環境の変化について詳しく報じ始めた。遅すぎる。

マスコミは最低でも国会審議が始まった頃から安全保障環境について報じるべきだった。テレビは視聴率を理由にした町の声やデモなどの分かり易く短い映像を流すか、国会日程手続きや政局の解説に当てた時間を政策議論に回すことが出来たはずだ。私は義弟に結局は国民の理解が深まらないのはメディアが三流のせいだと決めつけて行った。NYタイムズ・WPがある米国やBBCやFTがある英国が羨ましいと。

今朝の新聞テレビは安全保障論議が国立競技場の白紙見直しに乗っ取られていた。我々国民は情けないけどその程度だ。日本のマスコミの自信不足は何かにつけ海外メディアを引用する。だが、それは都合のいい引用だ。今回の安保法制に関して海外の反応を紹介しないマスコミには違和感を越えて不信感がある。三流と決めつけながら、二流や一流を求めるのは無理があるが。ちょっと寂しい。■
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一時帰国(終)

2015-07-16 18:00:42 | 日記・エッセイ・コラム
今、四国の実家で台風11号を待ち構えている。実家は台風の西側になりそうで、雲の流れを見ても大丈夫だと思う。台風に先立って一昨日の夜東京から田舎に戻った。5日間の短い東京滞在だった。

台風が来る2日前に松山に戻れたのは幸運だった。昼食をとった後残りの時間で読みかけの本を読み切った。LCCの規定で持ち込み荷物の重さは7kgまでなので、ハードカバー1冊の重さはバカにならない。往路では0.3kgオーバーしタブレットを手持ちにして7kg内に収めた。チェックイン時に僅かな時間で井戸端会議して打ち解けたカウンターの女性のアドバイスが利いた。帰りはそんな心配も不要だった。

八重洲口から成田まで1000円で行けるリムジンバスに乗った。乗り込み時運転手に千円を払えと言われたが、後ろに並んだ金髪女性が何も準備してないようで助言した。彼女は私の言っている言葉が分からない様子だったが、後ろの男性の手に回数券の束を見つけて「大丈夫」と表情で知らせると彼女にも伝わった。彼女のグループはずっと後ろに座ったのでそれきりになった。私の隣に座った若い女性は成田までずっと寝てた。

成田のLCC専用ターミナルの待合室ではWiFi接続の無料サービスがあり、いつもやっているメールチェックや情報検索ができた。何時もより早く搭乗案内の放送がありバスに乗った。風が酷く強いので猛暑が気にならなかった。飛行機は東風に向かって飛び立ち房総海岸まで達してから西に向きを変えた。私は窓側の席、隣は空席で通路側に親子連れらしきオバチャンが座った。彼女は30代らしき反対通路の息子との話に夢中だった。

ということで、今回は松山に到着するまで空からの景色を見ることになった。しかし、神は私を見捨てなかった。ディズニーランドからお台場、レインボウブリッジ、東京湾の真ん中から木更津に向かう橋、羽田空港、横浜のランドマークビルが見えた。この後ちぎれ雲が流れ薄い霧で景色がかすんでいたものの、松山に着くまで雲の切れ目からポイントとなる景色が全て見えた。運賃以上の経験をさせて貰った。

暫くすると江ノ島が見え始めた。後ろの座席の女性が同じように窓に顔を付けて景色を見ているので、私は声をかけて解説を始めた。江ノ島から藤沢・茅ケ崎、その右手が小田原で伊豆半島だと。後ろから男性の声が聞こえカップルだと分かった。嫌がっている様子はないが、解説は遠慮し景色に集中した。静岡に入り三島の先から町名は特定できなくなったが、そのうち浜名湖が見え逆算して東側が浜松だと分かった。

更に遠方に知多半島、手前の名古屋湾に中部国際航空が突き出しているのが見えた。ここから暫く雲に覆われ景色は見えなかったが、その先に大阪湾に臨む大阪・和歌山の町と関空が見えた。東京湾に比べ海に浮かぶ船の数が圧倒的に少なかった。神戸を過ぎて淡路島の大きな島影と手前にかかる大橋が見えたが、鳴門大橋は雲に隠れて見えなかった。

その後ドンドン雲が厚くなったが、幸運にも雲間に小豆島や瀬戸大橋・しまなみ海道が見えた。しまなみ海道を過ぎたあたりで入道雲とその下にスポットが当たったように夕立が降っている様子が上空から見えた。低空飛行で松山空港沖の小さな島々の集落を見ながら定刻で到着した。成田から松山までこんなに様々な景色を楽しめたフライトは初めてだ。後ろのカップルに聞くと何処を飛んでいるか私が教えない限り気付かなかったらしい、もっと口出しすべきだった。

指定された空港のパーキングスポットに行くと、車を預けた駐車場のマイクロバスが停まっていた。預けた車に乗り換え松山から夜の山道を実家に急いだ。曲がりくねった夜間の山道は対向車が当然現れて来て前が見えなくなり怖かった。実家の近くで当座の食料を仕入れ実家に着くと8時を過ぎていた。短い一時帰国がやっと終わった。家族に無事着いたと知らせ風呂に入った。

会社勤め時代に比べても実に忙しい5日間だった。最初の日は立川に行き免許証更新、午後は田舎暮らしの間に溜った書類を整理した。2日目は自宅の建て替えの為工務店との打ち合わせ、3日目は子供達との定例期中会議と家族が全員集合して誕生パーティと長男の熱中症騒ぎ、4日目は健康診断に資産売却と贈与手続き、最後の日は書類整理の続きと庭の手入れして出かけた。もう少し余裕のある日程にすべきだった。■
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日独が歩む対照的な道

2015-07-15 18:11:29 | ニュース
いつもの様に日本経済新聞を開きテレビニュースを見ながら朝食をとった。イラン核協議が最終合意したと新聞はトップで伝えていた。世界のバランスを変える歴史的な合意であると報じていたが、朝のテレビニュースはそれ程重要だとは思ってないのか殆ど扱っていなかった。一方、CNNやABC、BBC等海外メディアはでこの合意の歴史的な意味を興奮気味に詳しく伝えていた。

よくあることだと思ったが、新聞の3ページを開くと中段に「対イラン経済制裁解除へ 日欧企業、商機狙う」という見出しを見て私は嫌な気分になった。経済的には当然の行為で新聞も間違ってはいない。だが、その時頭の中では安保法制に関連し世界に貢献しようという人達が非常に少ないという日本の民意と重なった。

もしそのことが海外で報じられ、一方で核協議の合意の最大の受益者を日本が狙うと海外の読者が見たら、「ヤバイこれは軽蔑される」と思った。他国が(血と)汗を流して実現した合意を狙って経済的な利益をかすめ取る、しかも多分最大の利益を、と見做されたら将来辛いことが起こるかも知れないと真剣に心配になった。

ニュースでは米国ばかりが目立つが、この歴史的な合意に6か国の一つとしてドイツも加わっている。ギリシャ危機ばかりではない、ドイツは欧州の盟主として重要な決定の実質の責任をとっている。メルケル首相はドイツ国民の8割が反対するギリシャ支援に踏み切った。敗戦国として目立つ貢献は避けているが軍事同盟(NATO)の軍事行動でも責任は果たしている。

ドイツの国際貢献は最早隠しようのないが、ここに来てドイツにしかできないと望まれて活動をやっているという自負を感じる。逆説的だがドイツへの非難を聞くたびにそう思う。ギリシャ危機が繰り返すたびに結果的にドイツの存在感を高めた。日本にはそのような覚悟が無い。第2次世界大戦の敗戦国で奇跡の回復を遂げ世界の経済大国になった両国ながら、日独は何という対照的な道を歩んでいるのかとつくづく思う。

日本人は何処で道に迷ったのだろうか。先日NHKの番組での問題、戦争体験を語り継ぐといえばいまだに被害者の文脈でしか語られない、を指摘した。日本人兵隊がアジア諸国でやったことの反省が一言も聞かれなかったのだ。今の安保法制の議論も合憲性や危険かどうかだけだ。私には何時まで経っても非難を恐れ責任を果たさず自分の安全のみを考える子供のままの日本の姿を思い浮かべる。

発想の原点は安保法制公聴会での外交評論家岡本行夫氏の発言「世界が助け合っているときに日本がわれ関せずという態度を取ることは、すなわち日本人の命と財産を守る負担は他の国に押しつけるということを意味します。」とすべきと私は信じる。戦争被害を語ることの多い沖縄で元参院議員が同時に沖縄出身の兵がやったことをアジアの人々に謝罪する姿は新鮮だった。少数でもいい、世界の中で生きる日本に相応しい生き方を求むべきだ。■
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