かぶれの世界(新)

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家訓の引き継ぎ

2015-07-13 22:01:54 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の長男の熱中症が気になり、予定した健康診断が終わり帰宅後直ぐに電話して様子を聞いた。嫁さんが出て来て、長男は今日は休暇をとった、1日明けても手の震えが止まらないので近所の町医者に診て貰ったと言う。彼は何とかなってる大丈夫と私に心配させないよう無難に答えた。しかし、嫁さんが割って入り昨夜眠れなかったようだ、手の震えが止まらないのが心配と訴えた。

私は息子に納得するまで医者を変えて診て貰えと助言した。その時急に思い出して会社勤め時代の教訓を伝えた。自分の健康は何より大事、頑張って仕事をして健康を害しても会社は面倒を見ない、自分の健康は自己責任だと、かつて職場の上司に言われた教えを紹介した。彼が夜寝るのを惜しんで仕事をし、疲労が溜っていたのが熱中症になった原因の一つと嫁さんは心配していた。彼女はつい最近父君を無くしたばかりだ。

10年余り前に早期退職した時の私の思いだった「子は親より先に死んではいけない」を我が家の家訓にする、今日その家訓を長男に引き継ぐと電話で勝手に宣言した。私の祖父は25歳、父は55歳で死に、残された祖母や母は長く大変な難儀をして子供達を育てた。だが、2代続けて男が早死にすると残された家族の苦労は精神的だけでなく、一族が経済的に衰えて行くことになると言った。

仕事で成功しても早死にしたら何の意味もないぞと言うと、一応分かったと返事が返って来た。私が彼の年齢の頃は全く分かっていなかったので、彼が本当に分かったのか心配だった。私たち家族は熱中症そのものより、熱中症を引き起こした要因を心配した。

米国に単身赴任した時私は腹を決め、物事の優先順位は1)自分の健康health、2)family家族、3)people従業員だと言い、その後にビジネスが来ると見栄を切った。正直言うと後半に経営悪化しリストラをやらざる得なくなり嘘をついたことになった。だが、それでも自分を大事にすることが家族の為になるし、健康でいることで正しいビジネス判断が出来ると割り切ってやった。

長男はまだ体力が回復してないせいか初めて聞く家訓に同意したが、体力が回復し仕事にのめりこむと忘れてしまいそうだ。時々新たな家訓を思い出させてやるのが我々の責任になりそうだ。■
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2015-07-12 23:29:21 | 健康・病気
今月は我一族の繁殖月間だ。母と息子2人と孫1人が7月に生まれた。今日は家族全員が集合して銀座中央通り沿いにある小籠包のお店で誕生パーティをやった。その前に定例の子供達との期末会議の為、小籠包の近くのルノアールでコーヒーを飲みながら実績報告をした。私が突然死しても引き継げるようにする会議だ。その時から長男は何だか元気が無かった。

1時間後に小籠包のお店に行き、遅れて参加した家族を待たずさっさと飲み食いを始めた。そのお店はかつて長男が上海出張時に行った同じ店で、日本にも店を開いたので家族にも食べさせたいと選んでくれた。前日埼玉でサッカーをしてぼろぼろになったという娘の夫君や孫たちも遅れて参加した。流石に専門店だけあって、小籠包はとても美味しかった。ついでに言うと案内してくれたウェイトレスも美人だった。

パーティが終わり娘夫婦と分かれ三越に行き以前から約束していたバッグを長男の嫁さんにプレゼントした。買い物が終わり9階に上がると、屋上の公園で孫の面倒を見ていた長男が気分が悪と訴え、暫くすると立てなくなってソファーに横たわった。見る間に症状が悪化した。警備員を見つけ家内と行き助けを求めると表の交番に行けという。私は分かってないと思い、家内に俺に任せろと言い1階の受付に行った。

受付の女の子は救急車を呼ぶか、或いは、自力で行けるならと救急病院最寄りの病院の聖路加国際か慈恵医大を紹介してくれた。ちょうどその時長男の嫁さんから具合いが悪化し、倒れたままになったと電話連絡を受け、受付の女の子に救急車を呼んでくれと頼んだ。彼女は受付からは呼べないが、担当の係員に連絡して対応させ、私には直ぐにエレベーターまで行ってくれ言った。そこで男性の係員が付き添ってくれ専用のエレベータで9階に戻った。

ソファーの辺りは人だかりができ、三越の担当スタッフと思われる人達数人が、書類をうちわ替わりに長男に風を送り氷の袋を後頭部に当て、その横に家族が心配そうに眺めていた。長男の顔色はそれほど悪くなかったと思うが、右腕が痙攣していた。嫁さんに紹介されたまたま隣にいたという医者が見てくれ、熱中症のようだ、脈拍はしっかりしているからたぶん大丈夫だと言ってくれた。

そのうち、担架を持った救急員が来てくれ直ぐに血圧等を測り担架に乗せた。書類を覗くと血圧は144-92とやや高め程度で少し安心した。1階に着くと救急車が百貨店に横付けされており、長男家族が一緒に救急病院に連れて行かれた。病院は三越から直ぐ近くの木挽町病院だと聞き、歌舞伎座の裏側にある小さな救急病院で歩いて行ける距離にあった。

私は残りの家族に先に行かせて受付等にお礼を言いに戻った。遅れて病院に着くと長男は点滴を受けているという。暫くすると看護婦に呼ばれ嫁さんが病室に行った。両親がいなくなって孫達は大声で泣き始め、その後1時間は子供を慰めるのが我々の役割だった。約1時間半後、長男は歩いて出て来た。点滴を受けただけというが、思ったより顔色は良く足元もしっかりしていた。

嫁さんは少し怒っていた。このところ凄く忙しく、何度注意しても夜中に起き出して仕事をすることがあった。今日もパーティの後に仕事の予定で、先ほどの電話は会社への断りの電話だという。確かにそりゃやり過ぎだ。長男は本当に私によく似ている。思ったよりしっかりしていたので、本人の訴えを聞いて病院を出て別れ別々に自宅に戻った。それでも凄く心配だったが、自宅に戻ると嫁さんから無事戻ったと報告を受け、やっと安心した。

駅に着くと東京競馬場から花火が上がっていた。夜のニュースでは今日の猛暑のため全国で769人が救急車で運ばれ、二人が亡くなったという。そのうち関東地区では286人だったという。別れる前に長男は歴史に名を刻んだ、今日のニュースに数字が出る、その数字の一人になると言って別れた。イエス、長男は7月12日の286分の1になった。■
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一時帰国

2015-07-10 22:27:17 | 旅行
今、東京の自宅にいる。3ヵ月ぶりに自宅に戻り少し疲れている。

昨日朝食をとりながらテレビを見て驚いた。四国松山市が豪雨に襲われている映像が流れ、松山空港設立以来の雨が降ったとニュースが伝えていた。フライトが2、3便キャンセルになったという。予約した夜8時過ぎの東京行きの便が無事飛ぶか心配だった。だが、朝方は車で1時間南の大洲市は晴れ間がのぞいていた。

ところが、夕方5時頃に実家を出る頃は朝テレビで見たのと同じような豪雨が降り始めた。10mも離れてない車に乗り込んだ時はずぶ濡れ、ビニール傘は全く役に立たなかった。国道で大きなトラックとすれ違うと水たまりのしぶきで一瞬前が見えず、目を瞑って前に進む恐怖を感じた。だが隣町の内子町を通り過ぎると雨足は弱くなり、更に峠を越えると嘘みたいに晴れ間が見えた。

空港の近くの有料駐車場に車を停め、そこで係員に聞くと朝方の雨は凄かったらしい。空港周りだけでなく松山市繁華街の三番町の道には水かさ30cm位冠水し、周りの店に車が水しぶきを飛ばしていたという。これから先、機会あるごとに雨の様子を聞きどの位降雨が凄かったか感じをつかんだ。空港行きのマイクロバスに乗り込んだ若者グループは船で釣りに出たらしいが、大して雨は降らなかったらしい。

チェックインをやってくれた地上職の女性は、朝の通勤時は水の中を運転するようで大変だったという。滑走路のマンホールが水圧で浮き上がり、着陸できない飛行機が上空を旋回するのを見たという。滑走路にマンホールがあるとは知らなかった。チェックイン時松山は晴れ、大洲が大雨だと言うと彼女は驚いた。用足しにトイレに入ると清掃員のオバサンがいた。彼女が言うには短時間でこれ程の雨が降ったのは記憶がないという。

飛行機は定刻に飛び立ち、隣には休暇をとってディズニーに行くという感じのいいカップルが座った。彼女は朝一番町のオフィスに向かった時は晴れていたが、仕事を始め気がつくと外は大雨だった。チョットした時間差で天候が急変したようだ。これだけ手当たり次第に天候のことを聞いたのは初めて、記者になったみたいだが大体の様子は分かった。なんでこんなに詳しく知りたいのか自分自身分からない。

成田に定刻通りに着いたが既に10時前、ネットで調べた範囲では電車に乗り新宿経由で府中の自宅に着くのは翌日(今日)になるはずだった。LCC専用の第3ターミナルから第2ターミナルの電車乗り場までは500m以上ある。必死で歩いた。第2ターミナルに着き電車乗り場を探して歩を緩めると、前方に見慣れたオレンジ色のリムジンバスが見えた。

バスが新宿行きと確かめ何時に着くか聞くと11時10分頃になるという。二つ返事で乗るというと、カウンターに戻りチケットを買えという。1分後に出発なので係員が案内してくれチケットを買って乗り込むとバスは出発した。運賃は3100円でLCCの航空運賃と変わらなかったが、深夜の40分の時間差はお金に代えられない。

国際便のターミナルから乗り込んで横に座った老夫婦はニューヨークから帰って来たという。仕事でしか行ったことのない私は3週間近く滞在したと聞き羨ましく思った。ナイアガラは片道8時間あるので泊りがけ、NYのホテルは高いが結婚して住む娘さんの家に泊まった、そこが昔から富裕層が住むロングアイランド、今はレストランになっている物凄い豪華な家、とか聞いているうちに新宿に着いた。深夜の首都高は予想以上に空いていた。

私はもしかしたらどんな人からも話を聞き出せるインタビューの達人かも知れない。おかげで、悪天候の中の深夜のフライトを退屈せず無事に過ごせた。免許証の書き換えから健康診断の予約、家族パーティや定例会議の設定、古本あさり、溜っていた洗濯物を干し午後から追加の洗濯まで、今日の方が余程大変だった。疲れた。■
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奇跡の一瞬

2015-07-08 23:31:01 | 日記
昨日の朝いつもの様に市場状況をチェックしていると、義弟から電話で昼食を誘われた。いつもの様に約束事など何もない田舎暮らしの独居老人に断る理由はない。二つ返事でオーケーした。2週間前に休店日で食べ損ねた義弟の友人がやっているお店で美味しい天ぷらを頂いた。

その後いつものカフェに行かず、義弟の勧めで国道沿いのコンビニでコーヒーをトライした。コンビニ・コーヒーの中でセブンイレブンが一番美味しい、ファミマは止めた方が良いと彼は言う。先日まだ妹が実家に滞在している時、セブンイレブンのコーヒーを出前してくれた。その時のコーヒーが美味しかった記憶がある。

コンビニ内のコーヒー・メーカーのすぐ横にある二人掛けの小さなテーブルに座り、コーヒーを飲み始めると次々とお客が来てコーヒーを買って行った。普通の買い物をするお客より多かった気がする。コンビニコーヒーが大ヒットだったというニュースを初めて実感した。コストパフォーマンスは多分ナンバーワンだ。

ここからコンビニでは普段は見かけない風景が展開したと思う。コーヒーを買いに来たお客に次々と声をかけ減らず口を聞いて楽しむ変わった老人二人の姿だ。特に女性の場合は漏れなく声をかけた。最初のお客はややぽっちゃり体型の大柄で感じのいい女性だった。例によって私は直ぐ声をかけ、コーヒー豆を挽きドリップが終わるまでの数分間の井戸端会議を続けた。

義弟も私も反応が早くしかも気の利いた返事が帰って来る彼女が一瞬にして気に入った。彼と最初から意見が一致すること等一度もなかったのに、奇跡的に二人の頭に灯が点った。勿論その間に悪ガキ老人は素早くチェックしている。義弟は化粧した様子がないのに美人だといい、私はくるぶしまで届くロングのワンピ姿が良く似合う彼女を見て中身の体型を想像していた。二人の奇跡の理由は別だった。

一人目が設定した基準はかなり高かった。そんなに幸運は続かない。二人目以降は少し事務的なったが井戸端会議を続けた。午後1時過ぎという時間帯のせいかもしれないが、意外に女性の比率が高く半数もいて少し驚いた。コーヒーを飲み終わり店を出ると、義弟の車の横に停めた車の運転席に座る最初の彼女が私に気付き笑顔で手を振った。まだ話足りないと思ったが、彼女の連れが後ろにいるようなので踏みとどまった。

義弟がいうには彼の車が大阪ナンバーのでかいベンツなので彼女は興味を持ったのであって、私に気があった訳じゃないと断定気味に言った。私に異論はなかった。そうでもない限り禿げ頭のジーサンに手を振ってくれることもないのは分かっている。もう会うこともない。それでも何も起こらない田舎生活を彩る出来事が嬉しかった。

ギリシャ危機や上海・東京市場暴落など大きなニュースが飛び込んできてどうしようと思ったが、今日はやっぱりこれが私のトップニュースだ。■
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ギリシャ危機を招いたのは国民(訂正)

2015-07-07 11:04:19 | ニュース
先月30日に投稿した掲題名の予測記事とは全く逆の結果が、5日実施されたギリシャの国民投票で示されたので訂正させて頂きます。記事の主旨は題名通りですが、後半でギリシャのポピュリズム政治は年金世代に支えられている、我が国の先を走るシニア先進国だと指摘した。

国民投票に先立つ予測では手厚い社会保障を受けている年金世代が反対し賛否が拮抗するだろうという見方に私も乗ったのですが、投票結果は意外にも社会保障から漏れて苦境にあった若者世代が反対に回ったため大差で反対する結果になったと報じられた。彼等は緊縮政策が苦境の原因だと考えた為だという。

考えの浅い人達が理屈に合わない目先の判断をした、貧すれば鈍するを地で行ったと思う。もう先のことを考える余裕すらなくなっていたのかもしれない。一方で手厚い年金を貰っていた世代の多くが、将来を考えて緊縮策を受け入れる投票したという。私の見方も浅かった。これは必ずしもギリシャだけではないかも知れない。■
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