一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

羽生九段、1500勝達成

2022-06-17 21:09:03 | 男性棋士
16日は第81期B級1組順位戦・羽生善治九段VS山崎隆之八段戦が行われ、羽生九段が勝ち、公式戦通算1500勝を達成した。羽生先生、おめでとうございます。
羽生九段の1500勝については、一部の将棋ファンがいまかいまかと待っていたが、ついにそのときが来たわけだ。
しかし羽生九段、この前まで1498勝だったはずだがそこはそれ、未放送分の勝利がひとつあったというわけだ。年度末の勝率や連勝など、某棋戦の未放送分(未公表分)には困惑させられる。
順位戦第81期は盤のマス目、B1も81に見えるが、羽生九段が達成するにふさわしい棋戦だったといえる。
ところで羽生九段はこの記録により、「特別将棋栄誉敢闘賞」という長ったらしい名前の賞を受賞することになった。この制定は2022年4月。要するに、羽生九段の記録達成に備え、日本将棋連盟が用意したというわけだ。
このルーツは「600勝達成」時に受賞する「将棋栄誉賞」である。
これは1984年に制定されたもので、日本将棋連盟の創立が1924年9月8日なのだが、創立60年記念行事の一環だったとされる。600勝とは、60年に10を掛けたもので、だから500勝ではなく600勝という、やや半端な数字なのだ。
ここまで公式戦で600勝を達成したのは、男性棋士54名、女流棋士2名である。
だが日本将棋連盟が公表している将棋栄誉賞受賞者は、57名である。これは、対局数が少なかった木村義雄十四世名人と、593勝で没した花村元司九段に贈呈したのと、中井広恵女流六段がフリーだったため、連盟の記録に載らなかったためである。つまり、56+2-1で、57名になるのだ。
ただ、2007年11月24日に通算598勝で亡くなった真部一男九段には贈呈されなかったので、現在は数字に厳しくなっている。
先ごろ引退した桐山清澄九段も1000勝まで「あと4」だったが、おまけはしないのである。でも、だからこそ尊いのだと思う(もっとも花村九段の時代は記録の不備があったので、7勝分は見込みとして加算したのかもしれない)。
このあとは800勝、1000勝、1200勝と表彰対象になるのだが、下記の通り、だんだん該当者が少なくなってくる。

600勝……将棋栄誉賞(57名)
800勝……将棋栄誉敢闘賞(25名)
1000勝……特別将棋栄誉賞(9名)
1200勝……将棋特別栄誉賞(5名)
1500勝……特別将棋栄誉敢闘賞(1名)

1200勝のあとは1400勝ではなく、1500勝が表彰対象なのだ。
さて、ここから羽生九段が何勝上乗せできるかだ。大山康晴十五世名人は1977年に54歳で1000勝を達成したあと、15年で433勝を上乗せした。
その伝でいくと羽生九段の2000勝達成も夢ではないが、ああそんな先のこと、考えるだけで頭がおかしくなる。羽生九段には1つでも多くの勝ちを上乗せしてもらいたい。
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富沢キック

2022-05-30 00:44:23 | 男性棋士
富沢幹雄八段は知る人ぞ知る名棋士である。富沢八段は、戦前の1943年四段。戦後に順位戦が始まり、富沢八段はC級に参加した。
若手時代には山田道美九段、関根茂九段、宮坂幸雄九段らと研究会を行った。これが共同研究の走りとされる。
富沢八段の得意技は、振り飛車に対する▲4五桂ハネだ。桂のタダ捨てだが△4五同歩▲3三角成△同桂に、▲2四歩△同歩▲同飛で飛車先を突破する。「山田道美将棋著作集」(大修館書店)にも紹介されている攻め方で、「富沢キック」と呼ばれた。
この「富沢キック」、私は実戦譜を見たことはないのだが、先日ひょんなことから、その該当局を知ることができた。

1991年7月4日に、第40期王座戦一次予選で、富沢幹雄八段VS藤井猛四段戦が行われた。藤井四段はこの年の4月に四段になったルーキーで、振り飛車の使い手という触れ込みだった。ここで富沢八段の「富沢キック」が炸裂した。では、ご覧いただこう。

第1図以下の指し手。▲5五角△6三金▲7七銀△4三銀(第2図)

当時富沢八段は71歳。丸田祐三九段に次ぎ2番目の長老棋士で、隠居した侍のような雰囲気があった。順位戦は前期にC級1組から降級し、C級2組に在籍していた。
第1図は藤井四段が△7四歩と美濃囲いの懐を拡げたところ。これがやや危険な一手だった。
▲5五角が機敏な手で、△6三金を強要。そしてゆうゆうと▲7七銀と上がる。
そこで△5四歩▲6六角△6五歩は、▲5七角△4三銀▲2四歩△同歩▲同角△2二飛▲2三歩△同飛▲4六角で先手勝ち。
よって藤井四段は△4三銀と上がり前述の変化に備えたが、ここであの手が出た。

第2図以下の指し手。▲4五桂△同歩▲3三角成△同桂▲2四歩△同歩▲同飛

▲4五桂が「富沢キック」である。前述の通り、桂損の代償として、飛車先の突破に成功した。
なおこの進行になったとき、後手の左金は△6三にいたほうが、先手としては指し易いのだ。
そこから丁々発止の攻め合いとなり、局面は進んで第3図。

第3図以下の指し手。▲1二竜△2九竜▲7四桂△同金▲6一馬△同銀▲7四歩 以下、103手まで富沢八段の勝ち。

▲3九香に△2二香と打ち返した局面。先手玉が居玉に還元しているのが面白い。
さて△2二香に▲同竜は、△6九桂成▲同金△2二馬で後手勝ち。
よって▲1二竜に△2九竜となったが、そこで▲7四桂の王手を利かし、△同金に▲6一馬とバッサリ行ったのが好手だった。△6一同銀に▲7四歩と金を取り返し、先手優勢である。
以下も富沢八段が的確に攻め、勝ち切ったのだった。
老雄にしてやられた藤井四段だったが、翌1992年1月の第5期竜王戦6組では、再び富沢八段と対峙し、雪辱を果たした。しかし戦型は、相矢倉だった。
そして藤井四段はこの後「藤井システム」を開発し一世を風靡。1998年には第11期竜王戦で谷川浩司竜王を破り、竜王位に就いた。
いっぽう富沢八段は1992年初頭から体調を崩し、順位戦C級2組は9回戦と10回戦を不戦敗。降級点が付いてしまった。
引き続き1992年度、93年度も休場し、自動的に降級点3となり、規定により引退となった。
よって、たぶんではあるが、上記の藤井四段戦が、公式戦最後の「富沢キック」だったと思われる。
富沢八段は1998年1月10日、77歳で逝去。記録より、記憶に残る棋士だった。
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谷川浩司十七世名人誕生

2022-05-26 23:19:42 | 男性棋士
谷川浩司九段が現役のまま「十七世名人」を襲位した。
谷川十七世名人は1997年、羽生善治名人から4勝2敗で名人を奪取し、十七世名人の資格を得ていた。谷川十七世名人は今年還暦を迎え、中原誠永世十段が還暦で十六世名人を襲位していたことから、谷川十七世名人誕生も時間の問題と見られていた。とはいえ、まさか棋士総会で決まるとは思わなかった。私は、秋の「将棋の日」まで待たされると思っていた。
その一方で、懐疑的な部分もあったのである。以前も記したが、「将棋界に名人は2人いらない」が谷川十七世名人の信条だったと思う。谷川十七世名人が「名人」だったころ、A級には大山康晴十五世名人がいた。現役名人として、大山「十五世名人」の存在は面白くなかったと思う。事実、このころの谷川十七世名人の自戦記では、「大山15世」までの表記で、「名人」を省略していた。ここに、現役名人としての矜持を見たのである。それだけに今回、谷川九段の快諾?が意外だった。
もっとも、谷川十七世名人のあとにも森内俊之十八世名人、羽生十九世名人と永世名人有資格者がおり、順番にどんどん襲位してほしい裏事情もあった。
というわけで、今年は順位戦B級2組に、永世名人の肩書が出現する。A級以外の永世名人では中原十六世名人に次ぎ2例目だが、中原十六世名人の場合はフリークラスだった。
B級2組に十七世名人、に異を唱える人もいるだろうが、私はまったくそう思わない。むしろ、ここ数年停滞気味だった谷川十七世名人が、往年の力を取り戻してくれる期待のほうが大きい。
とにかく今期の順位戦は、羽生九段が在籍するB級1組も注目だが、B級2組も目が離せなくなった。
谷川先生あらためて、十七世名人襲位、おめでとうございます。
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堀口一史座七段、八段昇段まで「あと1」

2022-05-16 22:20:21 | 男性棋士
堀口一史座七段が10日の第94期棋聖戦一次予選1回戦・石川陽生七段戦に勝ち、八段昇段まで「あと1」とした。
堀口七段は同日に行われた同2回戦で西尾明七段に敗れたため、昇段はおあずけになったが、いよいよである。2月のNHK杯予選・決勝で勝てていれば、今頃は八段だったのだが、それは言うまい。

堀口七段は1996年4月、21歳で四段デビュー。当初から好成績を挙げ、4年目の1999年度には47勝を挙げた。
この前後にNHK杯、新人王戦、銀河戦と準優勝に終わり、「準優勝男」と呼ばれたが、2002年、第20回朝日オープン将棋選手権(現在の朝日杯将棋オープン戦とは別)では、杉本昌隆六段を破って棋戦初優勝を果たした。
しかし堀口七段が本当に世間を驚かせたのは、2005年9月2日に行われた第64期B級1組順位戦・青野照市九段との一戦である。ここで堀口七段は1手に「5時間24分」の大長考をしたのだ。これが現在も残る最長考記録であるが、その局面は意外に知られていない。ここで確認しておこう。
堀口七段の後手で角換わりになった本局。中盤まで5分のハイスピードで飛ばした堀口七段は、56手目に突然、大長考に沈んだ。
そこで指されたのが△7六歩(図)である。

加藤一二三九段は、どう指しても一局という局面でこんこんと考え無駄に時間を消費したが、この局面は考え甲斐がある。といったって5時間24分は考えすぎだ。しかし、プロが根を詰めて考えると、ここまで時間を消費できるのかと感心したものである。
将棋は堀口七段が76手まで勝ち、うれしい勝利となった。
だが、堀口七段のピークはこのあたりまでだった。2013年には病を得て途中休場。年度2勝しかできなかった。
しかもここ数年はまた体調が悪くなっているようで、2017年度からは最多でも5勝しかしていない。
2019年には第78期C級1組順位戦で藤井聡太七段と当たったが、47手までで惨敗した。
とはいえ堀口七段、往年の力を発揮して快勝するときもあるから、目が離せないのだ。
堀口七段は現在C級2組で降級点2。今期も降級点を取ってしまうだろう。堀口七段はB級1組まで昇ったから棋士としては成功者の部類に入るが、このままフリークラスにフェードアウトしてしまうのは残念すぎる。
何か奇跡は起きないものだろうか。
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折田四段の成績はどうなっている

2022-05-12 21:42:47 | 男性棋士
早いもので、プロ編入試験で合格し、2020年4月に棋士になった折田翔吾四段が、棋士3年目に入った。折田四段はフリークラス在籍なので、あと8年の間に順位戦に参加しないと、強制引退となる。
では簡略だが、折田四段の2年間の成績を見てみよう。

2020年度:●○●○○○●●●○●○○○○●○●○○●(12勝9敗)
2021年度:○●○●○○●●●●○○○○○●○●○●●○○○○「●」●●(15勝13敗)

2年とも5割を越えているから悪くはないが、順位戦参加のためには爆発的な勝利が必要だ。
達成条件はおなじみの「いい所取り20勝10敗」があるが、昨年度は中盤に5連勝があり、いい感じだった。
「●」は今年2月に指された第72回NHK杯予選決勝の澤田真吾七段戦だが、これに勝っていればその時点で「12勝4敗」となり、大いに希望が持てたところだった。
しかしこの対局に負け、さらに2連敗で2021年度をフィニッシュ。現在「いい所取り11勝7敗」なので、20勝10敗には残り「9勝3敗」が必要となる。これは相当厳しい。
ちなみに、プロ編入試験の先輩である瀬川晶司六段と今泉健司五段は、順位戦参加にそれぞれ3年7ヶ月、1年8ヶ月を要した。
折田四段は瀬川六段と今泉五段より若いからまだ期待値は高そうだが、そう簡単に行かないところもある。
すなわち、27歳でフリークラスに降級した熊坂学五段、同・33歳の中尾敏之六段、同・34歳の本間博七段が順位戦に復帰できなかった例もあるからだ。
いずれにしても、アマのときと違い研究時間はいっぱいある。とにかく、一局一局勝っていくしかない。
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