立原の浜は、午後4時半ごろに上がった。「プライベートビーチ」だからもっと泳いでいられるのだが、物事は何でもほどほどがよい。潮も満ちてきたし、このあたりが潮時だと思った。
海水パンツにTシャツ姿、頭に麦わら帽子というオッサン度丸出しのまま、宿に向かう。途中に屋良の浜があったので、そこにも寄って、一休み。実にのどかだ。
宿に戻ってシャワーを浴び、しばらくすると夕食の時間である。一日海で泳いで、食事。ふだんの仕事に対するご褒美といってしまえばそれまでだが、あまりに休みを満喫し過ぎて、バチが当たりそうな気がする。
夕食も、昼と同じメンバー。夕方の便の客はいなかったということだ。
スイミングスーツの女性は、午後もどこかで泳いだのだろう。いまはオリオンビールのTシャツを着てサッパリしている。ボーイッシュだがほのかに色気があって、私の好きなタイプである。ふふふ…。
少年は釣りをしてきたそうで、その釣果がテーブルに並んだ。ほかにも魚を中心に、美味しそうな食事が並ぶ。ご主人が存命のころは肉料理が多かった気がするが、女性中心の経営になってからは、魚が多くなった。
イケメン氏は、海岸の岩陰で一日のんびりしていたという。狭い島ながら、各自お好みの場所で楽しんだというのがおもしろい。
私は人見知りが激しいのだが、何となく打ち解けて、いろいろしゃべる。その話の中で、あの女性と小学生の子供が、親子だったことが判明した。これは小さからずショックである。夜のゆんたくでは彼女とお近づきに…と、よからぬ妄想を抱いていたのだが、これで雲散霧消してしまった。
ところで、父親は? とは聞かぬのがエチケットであろう。下手に突っ込んで、「あなたこそアタマが薄いようだけど、もちろん奥さんはいらっしゃるんでしょうね」などと反撃されたら、ヤブヘビである。
彼女も鳩間島のファンで、毎年訪れているらしい。昨年だったか、シングルマザーの親子が泊まったことがあったが、あの彼女とは別人だ。ただ、今年の彼女とは、以前どこかで会った気もした。
イケメン氏は学校の教師。奥さんは現在波照間島におり、あす竹富島で合流するのだという。そういう旅は私の理想だ。
そのイケメン氏、奥さんとの馴れ初めが劇的だった。数年前、ふたりは竹富島の民宿でいっしょになったのだが、その後奥さんが先に、鳩間島に来たらしい。ところがこのまるだいで、彼も後からここに訪れることを知り、彼に一目ぼれ?していた彼女は、まるだいに彼への手紙を置いて行ったという。
要するに、古風な逆ナンである。手紙はまるだいから彼の手に渡り、それが実って、ふたりはゴールインした。ふたりのキューピッドは、まるだいだったのである。
…と、そんなことを聞いても私はおもしろくない。皆さん将来が約束されていて羨ましいですなあ、とスネるのみである。
「でも、沖縄から帰ってきたら、お互いの魅力が半減して見えた、ということはありませんか?」
と、私はケチをつける。「ほら、スキーでもよくあるじゃないですか」
「逆よ」
と宿の娘さん(繰り返すが、けっこうな歳である)。「スキー場ではいろいろ着飾ってるけど、八重山の旅行はお互い素の自分を出してるから…」
「あ!!」
そうか…。それは確かに道理である。とすると、私も沖縄では、素顔の自分を出しているということだろうか。でもそれで魅力がなかったら、救いようがない。
きょうの宿泊客は少ないですね、という話になる。先にも書いたが、4人はどうなんだろう。
鳩間島が有名になり、島内にいっぱい民宿ができた。だが、しゃれた民宿ができれば、客はそっちに移る。しかも1日に3本も高速船が出ていれば、石垣島から日帰りも可能だ。旅行会社の日帰りツアーもあるし、個人で行っても、シャワーのみを提供している店もあるから、何の不自由もない。観光客の増加が宿泊客の増加につながらないところに、経営のむずかしさがある。
まるだいは、鳩間に訪れた仕事人を好意で泊めたのが嚆矢だという。つまり、鳩間島で最初の民宿だった。その由緒あるまるだいに、私は今後も泊まりたいと思う。
ヒトの話を聞くだけでなく、私の話もしなければならない。私は、まるだいに訪れるようになった思い出話をする。宿の奥さまは、私の石垣島での奇行?をよく覚えていて、午前6時に起きて、辺銀食堂のラー油を買いに行った、ということを笑いながらバラす。
これはもう、封印したい過去なのだが、奥さまによると、「でも大沢さん、あの時は楽しそうな顔してたわよ」とのことだった。ううむ…と唸るしかない。
このあと、少年に釣りをコーチしてくれた、漁師さんが遊びに来るという。それがゆんたくの時間になるのかもしれない。
食後に自室に戻ると、コンセントに挿していたスマホに電源が入っていなかった。このコンセントにはスイッチがあって、それをオンにしていなかったのだ。
電気の残りが少ないが、まあよい。港に行って夜空を眺めるのは、ここ数年の定跡である。そこで、私お気に入りの歌を聴くのだ。
と、例の彼女が、「(廊下の)蚊取り線香を点けていいですか」と聞きに来た。彼女親子は襖を隔てた隣の部屋だが、電気は消えている。つまりこれは、先ほどの談笑の続きをしましょうか、の意味もあったように思われた。
彼女とのゆんたくか、港でのんびりか。私は究極の選択を迫られた。
(25日につづく)
海水パンツにTシャツ姿、頭に麦わら帽子というオッサン度丸出しのまま、宿に向かう。途中に屋良の浜があったので、そこにも寄って、一休み。実にのどかだ。
宿に戻ってシャワーを浴び、しばらくすると夕食の時間である。一日海で泳いで、食事。ふだんの仕事に対するご褒美といってしまえばそれまでだが、あまりに休みを満喫し過ぎて、バチが当たりそうな気がする。
夕食も、昼と同じメンバー。夕方の便の客はいなかったということだ。
スイミングスーツの女性は、午後もどこかで泳いだのだろう。いまはオリオンビールのTシャツを着てサッパリしている。ボーイッシュだがほのかに色気があって、私の好きなタイプである。ふふふ…。
少年は釣りをしてきたそうで、その釣果がテーブルに並んだ。ほかにも魚を中心に、美味しそうな食事が並ぶ。ご主人が存命のころは肉料理が多かった気がするが、女性中心の経営になってからは、魚が多くなった。
イケメン氏は、海岸の岩陰で一日のんびりしていたという。狭い島ながら、各自お好みの場所で楽しんだというのがおもしろい。
私は人見知りが激しいのだが、何となく打ち解けて、いろいろしゃべる。その話の中で、あの女性と小学生の子供が、親子だったことが判明した。これは小さからずショックである。夜のゆんたくでは彼女とお近づきに…と、よからぬ妄想を抱いていたのだが、これで雲散霧消してしまった。
ところで、父親は? とは聞かぬのがエチケットであろう。下手に突っ込んで、「あなたこそアタマが薄いようだけど、もちろん奥さんはいらっしゃるんでしょうね」などと反撃されたら、ヤブヘビである。
彼女も鳩間島のファンで、毎年訪れているらしい。昨年だったか、シングルマザーの親子が泊まったことがあったが、あの彼女とは別人だ。ただ、今年の彼女とは、以前どこかで会った気もした。
イケメン氏は学校の教師。奥さんは現在波照間島におり、あす竹富島で合流するのだという。そういう旅は私の理想だ。
そのイケメン氏、奥さんとの馴れ初めが劇的だった。数年前、ふたりは竹富島の民宿でいっしょになったのだが、その後奥さんが先に、鳩間島に来たらしい。ところがこのまるだいで、彼も後からここに訪れることを知り、彼に一目ぼれ?していた彼女は、まるだいに彼への手紙を置いて行ったという。
要するに、古風な逆ナンである。手紙はまるだいから彼の手に渡り、それが実って、ふたりはゴールインした。ふたりのキューピッドは、まるだいだったのである。
…と、そんなことを聞いても私はおもしろくない。皆さん将来が約束されていて羨ましいですなあ、とスネるのみである。
「でも、沖縄から帰ってきたら、お互いの魅力が半減して見えた、ということはありませんか?」
と、私はケチをつける。「ほら、スキーでもよくあるじゃないですか」
「逆よ」
と宿の娘さん(繰り返すが、けっこうな歳である)。「スキー場ではいろいろ着飾ってるけど、八重山の旅行はお互い素の自分を出してるから…」
「あ!!」
そうか…。それは確かに道理である。とすると、私も沖縄では、素顔の自分を出しているということだろうか。でもそれで魅力がなかったら、救いようがない。
きょうの宿泊客は少ないですね、という話になる。先にも書いたが、4人はどうなんだろう。
鳩間島が有名になり、島内にいっぱい民宿ができた。だが、しゃれた民宿ができれば、客はそっちに移る。しかも1日に3本も高速船が出ていれば、石垣島から日帰りも可能だ。旅行会社の日帰りツアーもあるし、個人で行っても、シャワーのみを提供している店もあるから、何の不自由もない。観光客の増加が宿泊客の増加につながらないところに、経営のむずかしさがある。
まるだいは、鳩間に訪れた仕事人を好意で泊めたのが嚆矢だという。つまり、鳩間島で最初の民宿だった。その由緒あるまるだいに、私は今後も泊まりたいと思う。
ヒトの話を聞くだけでなく、私の話もしなければならない。私は、まるだいに訪れるようになった思い出話をする。宿の奥さまは、私の石垣島での奇行?をよく覚えていて、午前6時に起きて、辺銀食堂のラー油を買いに行った、ということを笑いながらバラす。
これはもう、封印したい過去なのだが、奥さまによると、「でも大沢さん、あの時は楽しそうな顔してたわよ」とのことだった。ううむ…と唸るしかない。
このあと、少年に釣りをコーチしてくれた、漁師さんが遊びに来るという。それがゆんたくの時間になるのかもしれない。
食後に自室に戻ると、コンセントに挿していたスマホに電源が入っていなかった。このコンセントにはスイッチがあって、それをオンにしていなかったのだ。
電気の残りが少ないが、まあよい。港に行って夜空を眺めるのは、ここ数年の定跡である。そこで、私お気に入りの歌を聴くのだ。
と、例の彼女が、「(廊下の)蚊取り線香を点けていいですか」と聞きに来た。彼女親子は襖を隔てた隣の部屋だが、電気は消えている。つまりこれは、先ほどの談笑の続きをしましょうか、の意味もあったように思われた。
彼女とのゆんたくか、港でのんびりか。私は究極の選択を迫られた。
(25日につづく)