一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

関浩七段、逝去

2024-12-06 23:42:33 | 男性棋士
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関浩七段が、11月11日に亡くなっていたとのこと。享年64歳。
関七段は1985年3月デビュー。私は知らなかったのだが、羽生善治四段に初黒星を付けた棋士だった。
私はむしろ順位戦1年目の成績に驚いた記憶がある。関四段は1985年度の第44期順位戦に間に合ったのだが、いきなり3連敗。以後どうなることかと思ったが7勝3敗で1期目を終えた。
ある年、関七段は、自宅の近所に出没した泥棒を捕まえた。これは新聞にも載ったから、知る人ぞ知る。私もその記事を観戦記スクラップに貼ったのだが、そのノートは2017年に棄ててしまった。これはいまでも後悔している。
結局順位戦では昇級できぬまま、1997年、フリークラスに降級。ただ、竜王戦では4組まで昇級している。
2007年、46歳で現役引退となった。
関七段といえば、指し将棋より文筆である。関七段はいつごろからか、毎日新聞で名人戦・A級順位戦の観戦記者を務めた。「将棋世界」などでも、たびたび健筆をふるった。その文体は本人のイメージ通り、誠実なものだった。将棋ペンクラブ大賞にも何度か最終選考に残ったが、ついぞ入賞することはなかった。私は関七段をひそかに、「無冠の帝王」と呼んでいた。
そんな関七段だから、河口俊彦八段「新・対局日誌」、先崎学九段「千駄ヶ谷市場」に続く読みもの連載が務められたと思うのだが、その機会はなかった。
それにしても64歳とは……。医学は長足の進歩をとげているが、それだけではどうしようもない人間の寿命があるのか。
これから滋味を増した文章が読めると思ったのに……。合掌。
コメント
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