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神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

思い出一人旅 安土城 後編

2021年06月21日 16時04分59秒 | 日本の城
那古屋で生まれ育ち、兄弟や親せきと殺し合いをして尾張一国を手に入れた織田信長
敵があれば味方もある、人間の才能を見極める名人だった信長
貧乏百姓の倅だった秀吉を雇い、忍者か何か得体のしれない滝川一益を雇い
いずれ目の上のたんこぶになる徳川家康を信頼して最後まで同盟関係を維持した
敵対した弟を殺したが、その重臣だった柴田勝家を許し腹心の部下にした
三好長慶と組み京の都で悪事の限りを尽くした松永久秀を取り込み、大和の国内を任せてある筒井順慶と競わせた
戦国武将でありながら革命的、文明的、先進的、商業主義、国際的視野
生きざまは同時代の戦国大名を凌駕している、ほとんどが一次産業を基盤としてのに対し、信長は六次産業化していた
積極的に欧州人を招き、キリスト教布教にも力を貸した、それは国内の小競り合いなどは早く片付けてアジアと言う大きな地図の上で世界と競う目的
秀吉もおそらく信長の影響を受けて大陸の明国を征服する野望に燃えたのだろう
でもよく考えれば信長は450年くらい前の人、そんなに大昔ではない

尾張には海がある、海があり港がある所は全国や外国と交易が盛んだから人なれしていて垢ぬけている
様々な全国の情報や物が入ってくるから知恵もつく、人をだましても騙されない、着るものも華麗になる、お金も動く豊かになる
だから早くに兵農分離を果たした、弱い足軽に鉄砲を持たせて遠くから敵を倒した、個々に鉄砲をもった騎馬中心の武田が敗れたのは必然だ

だが信長はゆったりとした海のような広さを持つ琵琶湖に恋した
琵琶湖を眼下に眺める安土に城を築いた、あの位置だと琵琶湖の向こうに夕日が沈む、そこには明智の坂本城がある
秀吉には安土に近い長浜城を与えた、長浜でも夕陽が見えるだろう

急な坂が終わり本丸に近づいてきた感じがする、石垣と石垣の間が狭まり急角度で敵を誘い込む



常に道の正面に石垣がある、ここには塀や櫓が建っていて敵を狙い撃ちだ



いよいよ心臓部か?

まだまだ奥があるぞ


ここは門か櫓か?

まだ石段が続く

おっ! 天守か?

また石段


広い林の平地 二の丸? 三の丸?





最後の詰めか?

これが天守跡か? 基礎石か?


山頂からの眺め 近江の平野を望む



あの川は何川?だろう
あの山は?




天守の下に何かが見える 行ってみよう




織田信長公霊廟
本能寺で討ち死にした信長公を秀吉か家康が奉ったのだろうか


帰路 二の丸跡に立ち寄った

途中から文化財クラスの寺院跡を通るコースもあったがこれ以上いたら家に着くのは深夜になってしまう
今度また来た時に行ってみよう    おわり