今年のケガキ初めのお題は和暦「7」でいくことにしました。中央東線にゆかりのあるところでは甲府ローカルのキハ07が挙げられますが、これは去年作ってしまったので他に何かないか色々探した結果、甲府駅前~甲斐青柳間を1962(昭和37)年まで走っていた山梨交通電車線に「7形」という電車があったそうなのでこれをターゲットに選びました。
7形は1948(昭和23)年製で、7号車と8号車の2両が増備されたとのことです。こちらに雪景色の中を日の丸を掲げて颯爽と走る7形7号車の写真が掲載されています。山梨交通電車線は市街地の一部が併用軌道でそれ以外は専用軌道となっていたので、前後ドアの路面電車風ながら車格的には郊外電車に近いスタイルをしています。
電車線廃止後は上田丸子電鉄、江ノ電と渡り歩き、現在は7号車が静岡県裾野市の別荘地内(個人宅)、8号車が山梨県富士川町内の利根川公園の一画に静態保存されているとのこと。Wikipediaの「山梨交通7形電車」には窓寸法などかなり細かいところまで記載されていますが、天地方向の寸法や一部の吹寄せ部の寸法などは書かれておらず、形式図も入手できないため、ドライブがてら8号車の撮影と採寸をしに山梨まで行ってきました。
自宅を午前5時に出て中央道を快走し現地には7時半前に到着。上のような経緯のため、色などある程度は復元されているものの現在見られる姿は最晩年の江ノ電のスタイルです。実車は雪を頂く中央アルプスを遠くに見て川沿いの公園の一画に屋根付きで鎮座していました。前面道路がかつての鉄道線の軌道敷跡のようです。
オリジナルとの大きな違いは中ドアが追設されて3ドアとなっていること、ヘッドライトが窓下2灯になっていること、集電装置がビューゲルからパンタに替わっていること、ドア下の可動ステップが撤去されていることなどです。前二者は江ノ電時代、後二者は上田丸子時代の改変のようです。塗装は晩年の濃いオレンジ(だいぶ退色している)で、窓枠はアルミサッシに見えますが木枠窓にシルバーグレーを塗ったお洒落なものです。
解説板には電車線のあゆみと7型の保存理由が熱く語られていました。
山交の社紋は復元されていますが車番は残念ながら江ノ電時代の801でした。
花巻の元祖“馬面電車”には及びませんがかなり細長い顔付きです。車体幅は2,300mmしかありません。
江ノ電時代に片運転台に改造されており、道路に面した方が運転台側となっています。かなり狭く窮屈ですね。
こちらは反対側でのっぺらぼうです。ただ、山梨交通の電車のヘッドライト(いわゆるおヘソライト)は着脱式で日中は外していた(!)らしいので、ある意味こちら側の方がオリジナルの雰囲気に近いとも言えます。床下にジャンパ栓受が見えますが、これは連結運転を行っていた上田丸子時代の改造でしょうか。
江ノ電時代に片運転台化されたため運転台の仕切りがありません。乗務員ドアは残っていますが溶接されていて開かないようです。
台車も汽車会社製で軸距1,650㎜。リベット組みの路面電車チックなスタイルながら車輪径は860㎜あり、ゆれ枕付の板バネも備えるなど高速運転を意識した造りです。床下機器も含めてギンギン(銀銀)に塗られているのは窓枠に合わせたのかも知れませんが、ちょっと・・・という感じです。
上田丸子へ移った際に可動ステップを撤去していますが、下から見ても横から見ても痕跡は全くありませんでした。溶接で焼き切った跡やパテのコテコテ盛りなどを眺めてニヤニヤしたかったのですが残念。なかなか改造気合入ってます(笑)。この張り出したステップも上田時代の改造の由。
床下機器も見ておきます。電気側(運転台基準で1-3位側)の左半分に主制御器。これもTDKの堂々たる郊外電車規格のものが吊られています。
その右に何かの箱と、恐らく網の中は主抵抗器。こっちはあまり堂々としてません。笑
空気側(2-4位側)は左から機器箱、ブレーキシリンダ、元空気ダメの順。おや?何か足りませんね・・・。アレが無いと圧縮空気つくれませんけど。。
この妙に開いた空間が怪しい。。ここ(黄色丸)にDH-16あたりのコンプが吊り下がっていたと考えるのが自然でしょう。上田時代も江ノ電時代も2両セットで動いていたようですが、しっかり固定編成化された江ノ電時代に撤去された(相方の802号車のみ残された)のではないかと推測されます。
あと、奥まったところに細長い箱状のよく分からない機器が吊られています。薄くチョーク書かれた文字が「FLR」と読めます。検索でヒットした「日立評論」のとある論文によれば「無界磁継電器」というものが出てきますがそれでしょうか?どのような作用をするのか、最初から付いていたのかさっぱり分かりませんが、残された動画によると山交の電車は意外と韋駄天走りをしていたようなので、その役に立っていたのかも知れません。(想像)
ということで、採寸メインのつもりが、気がつけば床下に潜り込んでの撮影と実車観察にほとんど時間を割いてしまいました。陽だまりで目を細めるねこちゃんズにバイバイし、もう1か所見ておきたい場所があったのでそちらに向かいます。
それが旧貢川(くがわ)駅跡に作られた記念碑です。昭和5年の山梨交通電車線開業から90周年、昭和20年の山梨交通株式会社創業から75周年の節目にあたり記念式典を構えていたところコロナ禍で中止となり、せめて気持ちだけでも前向きに・・・ということでバス整備士が奮闘して道路脇の自社用地に作り上げたとか。
当時の石畳や「SHEFFIELD TOUGHENEDSTEEL 1887.SEC131.1.R 」の文字が浮かぶ古レールが使われていて、ちょっとした史跡といえるかも知れません。
富士山の反対側で精鋭たちが襷リレーを繰り広げる一方でこちらは応援ゼロの「朝練」でしたが、7形電車のプロフィールはしっかり押さえることができたので、帰宅後にさっそくWordでケガキ初めと相成りました。台車などのパーツも入手済みなので、これなら令和7年中の完成は余裕でしょう。一千万がイチだめでも仲間の8形電車がいるので令和8、、(以下自粛)笑
7形は1948(昭和23)年製で、7号車と8号車の2両が増備されたとのことです。こちらに雪景色の中を日の丸を掲げて颯爽と走る7形7号車の写真が掲載されています。山梨交通電車線は市街地の一部が併用軌道でそれ以外は専用軌道となっていたので、前後ドアの路面電車風ながら車格的には郊外電車に近いスタイルをしています。
電車線廃止後は上田丸子電鉄、江ノ電と渡り歩き、現在は7号車が静岡県裾野市の別荘地内(個人宅)、8号車が山梨県富士川町内の利根川公園の一画に静態保存されているとのこと。Wikipediaの「山梨交通7形電車」には窓寸法などかなり細かいところまで記載されていますが、天地方向の寸法や一部の吹寄せ部の寸法などは書かれておらず、形式図も入手できないため、ドライブがてら8号車の撮影と採寸をしに山梨まで行ってきました。
自宅を午前5時に出て中央道を快走し現地には7時半前に到着。上のような経緯のため、色などある程度は復元されているものの現在見られる姿は最晩年の江ノ電のスタイルです。実車は雪を頂く中央アルプスを遠くに見て川沿いの公園の一画に屋根付きで鎮座していました。前面道路がかつての鉄道線の軌道敷跡のようです。
オリジナルとの大きな違いは中ドアが追設されて3ドアとなっていること、ヘッドライトが窓下2灯になっていること、集電装置がビューゲルからパンタに替わっていること、ドア下の可動ステップが撤去されていることなどです。前二者は江ノ電時代、後二者は上田丸子時代の改変のようです。塗装は晩年の濃いオレンジ(だいぶ退色している)で、窓枠はアルミサッシに見えますが木枠窓にシルバーグレーを塗ったお洒落なものです。
解説板には電車線のあゆみと7型の保存理由が熱く語られていました。
山交の社紋は復元されていますが車番は残念ながら江ノ電時代の801でした。
花巻の元祖“馬面電車”には及びませんがかなり細長い顔付きです。車体幅は2,300mmしかありません。
江ノ電時代に片運転台に改造されており、道路に面した方が運転台側となっています。かなり狭く窮屈ですね。
こちらは反対側でのっぺらぼうです。ただ、山梨交通の電車のヘッドライト(いわゆるおヘソライト)は着脱式で日中は外していた(!)らしいので、ある意味こちら側の方がオリジナルの雰囲気に近いとも言えます。床下にジャンパ栓受が見えますが、これは連結運転を行っていた上田丸子時代の改造でしょうか。
江ノ電時代に片運転台化されたため運転台の仕切りがありません。乗務員ドアは残っていますが溶接されていて開かないようです。
台車も汽車会社製で軸距1,650㎜。リベット組みの路面電車チックなスタイルながら車輪径は860㎜あり、ゆれ枕付の板バネも備えるなど高速運転を意識した造りです。床下機器も含めてギンギン(銀銀)に塗られているのは窓枠に合わせたのかも知れませんが、ちょっと・・・という感じです。
上田丸子へ移った際に可動ステップを撤去していますが、下から見ても横から見ても痕跡は全くありませんでした。溶接で焼き切った跡やパテのコテコテ盛りなどを眺めてニヤニヤしたかったのですが残念。なかなか改造気合入ってます(笑)。この張り出したステップも上田時代の改造の由。
床下機器も見ておきます。電気側(運転台基準で1-3位側)の左半分に主制御器。これもTDKの堂々たる郊外電車規格のものが吊られています。
その右に何かの箱と、恐らく網の中は主抵抗器。こっちはあまり堂々としてません。笑
空気側(2-4位側)は左から機器箱、ブレーキシリンダ、元空気ダメの順。おや?何か足りませんね・・・。アレが無いと圧縮空気つくれませんけど。。
この妙に開いた空間が怪しい。。ここ(黄色丸)にDH-16あたりのコンプが吊り下がっていたと考えるのが自然でしょう。上田時代も江ノ電時代も2両セットで動いていたようですが、しっかり固定編成化された江ノ電時代に撤去された(相方の802号車のみ残された)のではないかと推測されます。
あと、奥まったところに細長い箱状のよく分からない機器が吊られています。薄くチョーク書かれた文字が「FLR」と読めます。検索でヒットした「日立評論」のとある論文によれば「無界磁継電器」というものが出てきますがそれでしょうか?どのような作用をするのか、最初から付いていたのかさっぱり分かりませんが、残された動画によると山交の電車は意外と韋駄天走りをしていたようなので、その役に立っていたのかも知れません。(想像)
ということで、採寸メインのつもりが、気がつけば床下に潜り込んでの撮影と実車観察にほとんど時間を割いてしまいました。陽だまりで目を細めるねこちゃんズにバイバイし、もう1か所見ておきたい場所があったのでそちらに向かいます。
それが旧貢川(くがわ)駅跡に作られた記念碑です。昭和5年の山梨交通電車線開業から90周年、昭和20年の山梨交通株式会社創業から75周年の節目にあたり記念式典を構えていたところコロナ禍で中止となり、せめて気持ちだけでも前向きに・・・ということでバス整備士が奮闘して道路脇の自社用地に作り上げたとか。
当時の石畳や「SHEFFIELD TOUGHENEDSTEEL 1887.SEC131.1.R 」の文字が浮かぶ古レールが使われていて、ちょっとした史跡といえるかも知れません。
富士山の反対側で精鋭たちが襷リレーを繰り広げる一方でこちらは応援ゼロの「朝練」でしたが、7形電車のプロフィールはしっかり押さえることができたので、帰宅後にさっそくWordでケガキ初めと相成りました。台車などのパーツも入手済みなので、これなら令和7年中の完成は余裕でしょう。一千万がイチだめでも仲間の8形電車がいるので令和8、、(以下自粛)笑
更に正月2日から採寸調査とは、恐れ入りました
山梨交通の存在は知ってましたが、何のゆかりもないのでほぼ無知・・・このままではお手伝いが出来ない(ツッコめない)
ので、細やかな我がライブラリ(古本棚)を探索、2007発行の「とれいん10月号増刊 電車の風景№5」に4ページ写真9枚の記事を発見、にわか情報を仕入れました。改造されているとはいえ現車が残っているのは嬉しいですね。
我がふるさと越後交通栃尾線など1両も残してない。新潟交通も蒲原鉄道もしっかり残しているのに
遺憾です
むりに突っ込まなくても・・・笑
栃尾線の車両って全然残っていないんですか。意外ですね。1、2両はありそうなイメージですが。
消えたローカル私鉄で、行こうと思えば行けたのに廃止されてしまって後悔しきり・・・っていう路線は多いです。その筆頭が下津井電鉄なんですが、今も下津井駅跡には多くの車両が保存されているようなので早いうちに訪問したいと思っています。
1980代までは2カ所に保存(と言うより廃車体利用的)されてたらしいですが、今は全滅してます。
昭和50年廃止直前に訪ねてます。
新幹線工事と共に残せていたらと・・田中角○を恨んでます^^;
下津井鉄道>昭和63年、瀬戸大橋開通直後に高松へ行った帰路、下津井~児島間「緑のフジカラー」に乗車してます。既に下津井構内が公園整備されてました。
私は江ノ電時代しか知りませんが、某社から出ているプラ製小型電車?がこの車両をモデルにしていたような気がしますが、勘違いかもしれません。
電車と関係ありませんが、昔勤務していた会社の方に山梨のご出身の方がいて、中央道の高速バスをよく利用されていました。山交(地元ではこう呼ぶみたいです)他K社、F社などいくつもの会社のバスが共同運航する中で、この方は必ず山交バスを選ばれていました。理由を尋ねると、当時山交バスだけ全車トイレが付いていたからだそうです。30年以上前の話です。
越後交通もなにげに1975年まで走ってたんですね。行こうと思えば行けた路線かぁ。。残念です。
ヤフオクに甲府モデルのキットが・・
こちらこそ本年もよろしくお願いいたします。
>プラ製小型電車
トラムウェイの「14m級電車」キットですね。車体長は162.5mmすなわち13mで実車どおりで、各部のデザインもかなり忠実に再現されているようです。
そして地元の甲府モデル(パンケーキコンテナ)は前面などの一部パーツを使うコンバージョンキット(ペーパー製)を出していてさらに実車に忠実な姿が手に入ります。ペーパー製なのにステップも可動式で気合が入っており、むしろそのキットを買いたいくらいなのですが、それだと「ケガキ初め」にならないのでスクラッチすることにしました。笑
>山交高速バス
その頃からトイレ付でしたか。K社、F社は距離が短い富士五湖線がメインなので導入が遅かったのかも知れません。
ちなみに私はS55、56年頃にK社の中央高速バスで車掌のアルバイトをやっていたことがあり、他社に比べてバスはとにかくオン○ロでした(笑)。甲府線はめったに乗りませんでしたが、繁忙期中心に乗っていたので渋滞には常に悩まされた記憶があります。
心配ご無用。所長失格さんへのコメントに書いた通り存在は承知していて、欲しいけど買っちゃうとケガキ初めにならないので我慢しました・・・ということです♪
暖かくなったら行こうかな。
最後になりましたが、今年もよろしくです。
>山交電車線の某駅跡にも行ってみたい
何のことやらと思ったらあそこですか!
今回、貢川の記念碑を見た以外、廃線跡めぐりは一切やっていないので全然先を越してませんよー。笑
ちなみに遺構っぽいものはほとんど残っていないので、山交はピンポイントにして中央線や身延線撮影を充実されるとよろしいかと。👍
今年もよろしくお願いします。