80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

令和7年ケガキ初め

2025-01-02 23:51:12 | 私鉄電車
今年のケガキ初めのお題は和暦「7」でいくことにしました。中央東線にゆかりのあるところでは甲府ローカルのキハ07が挙げられますが、これは去年作ってしまったので他に何かないか色々探した結果、甲府駅前~甲斐青柳間を1962(昭和37)年まで走っていた山梨交通電車線に「7形」という電車があったそうなのでこれをターゲットに選びました。

7形は1948(昭和23)年製で、7号車と8号車の2両が増備されたとのことです。こちらに雪景色の中を日の丸を掲げて颯爽と走る7形7号車の写真が掲載されています。山梨交通電車線は市街地の一部が併用軌道でそれ以外は専用軌道となっていたので、前後ドアの路面電車風ながら車格的には郊外電車に近いスタイルをしています。

電車線廃止後は上田丸子電鉄、江ノ電と渡り歩き、現在は7号車が静岡県裾野市の別荘地内(個人宅)、8号車が山梨県富士川町内の利根川公園の一画に静態保存されているとのこと。Wikipediaの「山梨交通7形電車」には窓寸法などかなり細かいところまで記載されていますが、天地方向の寸法や一部の吹寄せ部の寸法などは書かれておらず、形式図も入手できないため、ドライブがてら8号車の撮影と採寸をしに山梨まで行ってきました。


自宅を午前5時に出て中央道を快走し現地には7時半前に到着。上のような経緯のため、色などある程度は復元されているものの現在見られる姿は最晩年の江ノ電のスタイルです。実車は雪を頂く中央アルプスを遠くに見て川沿いの公園の一画に屋根付きで鎮座していました。前面道路がかつての鉄道線の軌道敷跡のようです。



オリジナルとの大きな違いは中ドアが追設されて3ドアとなっていること、ヘッドライトが窓下2灯になっていること、集電装置がビューゲルからパンタに替わっていること、ドア下の可動ステップが撤去されていることなどです。前二者は江ノ電時代、後二者は上田丸子時代の改変のようです。塗装は晩年の濃いオレンジ(だいぶ退色している)で、窓枠はアルミサッシに見えますが木枠窓にシルバーグレーを塗ったお洒落なものです。



解説板には電車線のあゆみと7型の保存理由が熱く語られていました。



山交の社紋は復元されていますが車番は残念ながら江ノ電時代の801でした。



花巻の元祖“馬面電車”には及びませんがかなり細長い顔付きです。車体幅は2,300mmしかありません。



江ノ電時代に片運転台に改造されており、道路に面した方が運転台側となっています。かなり狭く窮屈ですね。



こちらは反対側でのっぺらぼうです。ただ、山梨交通の電車のヘッドライト(いわゆるおヘソライト)は着脱式で日中は外していた(!)らしいので、ある意味こちら側の方がオリジナルの雰囲気に近いとも言えます。床下にジャンパ栓受が見えますが、これは連結運転を行っていた上田丸子時代の改造でしょうか。



江ノ電時代に片運転台化されたため運転台の仕切りがありません。乗務員ドアは残っていますが溶接されていて開かないようです。



台車も汽車会社製で軸距1,650㎜。リベット組みの路面電車チックなスタイルながら車輪径は860㎜あり、ゆれ枕付の板バネも備えるなど高速運転を意識した造りです。床下機器も含めてギンギン(銀銀)に塗られているのは窓枠に合わせたのかも知れませんが、ちょっと・・・という感じです。



上田丸子へ移った際に可動ステップを撤去していますが、下から見ても横から見ても痕跡は全くありませんでした。溶接で焼き切った跡やパテのコテコテ盛りなどを眺めてニヤニヤしたかったのですが残念。なかなか改造気合入ってます(笑)。この張り出したステップも上田時代の改造の由。



床下機器も見ておきます。電気側(運転台基準で1-3位側)の左半分に主制御器。これもTDKの堂々たる郊外電車規格のものが吊られています。



その右に何かの箱と、恐らく網の中は主抵抗器。こっちはあまり堂々としてません。笑



空気側(2-4位側)は左から機器箱、ブレーキシリンダ、元空気ダメの順。おや?何か足りませんね・・・。アレが無いと圧縮空気つくれませんけど。。



この妙に開いた空間が怪しい。。ここ(黄色丸)にDH-16あたりのコンプが吊り下がっていたと考えるのが自然でしょう。上田時代も江ノ電時代も2両セットで動いていたようですが、しっかり固定編成化された江ノ電時代に撤去された(相方の802号車のみ残された)のではないかと推測されます。



あと、奥まったところに細長い箱状のよく分からない機器が吊られています。薄くチョーク書かれた文字が「FLR」と読めます。検索でヒットした「日立評論」のとある論文によれば「無界磁継電器」というものが出てきますがそれでしょうか?どのような作用をするのか、最初から付いていたのかさっぱり分かりませんが、残された動画によると山交の電車は意外と韋駄天走りをしていたようなので、その役に立っていたのかも知れません。(想像)




ということで、採寸メインのつもりが、気がつけば床下に潜り込んでの撮影と実車観察にほとんど時間を割いてしまいました。陽だまりで目を細めるねこちゃんズにバイバイし、もう1か所見ておきたい場所があったのでそちらに向かいます。



それが旧貢川(くがわ)駅跡に作られた記念碑です。昭和5年の山梨交通電車線開業から90周年、昭和20年の山梨交通株式会社創業から75周年の節目にあたり記念式典を構えていたところコロナ禍で中止となり、せめて気持ちだけでも前向きに・・・ということでバス整備士が奮闘して道路脇の自社用地に作り上げたとか。



当時の石畳や「SHEFFIELD TOUGHENEDSTEEL 1887.SEC131.1.R 」の文字が浮かぶ古レールが使われていて、ちょっとした史跡といえるかも知れません。




富士山の反対側で精鋭たちが襷リレーを繰り広げる一方でこちらは応援ゼロの「朝練」でしたが、7形電車のプロフィールはしっかり押さえることができたので、帰宅後にさっそくWordでケガキ初めと相成りました。台車などのパーツも入手済みなので、これなら令和7年中の完成は余裕でしょう。一千万がイチだめでも仲間の8形電車がいるので令和8、、(以下自粛)笑







コメント (11)
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