こんにちは。
前回の記事について、軌道検測の専門家ととさんより「台車についている枠は棒状じゃなくて山型ではないか」とのご指摘がありました。
私も気になっていた部分なのですが、いかんせん0系の片手間に作っている車両ゆえ(爆)、詳しい説明をはしょってしまったので、ここで少し考察を書いてみたいと思います。
写真の転載許可を取っているヒマもないのですべてリンクですがご容赦ください。お手数ですがブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください。
まず、このクルマの台車、TR8001が明瞭に写っている写真が以下のリンク先のブログにあるのでご覧下さい。6枚目の写真です。
→しゅうちゃんのお出かけ日記(Byシュウチャン様)
ただし写真にも車番が写っているとおり、これは4001号時代のものです。枠は簡素な棒状をしています。
(余談ですが、試運転の様子を撮った他の写真も貴重で興味深いものがあります。)
一方、撮影年月が不明ながら、921-1に改番された後の姿はこちらにあり、山型の少しガッチリとした枠に変わっているのがわかります。
→「保線ウィキ」中の921-1の写真
同じサイトには4001号時代の写真もあり、柵にかかっていて見にくいですが、どうやら「棒状」のようです。
→「保線ウィキ」中の4001号車の写真
じゃあ、弟分として登場した921-2は山型?
→「保線ウィキ」中の921-2の写真
うーん「棒状」ですね。。
もう一丁「鉄道ファン」2008年11月号P.34の写真を部分引用させていただくと、左側の4001は、これも非常に不鮮明ですが棒状、右側の921-2も棒状、と読み取れます。

さて、「山型」への改造がいつなのかは判然としませんが、921-1の経歴をみていくと興味深いことがわかります。東北新幹線の小山試験線へ転出して高速走行試験に供されたというのです。これが昭和53年(1978年)のこと。これをきっかけに改造されたのでは?
ちなみに、このときは既に軌道検測車をあらかじめ組み込んだT2編成が稼動中で、弟分の921-2はひと足先に廃車済みという情勢でした。
しかーし。
我ながらいい仮説だ・・・と思っていたところ、大変な証拠写真が出てきてしまいました。
リンク制限があるようなので情報だけにしておきますが、余生を過ごす「山型」枠をもつ921-1の姿で撮影場所は大阪第一運転所。そして撮影年月日はなんと昭和52年(1977年)7月12日!小山へ転出する1年も前ということになります。
※「築堤整備工段ホームページ」(DT200A様)「新幹線の名脇役 保守・試験車両 No3」より
転出へ向けた改造というよりは、すでにこの時点で改造はなされていた、と見るのが妥当でしょう。
「鉄道ファン」掲載の昭和39年の「棒状」の姿から昭和52年の「山型」までの13年間の空白。いったいこの間、いつ改造を受けたのでしょうか。興味は尽きません。
ひるがえってこのモデル。枠自体は瞬着で台車にとめてあるだけなので外すのは簡単なのですが(実際、台車を取り付けている時にポロッと外れた・・・)、前にもちょっと書いたように、1000形試作編成に牽かせて鴨宮時代を再現するのもいいかなーと思い始めており、921-1改め4001として竣工させる公算が大きくなりました。
(じゃあ1000形も作るわけね? グサッ・・・)
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前回の記事について、軌道検測の専門家ととさんより「台車についている枠は棒状じゃなくて山型ではないか」とのご指摘がありました。
私も気になっていた部分なのですが、いかんせん0系の片手間に作っている車両ゆえ(爆)、詳しい説明をはしょってしまったので、ここで少し考察を書いてみたいと思います。
写真の転載許可を取っているヒマもないのですべてリンクですがご容赦ください。お手数ですがブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください。
まず、このクルマの台車、TR8001が明瞭に写っている写真が以下のリンク先のブログにあるのでご覧下さい。6枚目の写真です。
→しゅうちゃんのお出かけ日記(Byシュウチャン様)
ただし写真にも車番が写っているとおり、これは4001号時代のものです。枠は簡素な棒状をしています。
(余談ですが、試運転の様子を撮った他の写真も貴重で興味深いものがあります。)
一方、撮影年月が不明ながら、921-1に改番された後の姿はこちらにあり、山型の少しガッチリとした枠に変わっているのがわかります。
→「保線ウィキ」中の921-1の写真
同じサイトには4001号時代の写真もあり、柵にかかっていて見にくいですが、どうやら「棒状」のようです。
→「保線ウィキ」中の4001号車の写真
じゃあ、弟分として登場した921-2は山型?
→「保線ウィキ」中の921-2の写真
うーん「棒状」ですね。。
もう一丁「鉄道ファン」2008年11月号P.34の写真を部分引用させていただくと、左側の4001は、これも非常に不鮮明ですが棒状、右側の921-2も棒状、と読み取れます。

さて、「山型」への改造がいつなのかは判然としませんが、921-1の経歴をみていくと興味深いことがわかります。東北新幹線の小山試験線へ転出して高速走行試験に供されたというのです。これが昭和53年(1978年)のこと。これをきっかけに改造されたのでは?
ちなみに、このときは既に軌道検測車をあらかじめ組み込んだT2編成が稼動中で、弟分の921-2はひと足先に廃車済みという情勢でした。
しかーし。
我ながらいい仮説だ・・・と思っていたところ、大変な証拠写真が出てきてしまいました。
リンク制限があるようなので情報だけにしておきますが、余生を過ごす「山型」枠をもつ921-1の姿で撮影場所は大阪第一運転所。そして撮影年月日はなんと昭和52年(1977年)7月12日!小山へ転出する1年も前ということになります。
※「築堤整備工段ホームページ」(DT200A様)「新幹線の名脇役 保守・試験車両 No3」より
転出へ向けた改造というよりは、すでにこの時点で改造はなされていた、と見るのが妥当でしょう。
「鉄道ファン」掲載の昭和39年の「棒状」の姿から昭和52年の「山型」までの13年間の空白。いったいこの間、いつ改造を受けたのでしょうか。興味は尽きません。
ひるがえってこのモデル。枠自体は瞬着で台車にとめてあるだけなので外すのは簡単なのですが(実際、台車を取り付けている時にポロッと外れた・・・)、前にもちょっと書いたように、1000形試作編成に牽かせて鴨宮時代を再現するのもいいかなーと思い始めており、921-1改め4001として竣工させる公算が大きくなりました。
(じゃあ1000形も作るわけね? グサッ・・・)
よろしければ1クリックお願いします。

まさに「早起きは三文の徳」ですね。
年2回だと、次に見られるのは12月ということになりますが、冬至の頃の朝5時なんて真っ暗闇なので、実質は年1回のチャンスだったわけですね(^^)
> 答えはWEBで(笑)
拝見しました。病み上がりのリハビリで貨物を撮りに行くという理屈がよくわかりませんが(笑)、まあとにかく大事に至らずよかったですね。
で検索してみたら、こんなのがありました。
http://nkh-cjrg.co.jp/business/01_03.html
多分、これだと思いますが、「レール探傷車によるレール検査は年2回」だとか。
となると大変貴重なものを見てしまったわけですね。
> それにしても、そんな早朝からシンヨコで何を?
答えはWEBで(笑)
今の軌道検測は"ドクターイエロー"が営業速度でやっていますから、四角いのが早朝にトロトロ、というのは、仕事帰りの軌道探傷車か何かを目撃されたんじゃないでしょうか。
それにしても、そんな早朝からシンヨコで何を?(笑)
今朝5時前、偶然にも東海道新幹線の新横浜駅付近をトロトロと走行する軌道検測車らしきものを見ました。
残念ながら写真は撮れませんでした。
今の検測車は車体に丸みはなく、角ばった感じですね。
明日の同じ時間には走ってないんでしょうね。
「運用」が判れば狙ってみたいものです。
貴重なご教示ありがとうございます。
「光学式」をキーにまたいろいろ検索してみたら、鉄道総研の雑誌「RRR」のPDF版が見つかって、だいたい事情がわかってきました。
山陽新幹線の開業にあたって検測速度が上がるので、それに対応するため光学式を開発したということのようです。
1968年(昭和43年)から開発を始めた、とあるので、恐らくその時点で「山型」の測定枠に変わったのではないでしょうか。
その辺の情報はまた本文にUPしておきます。
> あ、光が眩しいんじゃなくて「スゲー!」って意味で^^;
「スゲー!」を連発しながらあちこち覗き回ってるととさんの姿が目に浮かんじゃって、もう大変(爆)
なかなかの写真を発見されていたんですね。
途中で変更があったという事、私知りませんでした・・・(汗)
思うに・・・
棒状の測定枠には接触式の測定車輪が付いていますね。
これは在来のマヤ34にそのまま受け継がれています。
山型の測定枠になって何が変わったのか?
たぶん、そこで非接触式の光学式測定装置が生まれていたのでしょう・・・
接触式の測定車輪搭載で160kmといっても測定状態で設定した場合、実際にはそこまでの速度は出せなかったはずです。
在来のマヤ34の測定装置でリミットが120kmとされていましたから・・・
昨今、レーザーの測定装置が当たり前?のようですがT2、T3編成では光を当てて変化を読み取る光学式測定装置が搭載されていました。
たまーにお手伝いでT2やT3編成に乗務、または整備なんかをやると、在来線担当だった私は光を当てて測定する装置に眩しさを感じたものでした。
あ、光が眩しいんじゃなくて「スゲー!」って意味で^^;