多忙につきしばらく空いてしまいました。ひとヤマ超えたのでまた復活します。
忙しいなかにあっても気分転換がわりに愛読しているのがこちらの「鉄道青春時代-中央線」。今までは“See”だった1950年代の客レ写真なんかが“Look”に変わってきているので何度読んでも飽きません。飽きないどころか毎回新しい発見があって、それが散財の原動力になるのですからいやはやなんとも・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/17/0a5de2b69af5ac1ccfd5872d7de817d0.jpg)
で、これは以前にも話題に出したかも知れないのですが、同書のP.65に笹子駅の折返線に茶釜時代のED61が客車を退行させている写真があって、「ED61が客車列車を牽引するのは珍しい」とのキャプションに今まではフムフムとうなずいていたわけですが、よくよく見ると手前から4両目にダブルルーフの古風極まりない客車が挟まっているのを発見してからは気になって仕方がありませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/8f/e417b4d3392927bc858a2f8d6fc8093e.jpg)
<電気車研究会刊「鉄道青春時代-中央線」P.65写真(1966年5月3日、久保 敏氏撮影)より引用>
窓配置からスハニ31(1~20)であろうと判明したのですが、合造車の配置があった飯田町や甲府に居たような話は聞いたことがないしナンダロナー?と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/e8/fc796050a8b25eb85fc22d8080791ba8.png)
撮影日が1966年5月3日とのことなので同年のカレンダーをみたところGWは見事な「飛び石連休」になっていました。今なら「10連休イェーイ!」という状況ですが、当時は貴重な休日に行楽客が集中し当日も大盛況だったことでしょう。スハニから手前の3両は増結車と思われますし、そもそも貨物用のED61が出張ってくる時点で臨時列車も大増発されていたかも知れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/dd/4683be5ca3c82ea042dcda7304787f2f.png)
このスハニ31もどこからかの借入れ車かな?ということでこの話は終わるはずでしたが、ここである異様な姿に目が留まってしまいました。前のスハニ31の写真と図面を見比べていただきたいのですが、図面ではベンチレーターは9個確認できます。一方、写真の車は、一部が電柱に隠れているものの恐らく4個ぐらいしかついていません。
一部のベンチレーターを撤去したクルマ・・・というと荷物車や事業用車が思い浮かびます。写真を見ると窓が開いて人が腕を出しているような様子も見られるのでさすがに荷物車ではなさそうです。色々調べてみると、スハニ31の何両かは「オル30」という配給車に改造されたとのことです。配給車に人乗せるかぁ?wという疑問はありますが、繁忙期なので改造に着手したばかりの車両を引きずり出してきたのかも、、、
などという妄想に駆られてこんな本も買ってしまいました。すぐ読みたかったので電子書籍で購入。笑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/f3/cd3f77f0f2965635044d87788b345772.png)
結果、「配給客車」なるもの自体の知られざる実態は、都市部でよく見る車輪なんかを積んだ「クモル+クル」とは違って目からうろこ状態で大変面白かったのですが(不便な地域で勤務する国鉄職員のための移動スーパーみたいなものだったらしい)、スハニ31から改造された「オル30」はすべて北海道向けで、しかもすべて五稜郭工場で改造されているのでGWに改造中のクルマを差し出すのは無理でした。
では、実際にこういうクルマが1966年に存在して繁忙につき借入れたのか、はたまた短期間に飯田町、甲府、松本、長野のどこかに所属していたのか(ちょうどこの時期の配置表が確認できない)ということで、やや真面目に探してみました。
すると、この時期に同じく客レが残っていた御殿場線でスハニ31が入った列車が走っていたとの情報がヒットしました。
例えばこちらで確認できます。
○上荻野模型鉄道様「富士山とD52 昭和43年3月鉄道撮影日記」
○レイルラボ掲載の「鉄道のお爺さん」様撮影写真
○YouTube「御殿場線さよなら蒸気機関車Ver3」(山梨幸夫氏)
⇒スハニ31 11の形式番号が映る部分と
⇒同車と思われる車両を最後尾にした編成が映る部分
スハニ31 11(静ヌマ)・・・これがどうやらベンチレーター4個だったようです。他ではスハニ31 2が同じくダブルルーフですが、こちらはオリジナルの9個のようです。その他、丸屋根のスハニ31後期型も居たようで、「御殿場線のスハニ31」はD52と並んで御殿場線ウォッチャーには知れた存在だったようですね。存じあげませんでした。。
というわけで、決定打はありませんが、「どうやら沼津客貨車区からスハニ31 11(たぶん)を借入れたらしい」という結論となりました。御殿場線沿線にも観光行楽スポットはないわけではありませんが、中央線と比べると路線距離が短いうえ小田急も乗り入れていることなどからGW期間中の沼津客貨車区は余裕があったのでしょう。
さて、とりあえずオルとかスエとか怪しいスジの車両ではなさそうだということが判明したので、わが家にも1両迎え入れようと思います。ハイ、さんざーい いーまーきーみーは~・・・♪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/d8/6317c8df3c9fc7bc770eff8aac183d28.png)
忙しいなかにあっても気分転換がわりに愛読しているのがこちらの「鉄道青春時代-中央線」。今までは“See”だった1950年代の客レ写真なんかが“Look”に変わってきているので何度読んでも飽きません。飽きないどころか毎回新しい発見があって、それが散財の原動力になるのですからいやはやなんとも・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/17/0a5de2b69af5ac1ccfd5872d7de817d0.jpg)
で、これは以前にも話題に出したかも知れないのですが、同書のP.65に笹子駅の折返線に茶釜時代のED61が客車を退行させている写真があって、「ED61が客車列車を牽引するのは珍しい」とのキャプションに今まではフムフムとうなずいていたわけですが、よくよく見ると手前から4両目にダブルルーフの古風極まりない客車が挟まっているのを発見してからは気になって仕方がありませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/8f/e417b4d3392927bc858a2f8d6fc8093e.jpg)
<電気車研究会刊「鉄道青春時代-中央線」P.65写真(1966年5月3日、久保 敏氏撮影)より引用>
窓配置からスハニ31(1~20)であろうと判明したのですが、合造車の配置があった飯田町や甲府に居たような話は聞いたことがないしナンダロナー?と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/e8/fc796050a8b25eb85fc22d8080791ba8.png)
撮影日が1966年5月3日とのことなので同年のカレンダーをみたところGWは見事な「飛び石連休」になっていました。今なら「10連休イェーイ!」という状況ですが、当時は貴重な休日に行楽客が集中し当日も大盛況だったことでしょう。スハニから手前の3両は増結車と思われますし、そもそも貨物用のED61が出張ってくる時点で臨時列車も大増発されていたかも知れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/dd/4683be5ca3c82ea042dcda7304787f2f.png)
このスハニ31もどこからかの借入れ車かな?ということでこの話は終わるはずでしたが、ここである異様な姿に目が留まってしまいました。前のスハニ31の写真と図面を見比べていただきたいのですが、図面ではベンチレーターは9個確認できます。一方、写真の車は、一部が電柱に隠れているものの恐らく4個ぐらいしかついていません。
一部のベンチレーターを撤去したクルマ・・・というと荷物車や事業用車が思い浮かびます。写真を見ると窓が開いて人が腕を出しているような様子も見られるのでさすがに荷物車ではなさそうです。色々調べてみると、スハニ31の何両かは「オル30」という配給車に改造されたとのことです。配給車に人乗せるかぁ?wという疑問はありますが、繁忙期なので改造に着手したばかりの車両を引きずり出してきたのかも、、、
などという妄想に駆られてこんな本も買ってしまいました。すぐ読みたかったので電子書籍で購入。笑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/f3/cd3f77f0f2965635044d87788b345772.png)
結果、「配給客車」なるもの自体の知られざる実態は、都市部でよく見る車輪なんかを積んだ「クモル+クル」とは違って目からうろこ状態で大変面白かったのですが(不便な地域で勤務する国鉄職員のための移動スーパーみたいなものだったらしい)、スハニ31から改造された「オル30」はすべて北海道向けで、しかもすべて五稜郭工場で改造されているのでGWに改造中のクルマを差し出すのは無理でした。
では、実際にこういうクルマが1966年に存在して繁忙につき借入れたのか、はたまた短期間に飯田町、甲府、松本、長野のどこかに所属していたのか(ちょうどこの時期の配置表が確認できない)ということで、やや真面目に探してみました。
すると、この時期に同じく客レが残っていた御殿場線でスハニ31が入った列車が走っていたとの情報がヒットしました。
例えばこちらで確認できます。
○上荻野模型鉄道様「富士山とD52 昭和43年3月鉄道撮影日記」
○レイルラボ掲載の「鉄道のお爺さん」様撮影写真
○YouTube「御殿場線さよなら蒸気機関車Ver3」(山梨幸夫氏)
⇒スハニ31 11の形式番号が映る部分と
⇒同車と思われる車両を最後尾にした編成が映る部分
スハニ31 11(静ヌマ)・・・これがどうやらベンチレーター4個だったようです。他ではスハニ31 2が同じくダブルルーフですが、こちらはオリジナルの9個のようです。その他、丸屋根のスハニ31後期型も居たようで、「御殿場線のスハニ31」はD52と並んで御殿場線ウォッチャーには知れた存在だったようですね。存じあげませんでした。。
というわけで、決定打はありませんが、「どうやら沼津客貨車区からスハニ31 11(たぶん)を借入れたらしい」という結論となりました。御殿場線沿線にも観光行楽スポットはないわけではありませんが、中央線と比べると路線距離が短いうえ小田急も乗り入れていることなどからGW期間中の沼津客貨車区は余裕があったのでしょう。
さて、とりあえずオルとかスエとか怪しいスジの車両ではなさそうだということが判明したので、わが家にも1両迎え入れようと思います。ハイ、さんざーい いーまーきーみーは~・・・♪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/d8/6317c8df3c9fc7bc770eff8aac183d28.png)
いや、散財捜査か(笑)。
山田くーん座布団3枚 (っ'-')╮=͟͟͞͞ブォン ◇◇◇