アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

私は、自分のブログでアドラー心理学の理論、アドラー心理学に基づく生き方・考え方を紹介し、時事ネタを排除してきました。しかし、このことだけは「どう考えてもおかしい!」と思い、多くのメディアとは違った見解を、アドラー心理学の「権利と責任」の基本的な考え方をもとに発信しようと思いました。
異論・反論のある方は、どうかご遠慮なくコメントしてくださるよう期待しております。

論題は、千葉県立八千代西高校で入学金未納の生徒を入学式に出席させなかった事件(「入学式出席拒否事件」)です。

まずは、4月13日付の毎日新聞の報道を読んでみましょう。

千葉県八千代市の県立八千代西高校が、入学金未納の新入生2人を入学式に出席させなかったことが12日分かった大迫校長は「授業料滞納が目立ち、未納は負担の先送りと思った」と話すが、県の公立高校教職員組合は「非教育的対応」と批判している。
県教委と同高によると、新入生159人に、入学金、教材費など9万円を8日の入学式に持参するよう求めていた。男女各1人が「お金が用意できない」などと持参せず、式直前、校長がそれぞれの担任に別室での待機を指示した。2人は約40分の式の間、教室と会議室で待機した。
男子生徒は式前に学校の指示で母親に「入学金を払わないと式に出られない」と電話で事情を説明。母親は「後で払う」と答えたが、学校側は「滞納の可能性がある」として出席させなかった。
母親は午前11時ごろ、9万円を持参して学校を訪れたが、式は終わっていた。
その後、生徒は校長室で氏名を読み上げられ、「入学を許可する」と伝えられた。
女子生徒の母親は午後5時ごろ、2万円を学校に持参し、同様に入学を許可された。
大迫校長は「入学式当日に必要なお金は3月の説明会で伝えている。経済的問題があれば相談するよう話した。苦渋の決断だったが、当然の判断だと思っている」と説明。
県教委指導課の田山正人・主任指導主事は「保護者と生徒にはつらい思いをさせてしまった。事前に入学金についての十分な説明をしており、学校としてはやむを得ない判断だったと思う」と話している。
教育評論家の尾木直樹・法政大教授(臨床教育学)は「極めて機械的、官僚的対応。学校側は2人だけではなく、生徒、保護者に謝罪すべきだ」と話している。

さらにこのことに関する補足的な情報もコピーします(NHK千葉インターネット版などから)。

学校側によると、入学金などを式の当日に納めてもらうことは、合格証書を送付したときに説明書を同封し、3月17日に行われた入学者説明会でも連絡していたという。その説明会には2人の保護者も出席しており、「持参するお金は一部でもいい。分納もできるので、経済的な心配があれば事前に相談してほしい」と伝えていた。

千葉県の公立高校の教職員組合、「教育フォーラムちば」の池上澄一郎幹事長は、「入学式への出席を拒まれた生徒たちがこれからどんな思いで学校生活を送るのかと思うと残念でならない。なぜこんなことが起きてしまったのか信じられない思いだ。入学料などを払うのは親であり、経済的な理由で、子どもに罰を与えるのはおかしいと思う」と高校の対応を批判した。
そのうえで、「経済的に厳しい子どもたちが増えているのに、制度的な措置が追いついていない」と指摘し、千葉県に対し、生徒の家庭事情に応じた入学料などの減免を求めていくことを明らかにした。

讀賣新聞の14日付夕刊には、「男子生徒の保護者は入学説明会には出席したが、事前に分納などの相談はなかった。女子生徒の保護者は分納を申し入れ、入学式当日に2万円を支払うことで合意していたという。県教委によると、
全県立高校で、入学式当日に入学料などを学校に直接納入することで入学手続きが完了することになっている」とも書かれていました。

 

私は、「人権」とか「教育的配慮」なる言葉に胡散臭さを感じる人間で、その立場から以下ものを言うつもりです。

1.まず謝罪すべきは、学校側でなく2人の生徒の親です。「自分の不始末でここまで騒がせて申し訳ございません。学校側からは何度も警告を受けていました」と。明らかな、親の責任放棄、あるいは甘え(経済的な問題があったとしても)です。

2.マスコミも教職員組合も、権利と責任が等価で、「責任なき権利も、権利なき責任もない」ことをしっかり学ぶできです。併せて、「ノー・ペイ、ノー・リターン(支払いをしないのに対価は受けられない)」の原則も。

ことは、小中学校の話ではないのです。義務教育を終わり、子どもも事実関係を理解できる高校生なのです。お金を期限までに払わずして入学できないのは、自動車教習所も、予備校も、大学(国立大学でも)も、そして公立高校も同じことです。「教育的配慮」は、学校側は十分しているのです。「入学を認めない」と言いたいところを、ギリギリのところでそれなりの対応をしていたのです。
学校側が機械的、官僚的対応をしたとは、まったく思いません。

3.もしかしたら「親の不始末で子どもを可愛そうな思いをさせるのは、おかしい」とおっしゃる人がいるかもしれません。
「入学式への出席を拒まれた生徒たちがこれからどんな思いで学校生活を送るのかと思うと残念でならない」との教職員組合幹部の発言は、受け止め方によっては、生徒の「こころの傷」を煽る発言かもしれません。

いいですか。もう一度言います。子どもは高校生なのですよ。権利と責任のあり方を親とともに学ぶ絶好のチャンスだったのです。
また、「こころの傷」を言い始めたら、当初感じていなかった生徒が感じるようになってしまうのが通例です。
それにもかかわらず、学校側が謝罪したら、子どもは何を学ぶのでしょうか?


これからは、権利教育を言うならそれと同じくらい責任の教育を語る必要があるし、「教育的配慮」のもとに無責任教育に手を貸す、あるいは野放しにするのは、まったくおかしいと思います。

私は、「あえて『異論』を唱える」というタイトルにしましたが、「正論」だと思っています。
いかがですか? 私の論理はおかしいですか?



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

拙著『ものの言い方ひとつで自分も周りも幸せになる大人の心理術』(明日香出版社、1,500円+税、写真)がこのほど第2刷になります。

『ものの言い方ひとつで自分も周りも幸せになる大人の心理術』という長たらしいタイトルの本は、拙著『勇気づけの心理学』(金子書房、1,800円+税)を読んで触発された、明日香出版社の藤田知子さんという若くて美しい編集者から「20-30歳代の働く女性をメインに、部下を持つ上司(30-50歳代の男性)にも勇気づけになる本を」との依頼を受けて書いた本です。

昨年1月出版以来増刷の声がかからないので、心配していましたが、明日香出版社が生協ルートでもこの本の拡販に尽力してくれたお陰で増刷になります。

マンガも入っていて読みやすい本で、他者を対象とした勇気づけばかりでなく、自分自身を勇気づけるための技法が満載です。
まだお読みでない方は、是非お買い求めの上お読みください。

この本の中で私は、「自分を勇気づけできている人の10の力」を次のようにまとめています。

(1)欠点がある自分でも受け入れられるようになる[受容力]

(2)   自分の過去に障害があった(現在もある)としても、そのことを傷ではなく財産とみなすことができる[価値転換力]

(3)   失敗を学習の材料にできる[教訓力]

(4)   落ち込むようなことがあるとしても、ある段階で歯止めをかけ、復元させることができる[復元力]

(5)   直面するピンチをチャンスに変えることができる[状況転換力]

(6)   自分の未来に楽観的でいられる[楽観力]

(7)   他者の関心にも配慮できる[共感力]

(8)   他者の欠点にも寛容でいられる[寛容力]

(9)   他者とむやみに競争することなく、協力的な態度が取れる[協力力]

10 他者に上手に自己主張できるようになる[主張力]

 

すでに読んでらっしゃる方は、コメントでエールを贈ってください。

 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

「私の好きな言葉」の6回、7回は、私がいちばん好きな本『どうすれば幸福になれるか 上・下』(W.B.ウルフ著、岩井俊憲監訳、一光社、写真)からご紹介しました。



8回目の今回も同じ本からです。

 「私の好きな言葉」のご紹介の前に、なぜ私がこれほどまでに『どうすれば幸福になれるか』にこだわるかを明らかにします。

理由の第1は、ウルフが『どうすれば幸福になれるか』を書いた1931年当時と現代の抱える問題点に共通点があるからです(詳しくは、同書の「監訳者はしがき」をお読みください)。

理由の第2は、この本が歴史的にアドラー心理学の本で世界中でいちばん売れていた(世界的にはペンギンブックス、日本では岩波新書で)のに、絶版になってしまったことが惜しくてたまらなかったからです。

理由の第3は、この本を読むことによって、私以外にも救われる人がたくさんいるだろうと確信していたからです。

私は、当時師事していた野田俊作先生を介して、シカゴのアドラー心理学大学院に留学中の中島弘徳さんに原典(ペンギンブックススや岩波新書は部分訳)から全部コピーをしていただき、それをもとに一光社の鈴木大吉社長に出版を依頼し、バベル・インターナショナルに所属するプロの翻訳家2人に全文を下訳してもらい、さらには監訳者の立場から原典と訳文を一字一句チェックし、3年近い年月を経て上梓したものです。
それだけに強い思い入れがあるのです。

出版までの長いいきさつを書いてしまいました。


さて、今回のテーマは、「笑いとユーモア」です。
ウルフは、『どうすれば幸福になれるか』の下巻第7章「訓練―夢、ユーモア、哲学」の「ジョークの精神力動」の部分で、「笑えば世界は君とともに笑い、泣けば君は1人で泣くのだ」という古いことわざを紹介し、「ユーモアは、文明人が孤独から自分たちの身を守るための最も重要な考案物」だとし、次のように書いています。

笑いとユーモアのセンスを養うことは、よい人生のためのすばらしい訓練である。自分自身と仲間の人を結びつけるためには、なごやかでユーモラスなパーソナリティを養うのが一番である。かなりの安心感と達成感を持っている人だけが、笑うゆとりがある。

勇気とよいユーモアは、よい人生のためのビタミンである。


笑いとユーモアをよい人生のための訓練になり、人と人とを結びつける作用をもたらすことと説いていることがウルフとアドラー心理学の特徴です。

アドラーは、感情(emotion)を2つ―「人と人とを結びつけるもの」(conjunctive)「人と人とを離反させるもの」(disjunctive)ーに区分し、笑いを前者の代表格としています。

○予告:ぺルグリーノ博士の「ユーモアと笑い」のワークショップ

10月11日(土)、12日(日)にヒューマン・ギルドでジョセフ・ぺルグリーノ博士(モントリオール個人心理学協会理事長)をお招きして、「カウンセリングとセラピーにおけるユーモアと笑い」のワークショップを開催します。
博士は、お人柄といい、学識といい「ユーモアと笑い」に最も適した講師です。
ご予定ください。
写真は、2006年7月にヒューマン・ギルドで行われたワークショップのものです(写真中央が博士)。



 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

前回は、『どうすれば幸福になれるか 上・下』(W.B.ウルフ著、岩井俊憲監訳、一光社)から「優越コンプレックス」に関する言葉を紹介しました。

今回は、「スピリチュアル・ブームへの警鐘」の言葉ですが、その前に著者のウルフとはどんな人なのか、を前置きとしてお伝えします(次回はさらに、なぜ私が『どうすれば幸福になれるか』を再度世に出したかをお伝えします)。

ウルフは、アドラーのアメリカでの活躍に重要な貢献をした人で、アドラーの通訳、翻訳者、アドラーの本の編集者をも務めています。

彼が編集し、序文を書いた本に『アドラーのケース・セミナー』(原題は“The Pattern of Life”、私の翻訳で一光社から出版、写真)があります。



アドラーのイラスト付きの伝記『初めてのアドラー心理学』(アン・フーバー、ジェレミー・ホルフォード著、鈴木義也訳、一光社、写真)では、下の「伝記」の上にある文章には、「1926年から始まるアメリカでのアドラーの大成功に向かうのを彼は助けることになった」と書かれています。

  


さて、これからが本題です。 世は「スピリチュアル・ブーム」です。5年前ならば、言葉にしにくかったことが日常的な会話で出てきます。

ウルフが『どうすれば幸福になれるか』を書いた1931年(アメリカの大恐慌から2年後)の当時もそうであったようです。

「心霊主義者、神智論者、クリスチャン・サイエンスの信者、あるいはさまざまな宗教的狂信者は、まったく未知の、行ったこともない世界に自らの興味を投影することによって、彼らを悩ます劣等感の存在をはっきりと体現している」と、こっぴどく称し、次のように続けます。


人間社会にうまく適応し、それに貢献している人は、幽霊、幻想、心霊体、涅槃のような世界に《第2のチャンス》の慰めを求めたりしない。人生において、溢れんばかりの満足感を味わっているからである。流行の宗教に夢中になる人、哲学的虚無主義、厭世主義者、世界の終焉を語る運命論者などを心理学的に調べてみると、彼らの人生の根本的誤謬は、現実からの逃避にあることがはっきりする。


ウルフさん、「現実からの逃避」とはよくぞ言ってくれましたね。

○ヒューマン・ギルドのホームページご参考に

ヒューマン・ギルドのホームページ(http://www.hgld.co.jp/)の「トピックス」欄「岩井の『日記』など」(http://www.hgld.co.jp/event1/miximotope-zi.html)の「人生に対する基本的教育を養う教育」をご参照ください。

ウルフが 『どうすれば幸福になれるか』で発しているメッセージを『教育ジャーナル』(学習研究社)2004年9月号巻頭言に書いたものです。


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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

「私の好きな言葉」の6回目から、おそらく8回目までの3回は、私がいちばん好きな本『どうすれば幸福になれるか 上・下』(W.B.ウルフ著、岩井俊憲監訳、一光社)からのご紹介になります。

私は、この本の前身の『どうしたら幸福になれるか 上・下』(W.B.ウルフ著、周郷博訳、岩波新書、絶版)を30歳代からむさぼるように読みました。おそらく10回を超えていたでしょう。お陰で装丁は、写真のようにボロボロになってしまいました。



アドラー心理学を学ぶうちにこの本の著者のウルフがアドラーの直弟子であることを知りました。

長い講釈にならないようにして、ここでウルフの「優越コンプレックス」に関する言葉を紹介します。
ちなみに、「優越コンプレックス」というのは、過去の能力、人脈、家柄などについてその優越性をことさらに強調するやり方です。


優越コンプレックスは、劣等コンプレックスの煙幕に過ぎない。・・・(中略)・・・優越コンプレックスの根底をなす唯一のものは、他人に自分が自覚しているほど悪く思われたくないという願望である。

優越コンプレックスは、暗い路地でこわさをごまかすために口笛を吹く少年のようだ。いかにも勇敢に思えるが、決して恐怖感はなくならない。


ウルフは、実際の自分よりも大きく、偉く見えるように、さまざまなジェスチャーを身につけた人の性格特性を「プラス・ジェスチャー」と呼び、それを「優越コンプレックス」と同じく捉えています。

アドラーは、『人間知の心理学』(春秋社)で「優越コンプレックス」を「虚栄心」として説明しています。

私は、サラリーマン時代から多くの優越コンプレックスの人、あるいは虚栄心に満ちた人に出会ってきましたが、ウルフのこの言葉を学んで、彼らの根底には根深い劣等感があることを知り、そんな人達に巻き込まれず、適当な距離を置いて接することができるようになりました。

○ヒューマン・ギルドのホームページにご注目

4月8日付けのブログにも書いたのですが、ヒューマン・ギルドのホームページ(http://www.hgld.co.jp/ )「トピックス」欄「岩井の『日記』など」(http://www.hgld.co.jp/event1/miximotope-zi.html)に「やぶにらみカウンセリング論」という、20年前の過激なカウンセリングをアップしておりますので、ご覧の上、ヒューマン・ギルドの会員は、「掲示板」にご感想を書き込んでくださるようお願いします。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

今回は、アルフレッド・アドラー(1870-1937、写真)による老齢期論(拙訳)の2回目です。

 加齢の時期での神経症者の不満は、たいてい次のとおりです。「侮辱された。人生からほとんど何も得られなかった。二度と何かを成し遂げられない」。それでありながら彼らは、[他者に対しては]「まだまだ意味のあることを成し遂げなければならないかのように行動しなさい」と基準をますます強固にするのです。彼らはいつもいつも、今まで未達成であったこと、これから達成不能であることに執着しています。このことが性的な領域に及ぶと―しばしばのことですが―到達不能な目標のシンボルになります。このような盛り上がる話、猥談とも呼べる性的な虚構に関して過ちを犯さないようにしなければなりません。
 
もう一つの虚構は、更年期に関することです。女性の更年期は、新陳代謝の具合に関わらず、劣等感を高めることで心理的な影響を与えます。代謝障害が起きると、そのことだけでなく同時に、自分だけが不全感を損なわれると感じて、神経症症状が変わったり、ひどくなったりすることがあり得ます。同様に、「男性の更年期」の神経症のために性機能の低下を直接受けるだけでなく、さらに悪化して「私はもう男ではない。女になってしまった」という信念を持つに至ります。
 
完全に機能を失ってしまうのではないかと恐れて身体的に老化し、心理的なショックに見舞われる多くの人達にしばしばお目にかかることがあります。女性は、更年期の危険性についての迷信の影響をとりわけ多く受けます。女性の価値が協力する能力の中にあるのではなく、若さと美貌の中にあると思っていた人達は、とりわけ苦しむことになります。そんな人達は、自分たちに向けられた偏見に立ち向かうかのような防衛的で敵意に満ちた態度をとることがよくあり、元気がなくなって抑うつ状態になりかねません。子ども達と共にいて、また、進歩発展を遂げる文化への貢献を意識していて不死を確信している特別な人を除いては、ますます老いるという恐れと死に対する恐れは免れることができません。
 本来ならば、人は老いるにつれて、進歩の余地と職業や関心をもっともっと持つべきですが、私達の社会では、丁度逆のことが起きています。私達は、老人達に対して自己を継続的に広げる機会を与えていないのです。だから老人達は、後退したと感じ、いわば片隅に追いやられるかのように感じるのです。これは気の毒なことです。というのは、彼らが働いたり、努力したりする機会にもっと恵まれれば、もっと多くのことが成し遂げられるでしょうし、際限なく幸福でいられるはずだからです。誤った社会習慣のせいで、老人達がまだまだ活動できるにもかかわらず、私達は、彼らをしばしば棚の上に置いてしまっているのです。60歳、70歳、それどころか80歳の年齢だからといって、老人に決して引退を勧めてはならないのです。人生の枠組み全体を変えることよりも、職業を続けることの方がずっと簡単なのですから。

前日から引き続いてのアドラーの老年期論の特徴は、加齢の時期に自分自身の身体的な変化を含めて、ライフ・タスク(人生の課題)が変わることと、周囲の無理解な対応によって彼らが劣等感を抱き、自尊心の低下をもたらすことがあるが、ライフ・スタイルそのものが変わるものではない、とみなしていることです。
そのことをアドラーは「敵意に満ちた性格傾向が顕著になる」と言っています。

これは、アドラーの思春期論と同じで、思春期において子どものライフ・スタイルが変わったように見えることがあるが、思春期特有の状況の変化に伴い、彼らは「自分はもはや子どもではない」とアピールしているので、ライフ・スタイルそのものが変わったわけではない、ことをアドラーは述べています。

後半では、彼らの周囲にいる人達は、老年期にいる人達に引退を勧めることなく、もっともっと活躍の舞台を提供し、彼らに生涯現役でいられる勇気を与える必要性を説いているように思われます。

このことで書きたいことは際限なくあるのですが、また別の機会に。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

「私の好きな言葉」は数日休んで、アルフレッド・アドラーの老齢期論を紹介します。
出典は、“The Individual Psychology of Alfred Adler ”(『アルフレッド・アドラーの個人心理学』)からで、私の翻訳により、2回に分けて提供します。



アドラーが老齢期に関してどのように捉えていたか興味深いところです。

 私達の文化では、老人達に対する施策がさほど十分ではありません。老人達には、余暇がたくさんある割には自分で余暇をどう過ごしていいか知っていません。若者達は、そのことを理解しませんし 、話題にすることを避けています。[こういうことから]老人達は、失望を体験することがあります。
 多くの人達は、年をとって変わった、と見られることがあり、これは主に、自分が役に立たず無益だと感じる事実によるものです。老人達は、青年期と同じやり方で自分の価値をもう一度証明しようとします。彼らは、不当な扱いに我慢できず、様々な方法を用いて自分たちは老いていない、軽んじてくれるな、失望して落ち込んでしまう、とアピールしようとします。
 
こうしたことから加齢の時期は、強い劣等感を引き起こすことにもなります。特にそのように悩む人達の中には、以前神経症の罹患例が見られました。
 破綻それ自体は、老齢期に到来するかもしれません。例えば、女性の更年期、男性のインポテンス、知的な不全感、家族の解体、息子か娘の結婚、財政上の失敗、会社や名誉の喪失です。私達の社会で加齢の時期の置かれた立場は、仕事の価値が人格の評価にほとんど決定的な影響を与えるため、実際のところ激しい脅威にさらされています。このように喪失を伴う老齢期は、自尊心の低下をも伴う作用をもたらします。
 さらには、加齢の時期にある人達は、彼らなりのやり方、望み方や衣服から仕事の効率に至るまで頻繁に批判されます。神経症的な傾向のある個人は、ともすればこのような批判を障壁(バリア)と受け止めがちで、自分で満足できる領域に引きこもることがあります。自分自身を無理矢理屈服させたり感情や願望を用いて対処させたりすることなく、それらを全く表に出さないこともあります。このような感情は、何ら補償がないまま放棄を余儀なくされると、燃焼度をより強くすることがあります。このようにして活発な、敵意に満ちた性格特性―羨望、嫉妬、強欲、支配欲、サディスティックな傾向といったものが際立ち、満足することがありません―がさらに一段と顕著になります。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

引き続き「私の好きな言葉」です。

「私の好きな言葉」をルーツを探ってみると、どうやら中学生・高校生の頃(まさに思春期真っ只中)に行き着きます。
その頃の私は、毎日日記を書いていました(中学2年生の時からの習慣)。読んだ本の中にいい言葉があると、日記に転記していました。

当時、「私の好きな言葉」を促進してくれた小冊子がありました。旺文社の『高校時代』の付録の「青年におくる言葉」です(昭和32年11月号)。書斎から取り出して、今手元にあります。



ただ、思い返せば、昭和32年というと、私が小学校4年生の時です。となると、私の姉か兄が高校生だった頃の付録のようです。おそらく姉からもらったのでしょう(この姉は私が高校生の頃、日本文学全集の大部分をくれた)。

ともあれ私は、この小冊子に何度も何度も目を通していたようです。○をつけていた文章に次のようなものがありました。

寒さに震えた者ほど太陽の暖かさを感じる。人生の悩みをくぐった者ほど、生命の尊さを知る(ホイットマン)。

人間は、恋をしたとき誰でも詩人である(プラトン)。

空気と光とそして友だちの愛、これだけ残っていれば気を落とすことはない(ゲーテ)。

これらの名言の中で今でもしっかりと覚えていて、今でも私の人生の指針になっている言葉を「青年におくる言葉」から再発見しました。「ルーツはこの本だったのだ!」と感激を新たにしました。
その言葉は:

お前の道を進め。
人には勝手なことを言わせておけ(ダンテ)。

誰かから非難されたとき、思いも寄らない噂話を聞いたとき、誰かの一言で揺らぎそうなとき、この言葉が私の心に浮かんで、動揺することなく、信念を持って貫き通せる勇気を与えてくれるのです。

名言は、確実に勇気を与え、信念を強めてくれます。



○ヒューマン・ギルドのホームページにご注目を!

ヒューマン・ギルドのホームページ(http://www.hgld.co.jp/)のTopics欄の「岩井の『日記』など」(http://www.hgld.co.jp/event1/miximotope-zi.html)に約20年前に書いた論文を掲載しました。

「やぶにらみカウンセリング論」というタイトルで『産業カウンセリング』(会報63号、1987年7月1日号)に掲載された論文です。

とても過激なカウンセリング論です。当時は若かったのですね。

内容は、かなり物議をかもしたようです。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

私の好きな言葉の4回目になります。
フランクリン・ルーズベルト大統領の就任演説の有名な部分です。

まず初めに、私の強い信念を自信をもって断言したい。私たちが恐れなければいけないただ一つのことは、恐れそのものであるいうことである。-後退を前進へと変革するのに必要な改革を麻痺させる、名付けがたく、理性的でなく、不当な恐れそのものである 。

「恐れなければいけないただ一つのことは、恐れそのもの」の英文は、 "the only thing we have to fear is fear itself"です。

「勇気の伝道師」である私は、講演の最後に「恐れに代わる勇気」としてこの文章を引用することがあります。すると、少し格調が高いような印象を与えるようです。

ところで、この文章、草稿にはあったけれど演説には使われなかった、という説もあります。

ご存知の方、教えていただけませんか?

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今晩は。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

まずお詫びです。
私は、「おはようございます」と書きながら、前日には文章を完成させ、朝たいてい6時代に掲載します。ところが、6日朝の原稿を5日の夜の10時過ぎの投稿時間でアップしてしまいました。
そのため、6日の記事の記録がなくなるのがイヤなので、7日朝の文章を今から掲載します。

私の好きな言葉の3回目です。
今までの2回が日本語・英語の対訳できていますので、このノリで行きます。

ネタは、『音読したい英語名言300選(CD付)』(田中安行監修/英語名言研究会編著、中経出版)からです。



この本は、古今の欧米の名言300を英語と日本語の対訳で、しかもCD付きで収録したものです。
名言を英語でも学べるメリットがあります。


その中からフランスの文学者・哲学者のフランソワ=マリー・A・ヴォルテール(1694-1778)の言葉。

君の意見には賛成しないが、君のそう発言する権利は死んでも擁護しよう。

I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.

 

私がこの言葉を好きな理由は、大学生の頃影響を受けた河合栄治郎(1891-1944、『学生に与う』などの著者)の生きかたと重なるからです。

経済学者、自由主義思想家の河合栄治郎(東京大学教授)は、経済学部の中でマルクス主義者と相対峙し、論陣を張りますが、軍国主義の色合いが濃くなる中マルクス主義者が次々と大学を追われるとき、彼らを命がけで擁護し、ファシズム批判を強め、その著書をものにします。
そのためやがて彼自身が大学を追われます(1939年)。

翌年、2月末から3月中旬にかけて20日間、箱根の山中にこもって、毎日17時間をかけて『学生に与う』を執筆しました。



思想的に対極にあるマルクス主義者が大学を追われそうになるのを擁護する河合こそが「君の意見には賛成しないが、君のそう発言する権利は死んでも擁護しよう」の態度そのものであったように思われます。

今では、河合のように論陣を張り、骨のある学者(政治家は言うまでもなく)は、極めて少ない。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

「私の好きな言葉」の2回目は、「聴いてください」 です。
「勇気づけ」の条件の1つの「聴き上手」を徹底するのにうってつけの文章です。

最初にこの言葉に出合ったのは、ある方のプリントでした。
その後、この文章が『愛するということ、愛されるということ』(原題は“Loving Each Other”、レオ・バスカリア著、草柳大蔵訳、三笠書房知的生き方文庫)に作者不明として収められているのを知りましたが、訳文が陳腐でした。

そこで、このブログでは、美しい訳文で紹介し、英語の原文も示し、草柳大蔵訳も参考までに記載します。

私の話を聴いてください、と頼むと
あなたは助言を始めます。
私はそんなことを望んでいないのです。
私の話を聴いてください、と頼むと
あなたはその理由について話し始めます。
申し訳ないと思いつつ私は不快になってしまいます。

私の話を聴いてください、と頼むと
あなたは何とかして私の悩みを解決しなければ
という気になります。
おかしなことに
それは私の気持ちに反するのです。

祈ることに慰めを見出す人がいるのは、
そのためでしょうか。
神は無言だからです。
助言したり調整しようとはしません。
神は聴くだけで悩みの解決は自分に任せてくれます。
だからあなたもどうか黙って私の話を聴いてください。
話したかったら私が話し終わるまで少しだけ待ってください。
そうすれば私は必ずあなたの話に耳を傾けます。 

ちなみに、原文(英文)は、以下のとおりです。
アドラー心理学ベーシック・コースに出られ、この文章に魅了されたスマーディ(URL:http://www.smardy.jp/ E-mail: info@smardy.jp TEL:045-222-8531)の代表の小早川昭子さんが2月7日にご自身のブログで紹介されました。

http://blog.goo.ne.jp/smardy/e/
e4c10f7ee9f7b088f620984d655ff4f3

(『愛するということ、愛されるということ』から) 

それだけでなく小早川さんは、“Loving Each Other”の原書をわざわざ購入され、英文を「以下の表記のとおりですよ」とメールで教えてくれました。

 “Listen”

When I ask you to listen to me and you start giving
advice,
you have not done what I asked.
When I ask you to listen to me and you begin to tell me
why
I shouldn’t feel that way, you are trampling on my
feelings.

When I ask you to listen to me and you feel you have to
do
something to solve my problems, you have failed me
strange
at that may seem.

Perhaps that’s why prayer works for some people.
Because God is mute and He doesn’t offer advice or try to fix
things.
He just listens and trusts you to work it out for yourself.
So please, just listen and hear me. And if you want to talk,
wait a few minutes for your turn and I promise I’ll listen
to you.

<参考:草柳大蔵訳>(原文の「聞いて」を「聴いて」に修正)

「話を聴いて」と言っているのに、あなたはすぐに忠告しようとする
なぜ私の言うとおりにしてくれないの
「話を聴いて」と言っているのに、あなたはすぐにお説教を始める
なぜ私の心を踏みつけるの
「話を聴いて」と言っているのに、すぐに私の問題に首をつっこんでくる
私はガッカリしてしまったわ
だから、きっと祈りが役に立つのでしょうね
神様は何もおっしゃらないから
忠告なさったり問題に首をつっこんだりなさらないから
神様は黙って耳を傾けられ、私達に問題の解決を任せてくださる
だからお願い、静かに私の話を聴いて
ほんの少し待ってくれたら、あなたの話を聴いてあげるから



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

これから時々、私の好きな言葉(名言など)をこのブログで紹介していくことにします。

その第1回目は、プロテスタント神学者 ラインホールド・ニーバーの言葉です。
この言葉は、「平静の祈り」として知られ、AA(匿名アルコール依存症者の会)でも唱えられることがあります。

英語の原文も読みたい人のために英語も記しました。

神よ願わくは我に 
 変えられるものを変える勇気と 
 変えられないことを受け入れる忍耐と 
 両者を見極める知恵を  
  与えたまえ 
 

God grants me
 COURAGE to change what I can,
 PATIENCE to accept what can’t be changed, and
 WISDOM to know the difference.

あまり詳しい解説は、必要ありませんね。
「勇気」と「忍耐」と「知恵」を3点セットにしているところに興味があります。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

私が年2回、自分で受講するのを楽しみにしているワークショップがあります。上海出身の盛鶴延先生ご指導による「秘伝気功ワークショップ」です。

このワークショップは、お客様だけでなく私自身のためにも開いています。盛先生との充実した2日間が楽しみで楽しみでしかたがないくらいだからです。

盛先生との交流は、間もなく20年になります。一度も失望したり、飽き飽きしたりしたことがありません。人間として、盛先生の近くにいるだけで充実した気分になれるのです。

思い返せば、こんなことがありました。

10年ほど前、私は、ある人を「ぶっ殺したい!」とまで思っていた時期がありました。そんな事情をよくご存知だった盛先生は、ワークショップの最中、ホワイトボードにこう書かれました。

怒 不 争

「怒ることがあっても争うな」というメッセージでした。「争うことは愚かしいことだよ」と諭されたような気がしました。

盛先生には、私が今住んでいる自宅を選ぶときも、ヒューマン・ギルドの事務所を現在地に移転するときも現地をご覧いただき、相談にのってもらいました。お陰で気のいい場所を選べました。

私が盛先生のお人柄として力説したいことは、偉ぶらないこと、そして恐怖で人を動機づけないこと、です。

広い意味で精神世界の指導者にとかくありがちなのは、偉ぶって、恐怖を用い、「・・・・しないと・・・・になりますよ」と、脅すことをしますが、盛先生は決してなさいません。
そんなところが私が師事し、義兄弟の契りを結んでいる理由でしょうか。

このように公私共にお世話になっている盛先生の気功ワークショップを皆さんとご一緒いただけるとしたら、私の大きな喜びです。

下記の概要で「秘伝気功ワークショップ」を開催します。志のある方にご参加願えれば幸いです。

ちなみに、盛先生には、下記のような名著があります。
『気功革命』『気功革命 治癒力編』(共にコスモス・ライブラリー)です。読んだ方は「ここまで至れり尽くせりの気功の本はない」と言います。

    

ワークショップの概要は、下記のとおりです。

日  時:4月26日(土)10:00-19:00、27日(日)10:00-17:00
場  所:ヒューマン・ギルド研修室
受講料:28,000円(ヒューマン・ギルド会員)、33,000円(一般)

 内容は、動功、静功、自発動功などに加え、盛先生ならではの受講者1人ひとりに対する氣の診断(これは絶対におトク)もしてくださいます。
「気功はまったく初めて」という方にも、分かりやすくご指導くださいます。

ヒューマン・ギルドの「お申込みフォーム」から入られると便利です。「4月4日のブログを見て」と書いていただくと、ヒューマン・ギルドの会員価格とさせていただきます。

http://www.hgld.co.jp/event3/index.html

なお、2日間のワークショプに参加しにくい方は、4月11日(金)の19:00から2時間の気功教室でお試しください(受講料:3,000円)

盛鶴延先生の秘伝気功ワークショップでお目にかかれるのを期待しております。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

一昨晩もオペラ・サロン「トナカイ」(http://www.opera.co.jp/ 、電話:03-3851-0810、都営新宿線 岩本町駅徒歩5分)に行ってきました。
妻の誕生日を家族で祝うためです。義母と義兄も招待しました。

この道楽は、2月20日から始まり、それからなんと、1ヵ月半で4度になります。
ピアノ伴奏によるオペラを食事をしながら観賞するという贅沢なのですが、お連れした人には決まって喜ばれます。
言わば「オペラを聴きながらのディナーショー」気分なのです。それでいて、ミュージック・フィーは2,500円、これに食事代が加わるだけ。

4月1日に誕生日を迎えた妻は、3人のオペラ歌手に「ハッピ・バースデイ」を歌われ、ご満悦。
これで、ほんの少々日頃の罪滅ぼしができたか。


この頃私は、音楽にますます魅了されています。

札幌の大通公園メンタルクリニック院長の山田秀世さん(精神科医)の影響で、マーラーのシンフォニーのCDを数枚購入し、以前のCDと共に朝、よく聴いています。

出勤時は、PHSのW-ZERO3の強みを生かしてWindows Mediaに入れたバッハ、モーツァルト、ベートーベンの音楽を代わる代わる聴いています。


そんな私から、5月に行われる依田真宣さんのバイオリンのコンサートと菊池大翼さんのリサイタルの詳細をお伝えします。

1.依田真宣さんのバイオリン・コンサート(「モーニング・コンサートVol.19」)
依田真宣さんは、私の大学時代からの畏友、依田宣夫さん(公認会計士・税理士)のご次男。東京藝術大学在籍中は、他の大学での特待生に相当する福島章を受賞。現在は同大学院に在籍。
たまたま東京都の広報で見つけて予約しました。

①日時:5月9日(金)11時から
②場所:東京文化会館小ホール
③曲目:J.S.バッハ「シャコンヌ」他
④料金:500円(全席自由)
⑤申込先:東京文化会館チケットサービス(電話:03-5815-5452)

2.菊池大翼さんのリサイタル

菊池大翼さん(26歳)には、「トナカイ」で2度お目にかかりました。なかば「おっかけ」のような私です。下は、実際は4人で撮ったのですが、あえて2人だけに修正した写真です(ちょっと写りが悪い)。




菊池さんは、「4オクターブの男声バリエーション」が売りで、音域はメゾ・ソプラノからバス・バリトンまでの広範囲に及びます。

①日時:5月29日(木)19時から(会場18:30)
②場所:東京文化会館小ホール
③曲目:カウンターテナーからバリトンまでの領域で多数の曲目
④料金:4,000円(全席指定)
⑤申込先:東京労音(電話:03-3204-9933)


ところで、

ああ残念。
手帳を見たら、この晩箱根での研修の予定を入れてしまった。何たること!

(道楽より稼ぐのが先か。温泉もまた魅力的)



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

3月26日に『3週間続ければ一生が変わる Part2』(ロビン・シャーマ著、北澤和彦訳、海竜社)からちょっといい話を紹介しました。

この本の前編に相当するベストセラー『3週間続ければ一生が変わる』(ロビン・シャーマ著、北澤和彦訳、海竜社)でも、いい話が盛りだくさんです。




その中の1つを紹介しましょう。著者のロビン・シャーマが講演で使うインドの神話です。


何千年も前、地上を歩くものはすべて神であると信じられていました。しかし、人間がその無限の力を悪用したので、最高神は、その神性、つまりあらゆる可能性の根源を隠して、誰にも見つけられないようにすることにしたのです。そこで、そういったものをどこに隠すか、という問題が生じました。

第一の忠告者が、地上深くに埋めることを提案すると、最高神は、「いや、いずれ誰かが掘って、見つけてしまうだろう」と答えました。

すると第二の忠告者が、「その神性をいちばん深い海の底に沈めてはいかがでしょう?」と言ったのです。それに対して最高神は、「いや、いずれ誰かが潜って、見つけてしまうだろう」と答えました。

すると、第三の忠告者が口をはさみ、「では、いちばん高い山の頂に置いたらいかがでしょう?」と言ったのです。最高神は、「いや、いずれ誰かがその山頂に登り、見つけてしまうだろう」と答えました。しばらく考えていると、最高神は解決策を思いつきました。

「すべての人間の力、可能性、目的の源を、地球上にいるあらゆる男、女、子どもの心の中にしまってしまおう。なぜなら、彼らはけっしてそこを探そうとはしないからだ」


シャーマは、この神話を我々の中には多くの可能性と能力が眠っていて、目をあててやりさえすれば目を覚ますことを聴衆に気づいてもらいたくて講演で使っているのです。

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