見もの・読みもの日記

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国家主義との闘争/天皇と東大(立花隆)

2005-12-18 23:22:19 | 読んだもの(書籍)
○立花隆『天皇と東大:大日本帝国の生と死』(上下) 文藝春秋社 2005.12

 久しぶりの「読んだもの」更新である。700頁超×2冊の大作を、1週間かかって、ようやく読み終わった。本書の原文は、月刊誌『文藝春秋』に、1998年から2002年まで連載されていた「私の東大論」である。私は雑誌連載には全く無関心だったので、この単行本で初めて一気に全文を読み通した。

 面白かった。ただし、それは「日本近代史」が事実として持っている面白さである。本書が一編の著作として面白いかというと、やや首をかしげざるを得ない――ここで私が「著作としての面白さ」と言うのは、たとえば(無意味な比較かも知れないけど)戦後日本を書いた小熊英二の『<民主>と<愛国>』みたいな感銘はなかった、ということだ。

 その理由は、本書の根底に、どうにも「図式的な見方」を感じてしまうからだ。著者は本書の終章近くで、「私はずっと前、少年期のころから、なぜあの戦争が起き、なぜ終わったのかを最大の疑問として生きてきた」と告白している。終戦時に5歳だったという著者は、戦争の「理由」や「責任」は実感として理解できない、しかし、その「結果」としての辛酸は十分に嘗めた世代である。だから、上記の疑問には、「なぜ(あんな不幸な、不義な、そして愚かな)戦争が起きたのか」という、強い憤りと反感が、深く刻まれているように感じる。

 そして、著者は、戦争責任の根源を、天皇中心主義者(右翼的国粋主義者)に求め、おおむね国家主義者を悪、民主主義者を善と断ずる。その基本的構図に、私は否を唱えるつもりはない。しかしながら、著者は「絶対無謬」の戦後世代に自分を置き、戦中・戦前世代の「誤謬」と「無知蒙昧」を、あげつらっているような感じがする。過ぎ去った「歴史」が、こういう手つきで扱われるのを見るのは、あまり気分のいいものではない。

 たとえば、美濃部達吉の天皇機関説事件や津田左右吉事件にかかわった、狂信的右翼思想家・蓑田胸喜を、あたかも「道化」のように冷笑する態度。または、東京大学初代総理・加藤弘之の「変節」に対する容赦のない非難。さらに言えば、訳あって本書に掲載された「南校時代全職員生徒」の集合写真に対して「当時の日本(明治4年7月~5年8月)がどれほどの未開国であったかがすぐわかる」とコメントしているのを読んだときは愕然とした。そう言うか~。このひとって、「非合理」とか「無知」「未開」が徹底して許せない、要するに近代主義者なんだなあ、と思った。

 私は著者よりさらに一世代降っているので、戦前の狂信的国家主義者も、戦後の民主主義世代も、どっちもどっちだろう、という醒めた感覚がある。ここに最近の右傾化する若者を付け加えてもいい。「どっちもどっち」というのは「民衆は常に過ちやすく、騙されやすい」という認識である。

 そういう私から見ると、著者が、戦後まもなく公刊された『きけ、わだつみの声』(戦没学生の手記)において、天皇制を肯定し、戦争を礼賛する語句が、反戦・平和運動の趣旨に合わないからという理由で削除されていたことを、近年ようやく知って、共産党の指示による「歴史の改竄」に驚き、「あの時代(戦前・戦中)は、後世の我々が考えている以上に(世の中一般の人々が)右翼的、国粋主義的であったということである」と、ナイーブに慨嘆しているのは、何を今さら、と苦笑を誘われる。

 本書には、そうした”世の中一般の人々”とは異なり、あくまでファシズムに抗し、学問の自由のため、孤高の戦いを続けた幾人かの大学人が登場する。吉野作造、河上肇、美濃部達吉、矢内原忠雄など。彼らの戦いは尊い。

 しかし、私が最も感銘を受けたのは、南原繁(戦後初の東大総長)の存在である。敗戦の日に法学部長の職にあった南原は、それから2週間後、「大学新聞」に「戦後に於ける大学の使命――復員学徒に告ぐ」という文章を書いた。本書には、その一部が採録されている。これがいいのだ。有名な文章だそうだから、知っている人は知っているんだろうなあ。私は初めて読んだが、いま読んでも全く色褪せていない。戦後60年目に、真の勇気と自尊を取り戻すために(現実を直視せよ/理想を見失うな)、断然、読むべき文献の一ではないかしら。その後も、南原は、名演説によって、東大生のみならず、全国の学生、知識人、そして市井の人々を力づけたという。

 著者は言う、「南原は、学徒出陣のときに、自分が何もできなかったことを、生涯最大のトラウマとしてかかえ、そのときの思いを何度も何度も語りつづけた」と。だからこそ、彼の言葉は、今なお我々の胸を打つのだ。「無謬」の中に自分を置いて、他者を断罪している限りは、何も変わらない、何も変えられないのだと思う。
コメント (1)
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