見もの・読みもの日記

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仮名は和歌のために/出光美術館

2005-12-11 20:33:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
○出光美術館『平安の仮名、鎌倉の仮名-時代を映す書のかたち-』

http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkantop.html

 「古今和歌集成立1100年、新古今和歌集成立800年」を記念する展覧会のひとつ。先月は見仏がてら、京都まで遠征していたら、東京近郊で開催されていた記念展のいくつか(五島美術館、れきはく)を見逃してしまった。がっかり。しかし、その失敗を補って余りある、実り多い展覧会を見ることができた。

 まず、古筆手鑑『見努世友(みぬよのとも)』に興奮! これと京都国立博物館所蔵の『藻塩草』、MOA美術館所蔵の『翰墨城』を以って三大国宝手鑑というのだそうだが、私は2週間前に京都で『藻塩草』を見てきたばかりである。すごい、14面も広げてある!と思っていたら、こちらは25面も開けてありました。これだけで、平安~鎌倉の古筆の流れを一気に通覧できてしまう。

 使われている料紙は、実にさまざま。紺地金泥あり、金箔を散らした「彩箋(というらしい)」あり、模様の入った藍雲紙・紫雲紙あり、黄色っぽいのは「黄麻紙」、灰色っぽいのは「楮紙」。「斐紙」には、白のほか、ピンク、むらさき、水色などがある。版型は、わずか2、3行の細い短冊から、ほぼ正方形の枡型本の1ページまで。書かれている文字も、漢文あり、仮名あり、字の大きさ、字間・行間の空き具合、墨の濃さなど、千差万別で、錦の見本帖を見るようだ。

 作品名と筆者名(伝○○筆)の組み合わせを見ていくと、伝貫之筆「古今和歌集」(高野切)、伝顕昭筆「源氏物語断簡」(建仁寺切)なんてのは分かるとして、伝源家長筆「仮名聖徳太子伝暦」とか、伝俊寛僧都筆「後撰和歌集」なんてのを見ると、へえ、この人がこんな作品を、と興味をひかれるものもある(まあ、しょせん「伝」ですけど)。

 終わりのほうに、「伝蓮生法師(熊谷直実)筆」の断簡があって、大きな料紙の中央に、深い苦悩を吐き出すような小さな文字で「速成就佛身」とあった。華やかな仮名文字の美酒に酔っていた私は、一瞬、虚をつかれた感じがした。熊谷直実についてはこちら

 さて、この展覧会は「平安の仮名」「鎌倉の仮名」の二部構成になっているが、その冒頭のパネルは、平安と鎌倉の仮名の美しさの違いにふれて、以下のように語る。優美・流麗で、消え入るような平安の仮名、厳格・明確で、意志的な強さを感じさせる鎌倉の仮名。この違いは、貴族の世から武士の世というステレオタイプで説明されがちである。しかし、より根本的な原因は、和歌の持つ機能の変化にあるのではないか。貴族たちの日常会話の延長であった和歌が、公的な性格を強めるに伴い、仮名文字の可視的な性質も変化したのではないか。

 キーワードは「仮名が和歌を記す文字であるという視点」である。そうだ。仮名は日記のためでも物語のためでもなく(それらは二次的な用法)和歌のために生まれた文字なのだ。私は、この大胆に見えて、直感的には正しい断定を、感動を以って眺めた。

 私は学生時代、国文を専攻していたので、古写本との付き合いは長い。しかし、和歌文学の演習で「○○本」や「○○切」を見るときは(翻刻や影印本でいいので)文献資料として見ていた。一方、美術館で古筆切を見るときは、工芸品を見るように、ああ、きれいだなあ~と思って陶然と眺めるだけだった。

 この展覧会は、国文学の研究成果が、美術品としての古筆の新たな鑑賞法を提案しているという点で、非常に画期的であると思う。会場には、さらに詳しく、平安~鎌倉の仮名の展開を模式化したパネルも設けられている。伝統的な古筆の観賞を楽しみたい向きには、単に小うるさいだけかもしれないが、私は大いに知的刺激を受けた。

 なお、展示図録には、国文学者の後藤祥子さんと田淵句美子さんが寄稿している。これから読むのが楽しみ。
コメント (2)
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