○陝西省歴史博物館・唐墓壁画庫
8月28日、西安の続き。陝西省考古研究所の見学を終えた我々は、陝西省歴史博物館の一般見学エリアで、午前中の2時間をつぶす。そして、昼食、小雁塔の見学後、3:00に再び陝西省歴史博物館に戻ってきた。
いよいよ、壁画庫スペシャル・ツアーの始まりである。西安市の郊外には、章懐太子(しょうかいたいし)墓、懿徳太子(いとくたいし)墓、永泰公主(えいたいこうしゅ)墓など、華麗な壁画で知られる唐代の陵墓が集まっている。これらの壁画は、今は剥ぎ取られて、陝西省歴史博物館地下の保存庫に収蔵されているのだ。
ミュージアムショップで待っていると、担当者が呼びにきた。一般見学者のコースを外れ、本館の裏にまわると、別棟の収蔵庫が建っている。ゆるやかなスロープを下り、物品搬入路を兼ねていると思しき、洞窟のような巨大な入口をくぐる。薄暗いガレージのようなスペースを抜けると、突然、やわらかな照明と、靴音のしない厚い絨毯(これも赤か?)にいろどられた、瀟洒な保存展示室に到達する。まるで魔法にかけられたようだ。
部屋の大部分を占めて、図書館にある電動書架のようなものが並んでいる。ただし異様に背が高い。いや、これは書架ではなくて「画架」なのだ。既にいくつかの「画架」が引き出されており、そこには、見覚えのある、有名な壁画作品が飾られていた。ああ、本当に西安に来たのだ、と思って、息を呑む。空いている壁には、ヨーロッパの貴族の邸宅にあるような、豪奢なビロード(?)の緞帳で隠された絵画(もちろん壁画であろう)が立てかけられていた。既に室内には、何組かの見学者が入っていて(日本人が多い)、数名ずつ、案内人の解説を聞いていた。
我々には、王さんという解説者が付いてくれた。日本の博物館や美術館で講演をしたこともあり、高松塚古墳の保存に関する協議にも参加していると言っていたから、上席の研究員ではないかと思う。
驚くべきことか、我々の前に引き出された壁画は「丸裸」の状態である。ガラスが嵌まっていない。なるべく呼気がかからないよう、口もとを押さえながら、それでも近づけるだけ近づいて、ナマの唐代壁画を鑑賞させてもらう。
展示室の右端と左端にあったのが、懿徳太子墓の「闕楼図」(東西2面)。高い台座の上に築かれた朱塗りの楼閣を描いたものだが、私の好きな『吉備大臣入唐絵巻』に描かれた楼閣に似ている。章懐太子墓の「狩猟出行図」のうち、3騎だけを描いた小さい画面は、江戸博の『新シルクロード展』でも見た。しかし、大集団を描いた大きいものは、もちろん初見である。先頭を行くのが、被葬者の章懐太子本人と思われる、ということだ。万葉集の安積皇子の挽歌(家持作)を連想した。
何列目かの「画架」の裏にまわったとき、目に飛び込んできたのは「客使図」である。この有名な作品を、ナマで目の前にすることができるなんて...絶句。
結局、全部で10余点の壁画を見せてもらった(解説なしで素通りしたものもある)。ここで、私はハタと困った。自分が何を見たのか、メモをとっておきたい。しかし、まさかこんな環境で見学できるとは思わなかったので、鉛筆を持ってきていないのだ。この状況でボールペンを取り出すような馬鹿な真似は、たとえ咎められなくても、できない。
どうしよう、どうしよう、と困っていたら、通訳ガイドの李さんが「皆さん、特別にもう1枚見せてくれるそうですよ!」と嬉しそうに呼ぶ。この壁画庫見学ツアーは、所定の料金さえ払えば、誰でも参加できる。だから、日本の旅行社で、これをオプションに組み込むところは多い。
その結果、美術にも歴史にも興味はないけれど、郊外ツアーは面倒くさいし、美食ツアーにも飽きたし、というような旅行者が、漫然と入ってくるケースが多いのではないかと思う。我々の直前にいた日本人男性2人も、あんまり無感動な様子なので、少し腹が立って、後ろから蹴りを入れたくなった。
それに比べると、我々は、本気でこの壁画庫を楽しみにしていた客だということが伝わったのではないかと思う。研究員の王さんが、近くにいた女性に命じて、新たな電動架を1列、引き出させた。一体どんな画面が現れるのか、数秒間のわくわくした気持ちのあと、現れたのは、細身の犬が、男の腰にじゃれつく場面であった(架鴫戯犬図)。ああ、見覚えがある、と反射的に思った。
この壁画は、以前、日本の展覧会に貸し出したことがある、と王さんは語った。そのとき、修復(洗浄?)をしたので、ほかに比べてきれいでしょう、という。うーん、これを見たのは、大阪市立美術館『大唐王朝-女性の美』だったかなあ。ちょと記憶が曖昧で、記録もない。おまけのおまけで、裏面の鷹匠の図(架鷹馴鴫図)も見せてもらう。
よほど気をよくした王さんは、さらにもう1枚見せよう、と言って、我々を別室に連れて行く。入ってくるときは気づかなかったが、電動架の並んだ保存庫は”「”型に2室連なっているのだ。別室で、王さんは、我々を房付きの豪奢な緞帳のかかった絵画の前に立たせ、その緞帳を左右に払った。赤い頭巾の儀仗兵たちが並んでいる。見上げると首が疲れるほど大きい。あんまり大きいので、電動架に入らないのではないかと思う。
王さんの話では、唐代壁画を扱った日本の美術全集の表紙にもなった作品だという。また、唐を舞台にした映画(LOVERS?)を撮った関係者がこれを見に来て、映画では黒い頭巾を使ったが、赤にすればよかった、と語った、というエピソードも教えてくれた。
※見学した壁画の詳細は9/9の記事参照。
8月28日、西安の続き。陝西省考古研究所の見学を終えた我々は、陝西省歴史博物館の一般見学エリアで、午前中の2時間をつぶす。そして、昼食、小雁塔の見学後、3:00に再び陝西省歴史博物館に戻ってきた。
いよいよ、壁画庫スペシャル・ツアーの始まりである。西安市の郊外には、章懐太子(しょうかいたいし)墓、懿徳太子(いとくたいし)墓、永泰公主(えいたいこうしゅ)墓など、華麗な壁画で知られる唐代の陵墓が集まっている。これらの壁画は、今は剥ぎ取られて、陝西省歴史博物館地下の保存庫に収蔵されているのだ。
ミュージアムショップで待っていると、担当者が呼びにきた。一般見学者のコースを外れ、本館の裏にまわると、別棟の収蔵庫が建っている。ゆるやかなスロープを下り、物品搬入路を兼ねていると思しき、洞窟のような巨大な入口をくぐる。薄暗いガレージのようなスペースを抜けると、突然、やわらかな照明と、靴音のしない厚い絨毯(これも赤か?)にいろどられた、瀟洒な保存展示室に到達する。まるで魔法にかけられたようだ。
部屋の大部分を占めて、図書館にある電動書架のようなものが並んでいる。ただし異様に背が高い。いや、これは書架ではなくて「画架」なのだ。既にいくつかの「画架」が引き出されており、そこには、見覚えのある、有名な壁画作品が飾られていた。ああ、本当に西安に来たのだ、と思って、息を呑む。空いている壁には、ヨーロッパの貴族の邸宅にあるような、豪奢なビロード(?)の緞帳で隠された絵画(もちろん壁画であろう)が立てかけられていた。既に室内には、何組かの見学者が入っていて(日本人が多い)、数名ずつ、案内人の解説を聞いていた。
我々には、王さんという解説者が付いてくれた。日本の博物館や美術館で講演をしたこともあり、高松塚古墳の保存に関する協議にも参加していると言っていたから、上席の研究員ではないかと思う。
驚くべきことか、我々の前に引き出された壁画は「丸裸」の状態である。ガラスが嵌まっていない。なるべく呼気がかからないよう、口もとを押さえながら、それでも近づけるだけ近づいて、ナマの唐代壁画を鑑賞させてもらう。
展示室の右端と左端にあったのが、懿徳太子墓の「闕楼図」(東西2面)。高い台座の上に築かれた朱塗りの楼閣を描いたものだが、私の好きな『吉備大臣入唐絵巻』に描かれた楼閣に似ている。章懐太子墓の「狩猟出行図」のうち、3騎だけを描いた小さい画面は、江戸博の『新シルクロード展』でも見た。しかし、大集団を描いた大きいものは、もちろん初見である。先頭を行くのが、被葬者の章懐太子本人と思われる、ということだ。万葉集の安積皇子の挽歌(家持作)を連想した。
何列目かの「画架」の裏にまわったとき、目に飛び込んできたのは「客使図」である。この有名な作品を、ナマで目の前にすることができるなんて...絶句。
結局、全部で10余点の壁画を見せてもらった(解説なしで素通りしたものもある)。ここで、私はハタと困った。自分が何を見たのか、メモをとっておきたい。しかし、まさかこんな環境で見学できるとは思わなかったので、鉛筆を持ってきていないのだ。この状況でボールペンを取り出すような馬鹿な真似は、たとえ咎められなくても、できない。
どうしよう、どうしよう、と困っていたら、通訳ガイドの李さんが「皆さん、特別にもう1枚見せてくれるそうですよ!」と嬉しそうに呼ぶ。この壁画庫見学ツアーは、所定の料金さえ払えば、誰でも参加できる。だから、日本の旅行社で、これをオプションに組み込むところは多い。
その結果、美術にも歴史にも興味はないけれど、郊外ツアーは面倒くさいし、美食ツアーにも飽きたし、というような旅行者が、漫然と入ってくるケースが多いのではないかと思う。我々の直前にいた日本人男性2人も、あんまり無感動な様子なので、少し腹が立って、後ろから蹴りを入れたくなった。
それに比べると、我々は、本気でこの壁画庫を楽しみにしていた客だということが伝わったのではないかと思う。研究員の王さんが、近くにいた女性に命じて、新たな電動架を1列、引き出させた。一体どんな画面が現れるのか、数秒間のわくわくした気持ちのあと、現れたのは、細身の犬が、男の腰にじゃれつく場面であった(架鴫戯犬図)。ああ、見覚えがある、と反射的に思った。
この壁画は、以前、日本の展覧会に貸し出したことがある、と王さんは語った。そのとき、修復(洗浄?)をしたので、ほかに比べてきれいでしょう、という。うーん、これを見たのは、大阪市立美術館『大唐王朝-女性の美』だったかなあ。ちょと記憶が曖昧で、記録もない。おまけのおまけで、裏面の鷹匠の図(架鷹馴鴫図)も見せてもらう。
よほど気をよくした王さんは、さらにもう1枚見せよう、と言って、我々を別室に連れて行く。入ってくるときは気づかなかったが、電動架の並んだ保存庫は”「”型に2室連なっているのだ。別室で、王さんは、我々を房付きの豪奢な緞帳のかかった絵画の前に立たせ、その緞帳を左右に払った。赤い頭巾の儀仗兵たちが並んでいる。見上げると首が疲れるほど大きい。あんまり大きいので、電動架に入らないのではないかと思う。
王さんの話では、唐代壁画を扱った日本の美術全集の表紙にもなった作品だという。また、唐を舞台にした映画(LOVERS?)を撮った関係者がこれを見に来て、映画では黒い頭巾を使ったが、赤にすればよかった、と語った、というエピソードも教えてくれた。
※見学した壁画の詳細は9/9の記事参照。