見もの・読みもの日記

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独裁者は廃墟を夢見る/夢と魅惑の全体主義(井上章一)

2006-09-27 22:21:52 | 読んだもの(書籍)
○井上章一『夢と魅惑の全体主義』(文春新書)文芸春秋社 2006.9

 著者紹介を見て、笑ってしまった。「国際日本文化研究センター勤務」「評論家」とあるだけで、何が専門とも書いていない。そうだろうなあ、霊柩車からラブホテルまで、最近はジャズピアノにも手を染めている、多芸多趣味なおじさんだもの。しかし、『つくられた桂離宮神話』(1986)や『法隆寺への精神史』(1994)から読んできた私にとって、やっぱり、著者は建築の人である。

 本書の主題は、「建築を愛した独裁者/独裁者に愛された建築」である。古代ローマに自らの帝国を重ね合わせようとしたムッソリーニ。プロイセン=ドイツ帝国を凌駕しようとしたヒトラー。そして、スターリンのモスクワ、蒋介石の南京、毛沢東の北京でも、都市建築は、過去の栄光を想起させ、未来のビジョンを与えることで、民衆の熱狂を誘い出すための重要な装置だった。

 しかし、日本ファシズム下の建築が、こうした「夢と魅惑の装置」であった形跡はない。戦時日本には、総動員体制のリアリズムだけがあった(私なら、貧乏人リアリズムと呼びたい)。鉄鋼の消費を抑えるため、東京の官庁街には、安っぽいバラックばかりがつくられた。意匠を凝らした建築は贅沢品として敵視され、明治の名建築(たとえば鹿鳴館)も、この時期に壊されてしまった。ここには、日本ファシズムとヨーロッパのファシズムとの、明らかな差異が見て取れる。著者は、建築の扱われ方を、政治体制の性格を考える、ひとつの指標と考える。

 一方、建築は「時代や政治をこえてはばたく生き物」でもある。たとえば、共産党政権がモスクワに設けようとしたソビエト・パレス。その落選案には、モダンデザイン上の傑作として知られるル・コルビュジェの作品もあった。戦時下、日本建築学会が行った「大東亜建設営造計画」コンテストで、1位を獲得したのは、若き日の丹下健三だった。彼の応募案は、富士の裾野に壮大な忠魂神域を造営するもので、平面計画(2つの台形をブリッジでつなぐ)には、ル・コルビュジェのソビエト・パレスの影響が強いという。このコンテストは、そもそも実現を度外視したものだったが、丹下は、戦後、広島の平和記念公園のコンペに、再びソビエト・パレスふうの平面計画を採用している。さらには、イタリアのファシスト政権が計画していた新都市EUR(エウル)の特徴的なアーチも取り入れられている。

 共産主義もファシズムも、大東亜共栄圏も戦後民主主主義も、全て踏み倒していくような、建築家・丹下のふてぶてしさが印象的である。

 建築を含む空間演出に、最も熱心だった独裁者はヒトラーである。1936年のナチス党大会では、130本のサーチライトが用意され、虚空に「光の神殿」を描き出した。これは、ニューヨークの9.11テロの追悼式典において、光のツイン・タワーを出現させた趣向に受け継がれている(上記のナチス党大会も9月11日だった、というのは、因縁話めいているが興味深い)。

 ヒトラーについて、印象的だったことを、もう1つ。党大会場を設計したシュペーアは、同時に「この会場が廃墟になったときの様子」を描いて、ヒトラーに示した。側近たちは、この絵を冒涜的だと感じたが、ヒトラーだけはシュペーアの意図を正確に理解した。「いずれは美しい廃墟となるような建築を、第三帝国はうみださなくてはならない」。ああ、真の独裁者とは、自分の帝国が廃墟となる日をどこかで確信しているのだなあ。なんという、甘美な夢か。
コメント (1)
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