○岡本隆司『属国と自主のあいだ:近代清韓関係と東アジアの命運』 名古屋大学出版会 2004.10
昨秋、「2005年度サントリー学芸賞受賞!」のオビをつけた本書を書店で見て、読んでみたいな~でも歯が立つかなあ~と、さんざん逡巡を繰り返した。私は、韓国(朝鮮)近代史に強い関心があるのだが、どこから取りついたらいいのかも分からない、ド素人である。パラパラ目次をめくってみたが、知らない固有名詞ばかり並んでいたので、結局、購入を諦めてしまった。
しかし、今年の前半は、なんとなく「韓国づいた」状態が続いた。というか、日本の近代について考えたり、東アジアの近代について考えたりするのに、韓国(朝鮮半島)問題は外せない、ということが、分かってきたのである。というわけで、半知半解を承知で読み始めた本書。とにかく読み通せて、うれしい。
本書が焦点をあてるのは、19世紀後半、西欧列強(および日本)の侵出によって揺らぐ清韓関係である。朝鮮は清朝に対して長く「宗属ノ関係」にあった。これを、清朝が暴力を以って朝鮮の自立を抑えつけていたと見るのは当たらない。文治を尊び、軍事力を養ってこなかった小国の朝鮮にとって、大国・清の庇護の下にあることは、周辺諸国に侮りを受けないため、必要なことだった。しかし、この時期、西洋諸国が朝鮮の開国・通商を求めて引き起こした擾乱に際して、朝鮮からの保護の要請に、清朝は応えようとしない。
朝鮮は清の「属国」であるが、内政・外交は「自主」である。これが、伝統に基づく清朝の見解だった。「独立自主」ではなく「属国自主」。清の対外政策を担う北洋大臣・李鴻章は、この曖昧な解決に、当面(清・日・露の)勢力均衡をもたらす利点を見出していたようである。
しかし、日本の琉球処分(1872)、台湾出兵(1874)に危機感を感じた清朝は、1880年代以降、朝鮮に対する宗主権の強化に乗り出す。李鴻章の名代として派遣された袁世凱は、「独立自主」を求める朝鮮の動きを封じ、清韓関係を、彼の考える「正常」に戻すべく、徹底した強硬姿勢で臨む。
西洋諸国は、朝鮮に対する清の介入を不当なものと受け止めた。彼らには、「宗属ノ関係」というものが、分からなかったためである。一方、西欧諸国が覇権を握る「国際社会」においては、「宗属ノ関係」などという特殊事情は通用しないということが、清朝の役人には分からなかったようだ。李鴻章は、アメリカ駐華公使ヤングに、こう語ったとされる。「どうして、清朝と周辺諸国のあいだに、永年、存続してきた関係を外国が破壊せねばならぬ。理由がわからない。うまくやってきたのに」。しかし、時代は、西欧諸国の慣例を唯一無比の「グローバル・スタンダード」とする方向に進んでいく。よくも悪くも。ここのところ、中国びいきの私としては、ちょっと悲しいが、韓国人なら、また違う見方をするだろう。
しかしなあ、この「属国自主」という概念、今の日本のアメリカに対する立場を表すのに適切なのではないだろうか。そんな皮肉なことも考えてしまった。ちなみに、サントリー学芸賞の選評が、韓国における「(独立)自主」を、米韓同盟との関わりにおいて取り上げているのも興味深い。
昨秋、「2005年度サントリー学芸賞受賞!」のオビをつけた本書を書店で見て、読んでみたいな~でも歯が立つかなあ~と、さんざん逡巡を繰り返した。私は、韓国(朝鮮)近代史に強い関心があるのだが、どこから取りついたらいいのかも分からない、ド素人である。パラパラ目次をめくってみたが、知らない固有名詞ばかり並んでいたので、結局、購入を諦めてしまった。
しかし、今年の前半は、なんとなく「韓国づいた」状態が続いた。というか、日本の近代について考えたり、東アジアの近代について考えたりするのに、韓国(朝鮮半島)問題は外せない、ということが、分かってきたのである。というわけで、半知半解を承知で読み始めた本書。とにかく読み通せて、うれしい。
本書が焦点をあてるのは、19世紀後半、西欧列強(および日本)の侵出によって揺らぐ清韓関係である。朝鮮は清朝に対して長く「宗属ノ関係」にあった。これを、清朝が暴力を以って朝鮮の自立を抑えつけていたと見るのは当たらない。文治を尊び、軍事力を養ってこなかった小国の朝鮮にとって、大国・清の庇護の下にあることは、周辺諸国に侮りを受けないため、必要なことだった。しかし、この時期、西洋諸国が朝鮮の開国・通商を求めて引き起こした擾乱に際して、朝鮮からの保護の要請に、清朝は応えようとしない。
朝鮮は清の「属国」であるが、内政・外交は「自主」である。これが、伝統に基づく清朝の見解だった。「独立自主」ではなく「属国自主」。清の対外政策を担う北洋大臣・李鴻章は、この曖昧な解決に、当面(清・日・露の)勢力均衡をもたらす利点を見出していたようである。
しかし、日本の琉球処分(1872)、台湾出兵(1874)に危機感を感じた清朝は、1880年代以降、朝鮮に対する宗主権の強化に乗り出す。李鴻章の名代として派遣された袁世凱は、「独立自主」を求める朝鮮の動きを封じ、清韓関係を、彼の考える「正常」に戻すべく、徹底した強硬姿勢で臨む。
西洋諸国は、朝鮮に対する清の介入を不当なものと受け止めた。彼らには、「宗属ノ関係」というものが、分からなかったためである。一方、西欧諸国が覇権を握る「国際社会」においては、「宗属ノ関係」などという特殊事情は通用しないということが、清朝の役人には分からなかったようだ。李鴻章は、アメリカ駐華公使ヤングに、こう語ったとされる。「どうして、清朝と周辺諸国のあいだに、永年、存続してきた関係を外国が破壊せねばならぬ。理由がわからない。うまくやってきたのに」。しかし、時代は、西欧諸国の慣例を唯一無比の「グローバル・スタンダード」とする方向に進んでいく。よくも悪くも。ここのところ、中国びいきの私としては、ちょっと悲しいが、韓国人なら、また違う見方をするだろう。
しかしなあ、この「属国自主」という概念、今の日本のアメリカに対する立場を表すのに適切なのではないだろうか。そんな皮肉なことも考えてしまった。ちなみに、サントリー学芸賞の選評が、韓国における「(独立)自主」を、米韓同盟との関わりにおいて取り上げているのも興味深い。