見もの・読みもの日記

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文楽・仮名手本忠臣蔵/国立劇場

2006-09-19 21:59:28 | 行ったもの2(講演・公演)
○国立劇場 9月文楽公演『仮名手本忠臣蔵』第2部(5~7段目)

http://www.ntj.jac.go.jp/kokuritsu/index.html

 いやー久しぶりの文楽である。私は、学生の頃、たまたま友人に連れていかれたのが機縁で文楽にハマり、以後、20代から30代まで、時代で言えば、1980年代から90年代後半まで、ほとんど毎公演、文楽を見てきた。それが、5、6年前、一時的に東京を離れて暮らすことになり、パタリと国立劇場から遠ざかってしまったのである。

 また運の悪いことに(?)その頃から文楽の人気が沸騰し始めた。演目によっては、初日までに全席を売り切ることもあると言う。嬉しいけれど、とんでもない話だ。80~90年代は、開演までに劇場に行けば、たとえ休日でも1枚や2枚のチケットは手に入った。平日は空席が目立つことが多くて、新聞の劇評が「なんとかならないものか」と嘆いていたのを覚えている。

 そういう時代の劇場通いに慣れた身には、数週間先の予定を決めて、前売券を取るという作業が、わずらわしくて仕方ない。というわけで、もう何年もご無沙汰をしていた。2004年から書き始めたこのブログに1度も文楽公演の記事がないのが、何よりの証拠である。しかし、先週、思い切って前売券を買いに出かけ、休日の月曜日、久しぶりに見てきた。

 出し物は『仮名手本忠臣蔵』の第2部。五段目「山崎街道出合いの段/二つ玉の段」から六段目「身売りの段/早野勘平腹切の段」、七段目「祇園一力茶屋の段」と続く。勘平のダメ男ぶりがいい。周囲の人々の無邪気な善意と正義感が、彼を悲劇に追い込んでいく。江戸時代の人間省察って、鋭いなあ~。

 曲が始まって、舞台の左右上方の小さなスクリーンに、床本の詞章が映し出されたのにびっくりした。へえー。いつからこんなことをするようになったのだろう。でも、いい工夫である。オペラや京劇でもやっているものね。それから、七段目「祇園一力茶屋の段」で、大夫のひとりが、上手の床とは別に、客席に正対する舞台上の席で語り出したのにもびっくりした。この段、以前にも見ているはずだが、こんな演出あったかしら。

 出演者には、見覚えのある顔が多くて、懐かしかった。へえーこの人が、こんな大役をこなすようになったのか、と思うと、しみじみ歳月の流れを感じた。人形遣いといえば、相変わらず、玉男・文雀・蓑助で持っているのかと思っていたが、ちゃんと後進が育っているのね。安心した。大夫さんの場合は、声が根本から変わるんだなあ。むかしは高声で聞きづらかった人が、深みのある美声になっていたりする。

 満員の客席からは、終始、暖かい拍手が響き、ああ、いまの舞台にめぐり合わせた出演者は幸せだなあ、と思った。でも、これも文楽不振の時期に苦労した先輩たちのおかげと肝に銘じて、精進してほしい。また見に行こう。

付記:この記事を書いた直後に吉田玉男さんの訃報に接した。全盛期の芸をたっぷり見ることのできた私は幸せ者だったと思う。謹んでご冥福をお祈りします。(9/24)
コメント
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