見もの・読みもの日記

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命の値段/貝と羊の中国人(加藤徹)

2006-09-05 23:58:02 | 読んだもの(書籍)
○加藤徹『貝と羊の中国人』(新潮選書) 新潮社 2006.6

 瞼の裏に焼きついた中国旅行の余韻を楽しみながら、本書を読んだ。加藤徹さんの著作を読むのは4冊目だが、バリバリの専門テーマに即して書かれた『京劇』(中公叢書 2002)や『西太后』(中公新書 2005)に比べると、本書は、一般読者にも分かる中国文明論を主眼としており、ちょっと薄味。日本人向けの中華料理みたいなもので、コテコテの中国迷には、やや物足りない読後感だった。

 題名の「貝」と「羊」は、中国文化の二面性を表している。即ち、殷王朝に起源を持つ、有形の物財を重んじ、現実主義的な気質と、周王朝に代表される、熱烈なイデオロギー性を言う。まあ、一度は聞いたような説で、特に新味はない。

 本書の面白味は、ところどころに挿入された、具体的なエピソードにある。実際に著者が見聞したものもあるし、本から拾ったものや、専門家ならではの知見もある。

 たとえば、形式と形而上的価値を重んじる「羊」文明の唱道者である孔子が、実は「貝」文明の祖先、殷人の末裔だったという話。原話は史記にあるのだそうだ。

 それから、中国人と日本人の縄張り感覚の違い。中国人は「無私物」の範囲が極端に広い。他人の家に侵入して物を盗むことは犯罪であるが、家の前に置かれている傘や自転車は、誰が持ち去ってもいい「無私物」と判断する。笑ってしまった。しかし、この習慣を領土問題に持ち出されては、苦笑で済まないわけだが。

 また、中国人は「泊まる」と「住む」を区別しないように、本質的に流浪する民である。生水を飲まず、ナマ物を食べないのは、何千年にもわたって彼らが身につけた「流浪のノウハウ」である。それゆえ、アメリカ大陸横断鉄道の過酷な工事現場でも、中国系労働者は生き抜くことができた。しかし、日本から渡った旧会津藩士たちは悲惨な運命をたどった。これ、少し眉唾だが、本当なら興味深い比較文化論だと思う。

 強く印象に残ったのは、清末の中国で宣教師が出会ったエピソード。ある女性患者が、病院の食事制限にうんざりして、「私は食べたいものを食べたい。死ななかったら、また病院に来ます。死ぬのが私の運命なら死にます」と語り、帰宅して4日後に死んだ。『奉天三十年』という本にあるそうだ。ああ、近代以前、人間の生死って、実にたわいないものだったんだなあ。

 いや、近代以降もである。毛沢東は、アメリカとの全面核戦争を予想し、数億の中国人が死ぬことを覚悟していた。それでも「中国」という国家を存続させるため、できるだけ人口を増やしておくことを望んだという。

 そんなふうに、命の値段の軽すぎる社会で、のし上がり、名を成した人々の物語だからこそ、中国の歴史は面白いのだろう。
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