見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

願望と現実/還暦以後(松浦玲)

2006-09-13 09:06:31 | 読んだもの(書籍)
○松浦玲『還暦以後』(ちくま文庫)筑摩書房 2006.6

 「還暦以後」をキーワードに、歴史上の有名人の晩年を描いた人物エッセイ。著者自身も60代の半ばを過ぎ、老人の「記憶力」や「体力」を実感しながら書いているのがミソである。人物の多くは、著者の専門フィールドである、幕末~明治から選ばれている。日本人に混じって、朝鮮の大院君、清の西太后、李鴻章が取り上げられているのも興味深い。

 「還暦以後」も、自他ともに認める現役で通した人物は少ない。私の好きな李鴻章は、その稀少例である。労多くして報われず、「売国奴」の汚名まで着せられて、損な晩年だったように思うけれど、豺狼のような列強諸国と、最晩年まで渉り合った強靭な精神力を、私はカッコいいと思う。若いうちに華々しい功績を上げるよりも、老いてなお大役に堪える生き方が、最近の私の好みである。

 勝海舟は、若いうちに大仕事をして、その遺産で後半生を生きた人物の典型である(丸谷才一さんにそんな人物評があった)。海舟は李鴻章と同年で、明治32年(1899)まで生きた。明治10年代は完全に在野の人であったが、明治20年代には伯爵・枢密顧問官となり、日清戦争に反対する健白書を書き続けた。海舟には、李鴻章とアジア百年の計を語る用意があったと思われる。しかし、明治政府は海舟の建策を取り上げなかった。かつて海舟の伝記を編纂した著者は、60代になって資料を読み直し、「海舟は本気だったのだな」と気づき、30代の頃の自分が「年寄りに冷たかった」と反省する。

 違った意味で還暦以後も「現役」だった人々の逸話もあげておこう。依田学海は、30以上も年の離れた妾に子を為し、妻とも円満な晩年を送った。松崎慊堂は58歳で最初の妻を離婚したのち、4人目の妾に66歳で男子を得た。まったく。こんなことやっているから、福沢諭吉に罵倒されるんだな、漢学先生は。

 71歳の谷崎潤一郎が書いた小説『鍵』で、「壮烈な腹上死」を遂げる主人公は56歳。この設定には、「あの(年齢の)あたりで、こうしたかった」という谷崎の妄想(と回想)が託されているのではないか、と著者は読む。そうなのか? 一方、77歳で書いた『風癲老人日記』の主人公は、もう実際の行為はできないけれど、息子の妻に欲望を刺激されて愉悦を感じる老人で、谷崎本人と年齢が一致している。

 本書は、女性の「還暦以後」を、ほとんど取り上げていない。しかし、伊藤整の小説『変容』は、「六十になる男」が、還暦を過ぎた女性の(肉体的な)魅力に目覚める物語である。50代の前半で、伊藤整に疑問符を投げかけた中村真一郎は、自らの60代、70代を通じて、過激に老年の性を描き続けた。老人男性だけではなく、老女もまた、積極的に愛の行為に挑む。

 老年の性愛って、20代、30代から見たら化け物だろうなあ。40代の私から見ても、ちょっと退く。しかし、ともかく「人生には生き通してみなければ分からないことが多い」(本書)。実際に現役であり続けられる人間は、この場合も稀少例ではないかと思うけれど、願望においては、いつか私も「年寄りに冷たかった」と反省するときが来るのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする